今更嫌いになれないこと知ってるくせに5

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 もともと時間の余裕などないのに、泣いてしまったせいで快楽だけに集中できない。しかし高まりきった体は、熱を吐き出すことを求めている。自慰を中断して熱が収まるのを待つ方向へは、今更シフトできそうになかった。
 オナニーなんて始めなければよかった。最初から熱源に手を伸ばさなければ良かった。などと思った所で後の祭りだ。
 惨めで最悪の朝を呪いながら、必死で手を動かした。涙はやはり時折こぼれ落ちていくが、もはや理由は曖昧だった。ただただ生理的に流れるものと思って、そちらへ向かいかける意識をなんとか引き剥がし、手元の快楽に集中するしかない。
 けれどやはり気が散って、なかなか達せずにいる中、過ぎる時間は容赦がなかった。
 カチャリと響いた音はドアノブを回す音で、その音を拾った瞬間、全身を硬直させる。息を殺してやり過ごすしかない。
 今はまだ部屋の出入口に背を向けているから、きっと気づかれることはないと思いつつも、内心は緊張と後ろめたさでドキドキだった。しかし、今この一瞬をやり過ごせたとして、この後どうすればいいんだという別の問題もある。
 甥っ子が部屋のドアを開けたということは、朝食の支度が整いつつあるということだ。要するに、イけないままタイムリミットが来てしまった。
 泣き顔は夢見が悪かったとかでムリヤリ誤魔化したとして、収まりの付かない股間のテントをどう言い訳すればいいのか。逆に、朝勃ちなんて男の生理として気にせぬ素振りを見せるには、泣いてしまった顔の言い訳がきかない気がする。泣くほどの夢を見ながら股間をガチガチに、という状況はやはり無理がありすぎだと思った。
 そんな事をグルグルと考えていたせいで、甥っ子の近づく気配にまったく気づいて居なかったようだ。ふいに頭を撫でられて、驚きのあまり大きく体を跳ねてしまった。
「えっ?」
 戸惑う声にしまったと思うがもう遅い。
 もともと閉じていた目にギュッと力を込めるが、それで何かが変わるはずもなく、背後から顔を覗き込まれる気配がわかった。
「にーちゃん」
 呼び声はもちろん無視した。しかし話しかけるなという気配を察知してくれることはなく、もしくはわかっていても黙っていられないのか、甥っ子は再度にーちゃんと呼びかけてくる。
「どうして泣いてんの……」
「夢見、悪かっただけ」
 困り切った様子の声音を無視しきれず、ぶっきらぼうに言い放つ声は、泣いたせいか鼻声だった。
「少しすれば落ち着くから、放っておいて」
 わざわざ放っておいてくれとまで口にしたのに、甥っ子はベッドの端に腰掛けると、再度頭を撫でてくる。その手は頭だけでなく、肩や背中を優しく撫でて、どうやら慰めのつもりらしい。
 達せぬまま放置されていた体が、カッと熱を上げてしまうのを自覚した。
「やめろ。俺に触るなっ」
 必死で放つ声はきつい拒絶をはっきりと含んでいて、甥っ子の手の動きは止まったが、依然その手は肩の上に置かれている。クルリと寝返りを打ってその手を振り落とし、ベッドの中で横になったままだが、甥っ子の顔を睨みつけた。
「いいから、一人にさせてくれ。というか出てけよ。頼むから」
 吐き出す言葉に、八つ当たりが混じっていた事は認める。
 まるで滞在することの許可を請うように、食事作り以外にも毎日せっせと簡単な家事をあれこれこなす甥っ子を、許して滞在させていたのは自分自身だ。こんな風に拒絶するくらいなら、もっと早い時期に、なんらかの理由を与えて納得させて、家に帰すべきだった。ここに居てはいけない理由なんて、あふれる程にあるのだから。
「ごめん。でもホント、もう無理。お前、家に帰れ」
「俺のせいで、泣いてたの?」
「ち、違うっ」
「違くないだろ。俺に触られるの、気持ち悪い?」
 また伸びてきた手が頭に触れる前、とっさにそれを振り払う。彼に触れられるのは怖かった。きっとまた、どうしようもなく体の熱が上がってしまう。
 しかしそれはこちらの事情で、当然そんな説明を出来るはずもなく、甥っ子は酷く傷ついた顔をしながら、払われた手でギュッと拳を握りしめている。
「ち、違う。ごめん」
 慌てて体を起こして甥っ子に向き合うが、きちんとした説明もなく違うと繰り返した所で、意味が無いことは明白だった。
「だから何が違うの。俺を家に帰したいってなら、正直に、お前なんか気持ち悪いから帰れって言えばいい」
「気持ち悪くないっ」
「嘘つき」
 怒っているような泣いているような、そのくせ自嘲の笑みを乗せた甥っ子の顔が近づいて、気づいた時には唇を塞がれていた。

