ハロウィンがしたかった

 体の関係ばかり先行していた利害関係を断ち切って、随分と遠回りしまくった挙句、先日ようやく恋人となった男が予告なく訪ねて来たのは、夕飯を終えてちびちびと酒を飲んでいた21時頃だった。
 追い返す理由もないので部屋に入れたが、相手はなんだかそわそわとして落ち着きがない。それを珍しいと思ってしまうのは、凛として隙の無い雰囲気を纏っていた昔の彼のイメージが強いからだろうか。
 感情を大きく乱さない訓練をされた彼が、平静を装いきれず、隠しきれない想いに戸惑う様は愛しくもあったが、それと同時に、彼にそんな想いを抱かせる自分が、彼の側に居続けてはいけないのだと思わされた事もあった。
 その彼が、なんら隠す事なくあからさまに浮き足立つ姿を見せるようになった理由が、もし恋人という関係に起因しているのであれば、これはきっと歓迎すべき変化なのだろう。
 そう思いはするのだが、その態度を指摘して、何かあったのか、何が気になっているのかを尋ねていいのかは、やはり迷っていた。彼がこうまで落ち着きをなくす理由など、まるで想像が付かないからだ。
 それにどうせしばらく待てば、彼の方から何かしらのアクションを起こして来るだろう事はわかっている。だから今自分がすべきは、たとえ彼が何を言いだそうと、受け止める気持ちの準備をしておく事だ。
 酒を飲まない相手のためにお茶を出すだけした後は、読みかけだったレポートを手に取り目を落とす。あのまま彼を意識していたら、どうしたと聞いてしまいそうだった。
 レポートの内容などたいして頭に入ってはこないが、平静を装うことくらいはきっと出来ている。
 やがて意を決した様子で彼が口を開く。
「あ、あのさ、Trick or Treat」
 は? という内心の驚きを、音に出さずどうにか飲み込んだ自分をほめてやりたい。それでもさすがに、しげしげと相手の顔を見つめることは止められなかった。
 ハロウィンという単語も、トリックオアトリートの決まり文句も知ってはいる。しかし、言われてようやく、そういやそんなイベント日だったかと思い出す程度の認識で、自分には全く無縁の物と思っていた。
 いやでも思い返せば、彼は様々なイベントの企画運営などに関わる事も多い。仕事だから仕方なくではなく、彼自身が好きで関わっているという可能性もあるのだろうか。会場での彼を見かけることも過去には何度かあったが、確かに活き活きしていたような気もした。
 その可能性に思い至って、色々知った気になっているだけで、まだまだ知らない事だらけだなと、どうにか内心の驚きを鎮めにかかる。
 最初の驚きが去れば、次に来るのは照れと期待からか頬を上気させている彼に、何を差し出せるのかという問題だ。
 素直に菓子など用意してないと告げて、イタズラを受けるのはいくらなんでも余りに悔しい。多分それ狙いで予告なく訪ねて来たのだと気づいてしまえば尚更だ。
 酒のツマミとしてテーブルの上に出していた、乾き物のスルメイカを咄嗟に摘んで差し出した。これは自分にとっては土曜の夜のちょっとした贅沢品だから、相手の言葉に従ってもてなしの品を差し出した事に変わりはない。
 何か言われたら、大人相手なんだから菓子である必要はないはずだと言い返すつもりでいたのに、差し出されたスルメイカを彼は随分と楽しげに受け取った。
「ありがとう」
 固いねとは言いながらも素直にそれを口に運び咀嚼する。そんなものでいいのかと思ったら、やはり内心は驚きでいっぱいだ。
 いいところのボンボンでもある彼と、スルメイカという組み合わせは、似合わないことこの上ない。けれどそれを言ったらそもそも、このボロアパートの居室に彼の姿が似合わない。
 まぁ、そんなものがいちいち気になるようでは、彼の隣にいつづけることなど出来ないけれど。
「もっと食うか?」
 彼が渡したスルメイカを全て飲み下したのを見て、テーブルの上に広げたスルメイカのトレイをそっと彼の側へ押し出してみた。
「うん。貰う」
 すぐに手が伸びて、もう1切れ摘んでいく。
「これけっこう美味しいね」
「そうか。それは良かった」
「うん。でさ、お酒、続き飲まないの?」
「飲んでるが?」
「嘘。さっきから飲んでないし食べてもないよ」
 クスクスと笑われて、全く平静を装えてなかったらしいと気づく。
「驚かせてごめんね。ちょっと、やってみたくてさ」
「いや、いい。それで、お前が満足できたなら」
「うーん……満足、はしきってないんだけど、でもなかなか楽しい反応だったよ」
 満足しきっていないのか。だとしたら、足りないものはなんだろう?
 そんなこちらの思考を読んだように彼が口を開いた。
「ボクを満足させてくれる気があるならさ」
 一度言葉を区切って見つめてくる彼に、先を促すよう頷いてやる。
「君も言ってよ」
 それは当然、先ほどの決まり文句を指しているのだろう。
「なんだ。渡したい菓子でもあるのか?」
 これ美味しいんだよと言って、見たこともないパッケージの食べ物を渡される事は今までもあった。今回のもそれの延長かと思わず聞き返してしまえば、彼は楽しげな顔でとんでもないことを言い出した。
「じゃなくてさ。いたずらされたいな、って」
「おまっ……」
 流石に今度は驚きの音を飲み込むことが出来ない。彼はますます楽しげな顔で、こちらの言葉を待っている。
「トリック、オア……、トリート」
 観念して告げれば、どうぞいたずらしてと言わんばかりに腕を広げてみせる。
 まったく、本当に、予想外も甚だしい。
 色々なしがらみに隠されて見えにくいだけで、可愛い人だ、とは元から思っていたのだ。けれど元々身体の関係はあったのだから、恋人になったくらいでは、そう大きく変わることもないと思っていた。ここまで変わるなんて事は、まるで思っていなかった。
 恋人という関係を結んだ日、ずっとこの日を待ち望んでいたのだと、泣きそうに笑った顔を思い出す。どうやら自分は、彼と恋人になるという事の重大さを、少し甘く考えていたのかもしれない。
 きっと長年彼の中に鬱屈して溜め込んでいたものが、これからどんどんと噴き出してくるのだろう。
 まったく、本当に、なんて愛しい。
 どんな悪戯で彼を喜ばせてやろうと思いながら、広げられた腕の中に飛び込んだ。

 
 
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「ハロウィンがしたかった」への1件のフィードバック

  1. どうにもハロウィンネタが書きたくなって、なんで昨日の更新前に書きたくならなかったんだと思いつつも、一日遅れで書いてしまいました。
    昨日の続きは次回の更新日に。

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