続きました→

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今更嫌いになれないこと知ってるくせに4

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 目を閉じて思い浮かべるのは義兄なのか甥なのか。正直良くわからない。それくらい、記憶の中のまだ姉の恋人だった頃の義兄と、しばらく見ないうちにでっかく成長した甥っ子の外見は似ている。外見が似ているからか、多分声の質も近かった。
 先程聞いた、掠れて甘い声音を思い出すだけでゾクリとする。
 もちろん義兄のそんな声を聞いたことはないけれど、頭の中ではあれも義兄の声になる。
 頭のなかで自分に触れる手を、甥っ子と認識したくない心理が働いているのは認める。
 自分より10も年下の、弟のような存在のはずの彼までを、そういう対象で見てはいけないという強い思いがある。さらに今現在、薄いドアを挟んだ向こうのキッチンで甥っ子が朝食を作っているのだ。そんな相手を自慰の対象にする罪悪感は大きすぎた。
 だからなおさら、義兄のことを強く思い浮かべる。必死に声を噛み殺しながら、心のなかで何度も義兄を呼んだ。
 義兄相手の自慰行為はもちろん初めてではない。しかし、久々にその感覚を思い出すと同時に、スッと心が冷えていく気がする。なぜなら、そこには苦々しい記憶しかないからだ。なんせ相手は、その想いに気づくずっと前から姉の旦那だ。
 優しくて、物知りで、頼もしくて、こんな兄さんが居たらいいのにと思っていたら、姉と結婚して本当の兄になってしまった。最初はただただ嬉しかったのに、優しいのも、色々教えてくれるのも、困った時に助けてくれるのも、全部、自分が彼の妻である姉の弟だからなのだと、気づいてしまったのはいつ頃だっただろうか。
 姉と付き合ってなければ知り合うこともなく、そのまま姉と結婚しなければ自分との縁も一切残らず切れてしまうだろう相手。10も年が違っていたら、そもそも友人として知り合うような機会はなく、姉を介さず友情を育むような関係にももちろん発展しない。結局自分は、姉と結婚したら付いてきただけの付属品だ。そう自覚した時の絶望感を忘れられない。
 義兄なんて好きなっても、いいことなんてひとつもない。ずっと苦しいばっかりだった。
 実家から逃げた後、大学では女性とも男性とも、機会があれば取り敢えず付き合ってみた。中にはそれなりに楽しく過ごせた相手もいる。自慰の相手に義兄を思い浮かべるなんて真似は、とっくの昔に卒業していた。
 けれど未だになかなか実家に顔を出せないくらいには、義兄に心囚われたままなのだと思う。仕方なく実家に帰る事があっても、極力顔を合わさず逃げまわっているから、実は実家を出た後、義兄と会話を交わしたのは数回しかない。
 相手だって年をとって、今ではアラフォーのおじさんになっているはずだから、きちんと向き合ってみたら意外と平気になってたりするのかも知れないが、もしそうならなかった場合を考えたら怖すぎた。欠片も想いを告げることなく、無理矢理に押し込め隠した気持ちは厄介だ。せっかく日々を穏やかに過ごせているのだから、間違って再燃なんてされたらたまらない。
 そう思っていたはずなのに、迂闊にも程がある。すぐに甥っ子を追い返せなかった自業自得を自覚してはいるが、甥っ子との生活を楽しんでいる場合じゃなかった。
 義兄を想って自慰をする羽目になって、余計なことを色々と思い出してしまった。
 体の熱は自ら与える刺激に高まっているのに、抑えきれない胸の奥の苦しさに、涙がボロリとこぼれ落ちて行く。

続きました→

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今更嫌いになれないこと知ってるくせに3

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 義兄に抱かれる夢を見た。正確には、キスをされて頭を撫でられて可愛いと言われて愛撫を受ける程度の、抱かれるとまではいかない夢だったけれど、そんな夢を見てしまった衝撃と居たたまれなさは絶大で、泣きたいくらいに最悪の目覚めだった。
 夢を見た原因なんてわかりきっている。一昨日、とうとう滞在2週間目に突入した甥っ子のせいだ。ワンルームの小さな部屋で、在宅中はずっと甥っ子と一緒、なんて生活を続けているからだ。
 このままでは色々マズイと思いながらも、結局、追い出せずにずるずると居座られ続けている。その結果がこれだった。
 相手は自分が仕事に出かけている間は自由に過ごしているのに、自分の方は仕事にしろ家の中にしろ四六時中他人の気配がある。そんな中で日々溜まるのはストレスだけじゃなかった。もっと端的にいうと、自己処理ができていない。要するに抜いていない。
 さすがにこの年齢になって夢精とはならなかったが、夢のせいもあって、朝っぱらからベッドの中で悶々としてしまう。しかも、体の熱を持て余して吐き出す息が、なんだかそれだけでもイヤラシく響く気がして、隠すように枕に顔を埋めてみたら普段とは違う匂いを感じてしまい、余計に体の熱が上がってしまった。
 狭いシングルベッドに甥っ子と二人で寝るなんて真似は絶対にお断りだったが、夜間あまりしっかり眠れていないだろう甥っ子に、昼間ベッドを使うことを勧めたのは自分だ。普段と違う香りは、すなわち甥っ子の匂いだった。だからこれは自業自得なんだとわかっているが、ますます泣きたい気持ちになった。
 ああ、どうしよう……
 今日も仕事があるのだから、早いとこ収まって貰わないと困る。なのに焦れば焦るほど、今もベッドのすぐ隣の床に冬物の厚手の掛け布団を敷いて、その上で寝ている甥っ子の存在を意識してしまう。
 時計の確認もしていないが、甥っ子がぐっすり寝ているのなら、こっそりトイレで処理してくるというのもありだろうか?
 しかしこちらが動いたら、甥っ子はあっさり目を覚ます可能性が高い。これは実際、夜中トイレに起きた時の実体験からも明白だ。いくら厚手の掛け布団の上とはいえ、やはり眠りが浅いんだろう。
 昼間ベッドで足りない分の睡眠を補っているにしろ、夜間しっかり眠れない生活を続けさせるのも気にかかってはいた。しかもなんだかんだ朝と晩は二人分の食事を用意してくれてもいる。
 朝食は簡易なものだが、それでも自分が起きだす1時間前には携帯のアラームをセットして、朝食を作り始めることを知っている。あの小さなキッチンで、どれだけの時間を使って夕飯を作っているのかは知らないが、大学に行く気で居る受験生の夏休みの過ごし方として、これは明らかにオカシイだろう。
 こちらのやましい事情は別にしたって、ここに居続けるべきではない理由なんて次々と湧いて出てくるのに、当の本人は未だその気がまるでないようだ。そして、結局それを許しているのが自分なのだともわかっていた。
 そうだ。本気で追い返せないのは、なんだかんだ彼の居る生活を楽しんでいるからだ。彼の作ってくれる食事も、何気ないやりとりも、懐かしいとか子供の成長が嬉しいとかではなく、なんというかとにかく新鮮だった。
 その成長過程を共に過ごさなかったせいか、口調や態度には極力出さないよう注意しているものの、弟のように愛していたかつての甥っ子とは、やはりまったく別人として感じている。
 頭のなかではあの甥っ子が成長した姿なのだとわかっているつもりだが、それでもここ数年決まった恋人もいない身としては、初恋とも言える相手にそっくりな外見の男が、ほぼ無条件に好意全開で接してくれるこの生活が魅力的でないわけがなかった。
 年下の甥っ子相手に強く出れない理由に、やはり義兄そっくりに育ってきている甥っ子への下心も混ざっているのかと思うと、なんともやる瀬ない。
 はああと深い溜息を枕の中に吐き出せば、控えめな音で甥っ子の携帯が鳴り出した。
 その音はすぐに止まり、甥っ子が起きだす気配を背中に感じる。うつ伏せて枕に顔を埋めた状態のまま、思わず息を潜めてその気配を追いかけた。
 んんーと音になるかならないかの息を吐きながら伸びをして、それからどうやらベッドの端に手をかける。そのままぐっと近づく気配に体を固くしていたら、さらりと頭を撫でられた。
「にーちゃん、おはよ」
 そっと掛けられる挨拶の声は、寝起きのせいか少し掠れていて、なのに酷く甘ったるい。しかも彼が立ち上がる直前、近すぎる気配とともに頭の上で響いた小さな音は、まるでキスのリップ音のようだった。
「さて、朝飯作るか」
 やがて呟くような独り言を残して、部屋の中から彼の気配が消える。
 居室と狭いキッチンとを隔てるドアが閉められる音を聞くとともに、詰めていた息を大きく吐き出した。頭のなかは混乱でいっぱいだった。
 控えめとはいえ携帯のアラームが鳴るせいで、なんとなく意識が浮上してしまう朝は多いけれど、覚えがある中ではこんな真似をされるのは初めてだった。深く寝入っていると判断されたのか、それとも、体の熱を持て余して悶々としている現状を知られて揶揄われたのか。
 前者でも後者でも意味がわからないことには代わりがなく、今現在明確なのは、キスされた気になって昂ぶる自分自身の浅ましさだけだ。
 彼が作り終えた朝食をこちらの部屋に運び始めるまで、短く見積もっても30分以上はあるだろう。
 本当に最悪の朝だと内心毒づきながら、昂ぶる自身へそっと手をのばした。

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今更嫌いになれないこと知ってるくせに2

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 食事は外食や弁当類に頼りっきりだと話したら、甥っ子は張り切って自分が作ると言った。飲み物と調味料程度しか入ってない小さな冷蔵庫と、一口コンロの小さなキッチンで、高校生男子に何が出来るというのか。しかし、いいから何も買わずに帰って来いと言われて帰宅すれば、小さなテーブルの上に所狭しと料理の皿が並んでいる。
 調理器具すらたいしたものは揃っていなかったはずなので、結局スーパーで買った惣菜を皿に出しただけだろうと思った。しかし口に入れて違うことに気づく。
「あっ、これ……」
「わかった? ばーちゃんの味。っつーかにーちゃん的にはオフクロの味? みたいな」
 そこですんなりそんな言葉が出てくるあたり、間違いなくこれは実家の味付けなんだと確信した。しかし意味がわからない。
「え、何お前、母さんに料理教わってんの?」
「色々とあって、簡単に作れそうなものだけ幾つか習った」
「色々ってなんだよ。しかもなんで母さんに」
「だってばーちゃんの味とうちの母さんの味って違うんだもん。にーちゃんに振る舞うこと考えたらばーちゃんに習わないと意味無いじゃん」
 どうよ懐かしい? なんて言いながらのドヤ顔に、嬉しいとか懐かしいとかではなく不信感が湧いた。親と喧嘩した衝動で家出してきたはずではないのか。
 眉間に力が入ったらしく、対面に座る甥は若干不安そうな顔になった。
「美味しくない?」
「そうじゃない。あざとい真似しやがってとは思うけど、確かに懐かしいし美味いよ。ただお前さ、ここ来たのって、まさか計画的?」
「あー……」
 しまったという顔をするから図星なんだろう。
「親と喧嘩して飛び出して、行くとこなくてここ来た、ってわけじゃないんだな?」
「進路で揉めてるのは本当。でも衝動で飛び出てきたわけじゃない。最初っから、夏休み入ったらここ押しかける気で計画立てたよ。計画って言っても、主に金銭的なものだけど」
 往復の交通費とある程度の食費は用意したけど、フライパンと鍋から買わなきゃならなかったのはちょっと予定外だったと言って、甥っ子はすねたように唇を尖らせる。
「ああ、食費……とフライパンと鍋な。金は後で渡すよ」
「やった。そう言ってくれると思ってた」
 うひひと笑う顔は、図体ばっかり大きくなっても、まだまだ子供っぽいあどけなさが残っていると思う。大学受験を控えた高校生相手に感じていい感情なのかは微妙かなと思わないでもないけれど、かなりホッとしたのも事実だった。
 自分が知る甥っ子は小学生の頃までが大半で、後は逃げきれなくて仕方なく実家に戻った際に顔を合わせた記憶しかないのだ。成長して突然やってきた現在の甥っ子は、記憶の中の甥っ子よりも記憶の中の義兄に近い。
 なるべくかつての関係を思い出すようにして接しているし、甥っ子自身が離れていた時間を感じさせない慣れ親しんだ態度を見せるおかげで、なんとか普通っぽい態度がとれているだけでしかない。実際の所は、ふとした瞬間に甥っ子相手にドキドキしっぱなしで、慌てて実家を離れた自分の大学受験期以上にヤバイ気配が濃厚だった。
 正直さっさと帰って欲しくてたまらない。距離をおいて心の奥底に封じ込めた、義兄への想いを刺激しないで欲しかった。
「つかその計画では何日ここ泊まる予定なんだよ。昨日泊まってわかったと思うけど、長期滞在なんて絶対無理だからな?」
「それはにーちゃん次第かな。答えが出るまでは帰らない」
「なんで俺次第なんだ。お前が出すのは自分の進路の答えだろ」
「まぁそうなんだけどさ」
 フッと黙り込んでうつむく顔の大人びた様子に、ああやっぱりこれは早々に追い出さないとかなりマズイと思って、否応なく高鳴る心臓に内心で舌打ちした。

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今更嫌いになれないこと知ってるくせに1

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 10ほど年の離れた姉が二十歳に産んだ子供は、年の離れた弟のような気がしていた。だって自分と姉の年の差と同じだったから。
 家が近かったのもあって、精一杯アニキ風を吹かせながら、確かにその甥っ子をめちゃくちゃ愛してきた自覚はある。小さな頃は本当に見た目も仕草もなにもかもが可愛かった。
 これはまずいと気づいたのは自分が高校生の頃で、大学受験などを理由に彼との距離をいっきに離した上、そのまま遠方の大学に進学して逃げてしまったが、正直に言えば彼には一切落ち度はない。もっと正直に言うなら、逃げたのは彼からではなかった。彼の父親である義兄から逃げたのだ。
 義兄を恋愛的な意味で好きなのだと気づいてしまったら、甥っ子は甥であるより先に、好きな人の息子になってしまった。まだ小学生の無邪気な彼の中にまで、義兄の面影を見てしまうなんて重症すぎる。
 義兄には手が出せなくても、懐いてくれる甥っ子になら簡単に触れられる。それどころか向こうから抱きついてくる事だってある。そんな事でグラグラと理性が揺れる自分が心底怖かった。
 就職ももちろん、大学ほどではないが実家からそこそこ離れた場所に決めたし、在学中も卒業後もなるべく帰省はしていない。なのにある日いきなり、自宅に甥っ子が押しかけてきた。
 心臓が止まりかけるほど驚いたのは、成長した甥っ子の姿が、もう随分と昔、姉の恋人として初めて出会った頃の義兄にそっくりだったからだ。玄関扉を開けたまま硬直していたら、しばらく泊めてとぶっきらぼうに吐き捨てた後、いささか強引に自宅にあがり込まれてしまった。
 勝手に奥の部屋へと向かう背中を慌てて追いかける。
「えっ、ちょっ、待てよ。なんでいきなり? 学校は? いやそれより姉さんは知ってんの?」
 気まずそうに黙ったままなので、これはもしかしなくても家出だろうか?
「黙って出てきたのか?」
 やはり沈黙で返されて溜息を吐き出した。
「自分で言えないなら俺が電話するぞ」
「しばらく泊めるから心配しないで、って言ってくれる?」
「言うわけ無いだろ。明日追い返すって言うよ」
「学校なら昨日から夏休み入ったよ。だからしばらく泊めてよ」
「お前が夏休みでも俺は普通に仕事あるの。子供の面倒見てる余裕なんてねーの。ついでに言うなら、大人顔負けに育った子供の寝るスペースもねーよ」
「にーちゃん、お願い」
 にーちゃんと呼ばれてグッと言葉に詰まる。そう呼ばせて喜んでいたのは幼いころの自分だからだ。そしてやはりそう呼ばれると、心の奥が疼いてしまう。きっと自分の中のどこかに、彼の兄を本気でやっていた頃の思い出が染み付いている。
「俺はお前の叔父であって兄貴じゃない」
「わかってるよ。でも俺が本当に困ったときは、助けてくれるんじゃなかったの?」
 本当の兄じゃなくても兄代わりで、血だって繋がった叔父なのだから、困ったときは何でも言え。なんてことを言ったのもやはり随分と昔のことだけれど、何度も繰り返したせいで、もちろん自分も忘れてはいない。
「黙って家を出てくるような悪い子に、無条件で味方するわけ無いだろ」
 甥っ子は少しだけ考えた後、進路で喧嘩してるのだと口にした。どうやらそれが家出の原因、ということらしい。
「でも責任の一端はにーちゃんにもあるんだからな」
「なんで俺?」
「大学入ったら全然こっち帰ってこなくなったじゃん。大学はもう少し遠かったけど、今は片道2時間くらいでそこまで遠くもないのにさ。俺までそうなったら嫌だから自宅から通えるとこに進学しろってうるさい」
「それで俺んとこ逃げ込まれたら、俺がますます姉さんに恨まれるだろ。てかそれ言ってんのお前の母さんでいいんだよな? 父親はなんて言ってんだよ」
「父さんも出来れば自宅から通えるところにと思ってるっぽいけど、理由は仕送り関係がでかいっぽいから、奨学金借りてバイトしてやりくりするって覚悟見せたら多分そこまで反対しない」
「いやいやいや。奨学金って借金だからな? なくて済むならない方が絶対いいぞ」
「それでも譲れないことがあんの」
「それって何? どうしてもそこじゃなきゃ学べない大学とかあるなら、姉さんだって納得するんじゃないか? ちゃんと話しあったのか?」
「それも含めてちょっと考えたいことあるからしばらく泊めて。答えが出たら帰るから」
 夏だしその辺の床で寝るんで構わないからとまで言われてしまったら、もともと甘やかしまくってた愛しい甥っ子をムリヤリ追い返せはしない。
 結局、しばらく泊めるから心配いらないという電話を姉に入れる羽目になった。

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