取引先に元教え子が就職してました

就職を機に逃げたけれど本当はの続きです。最初から読む場合はこちら→

 指名を受けて上司とともに訪れた取引先で、かつての教え子と対面した。
「お久しぶりですセンセイ」
 そう言って笑った顔に、懐かしさと安堵とで泣きそうになった。自分を呼んだのが彼なのだということは、何も言われずともわかる。
 どういう根回しをしたのか知らないが、相手方の上司も同行したこちらの上司もすでに承知しているようで、今後その会社とのやりとりをメインで担当するのが自分と彼とになった。
 昔のことを引き合いに出されて脅されるのか、あちらが元請けである強みで枕営業的なことをしろと言われるのか。どちらにしろまた彼と関係が持てる、彼に抱いてもらえる。
 そんな期待と裏腹に、彼からの誘いは一向にかからなかった。最初の一度以降、センセイとも呼ばれない。彼から苗字にさんをつけて呼ばれる違和感は大きかったし、元教え子だろうが年下だろうがこちらは下請けで、丁寧語で接するのも最初はなんだかやりにくかった。
 それでもゆるやかにその状況にも慣れていく。何事も無く、表面上は穏やかに彼との時間がすぎる。
 しかし内心はといえば、不安と絶望でいっぱいだった。なぜ何も言ってくれないのか、過去のあれらをなかったことにしたいなら、なぜ今更自分の前に現れたのか。なぜ自分を呼んだりしたのか。それとも呼ばれたと思ったことがそもそもの勘違いで、これはただの偶然なのだろうか。
 知りたい事はたくさんあるのに、どれ一つとして聞く事ができない。知るのは怖い。
 そんな悶々とする日々に、少しずつ気力も体力も削られていく。
 今日もまた、打ち合わせと称して小さな会議室に二人きりでこもっているのに、何も起こる気配はない。
「最近顔色が少し悪いみたいですが大丈夫ですか? 今もなんだかボーっとしてましたが」
「あ、はい。スミマセン。大丈夫です」
「私と仕事をするのはやはり苦痛ですか?」
「えっ?」
「不調の原因、私ですよね?」
 苦笑する顔をわけがわからず見つめてしまったら、困った様子でため息を吐かれた。
「担当、変えてもらいましょう」
 あなたの責任は問われないようにするのでご心配なくと続いた言葉に、慌てて待ったをかけた。
「待って。嫌です。担当、変えたりしないでください」
「どうして? 私とじゃあなたもやりにくいでしょう? いつも不安そうな、泣きそうな顔をするじゃないですか」
「それは、あなたが……」
「昔のことは水に流して忘れてください。なんて言えた立場じゃないですよね。あなたには酷いことをしたと思っています。若かったからで許されないのもわかってますが、謝る機会をずっと探してました」
 チャンスだと思ったんです、と彼は続ける。
「大人になって出会い直したら、もしかしたらもう少し違った関係が作れるかなって。でもやっぱり無理ですよね。無理だというのは再会したその瞬間から、あなたの泣きそうな顔を見てわかっていたのに、諦め悪くずるずると付きあわせてしまいました。でもこのままじゃあなたが倒れる日も近そうですし、もう、終わりにします。本当に、成長してないですよね。ずっとあなたを振り回してばっかりだ」
 何を言われているのかイマイチ理解しきれず、ただただ彼の言葉を聞いてしまったが、本当に申し訳ありませんでしたの言葉とともに深々と頭を下げられて、はっと我に返った。
「待って、待って。意味がわからない。ゴメン。お願いだから頭上げて」
「わかりませんか?」
 頭を上げた彼は、ここまで言っても伝わらないのかと言いたげに不満気だが、さすがにそれに怯むことはない。
「わからないよ。昔のこと、後悔してるの?」
「してますよ。もう少し別のやりようがあったんじゃなかって」
「もう、俺を抱く気は一切ない?」
「脅して関係を強要したりする気はないです。ああ、それを気にしてたのか。すみません、もっと早くそんな気はないから安心してくださいと言っておくべきでしたか」
「違う。そうじゃなくて。俺が抱いてくれって言ったらまた抱ける?」
「えっ?」
 今度は彼が驚き過ぎた様子で固まった。
「酷い真似をしたと謝るくらいなら、他の誰としても満足できない体にした責任とってくれ」
「ちょっ、マジ……で?」
 砕けた口調と呆然とする顔に内心で笑う。昔の彼の面影の濃さに、少しばかり安堵もした。だから今なら正直に、自分の気持を伝えられそうだと思った。むしろ、今伝えずにいて、このまままた関係が切れたりしたら、絶対後悔するに決まっている。
「また関係を迫られたらどうしよう。じゃなくて、どうして誘ってこないんだろうって、俺の最近の不安はそっちだったよ。お前は俺に興味がなくなったんだと思ってたから、再会した時は嬉しくて泣くかと思った。またお前に抱いてもらえるって、そんな期待をしてたんだ」
「俺から逃げたの、センセイですよね?」
「そうだな。でも、逃げてから、思い知ったよ。お前がどれだけ俺の体と心とを作り替えたのか」
「心も、ですか?」
「心も、だよ。気づいてなかったのか」
「知りませんよ。知ってたら逃すわけ無いですし」
「俺は逆に、知られたから解放されたんだと思ってた。都合よく遊んでた玩具から、好きだの言われたら面倒だろ。だから面倒が起こる前に、綺麗さっぱりサヨナラなんだなって」
「でもセンセイ、引っ越す気満々で就活してませんでした?」
「してたな」
「それ、俺から逃げたかったんですよね?」
「うん。でも逃してもらえないかとも思ってた。お前が遠方の会社はダメだって言ったら、俺には逆らえなかったし」
「一生俺に脅されていいようにされる人生でも良かった?」
「さあ。それはわからないな。最後の頃は、されてる事そのものより、自分ばっかり好きになってくみたいで怖い、嫌だ、みたいなのも多かったし。だからもし、お前が好きだとか言いながらちょっと優しくしてくれたりしたら、案外ころっとそれで満足してたかもしれないし」
「そんなの! 俺だって、思ってましたよ。むりやりいうこと聞かせて酷い真似しまくってるのに、今更好きとか言っても嘘っぽいし、逃げたがってる相手にこれ以上執着見せてもそれってただの嫌がらせだよなとか。決死の覚悟で解放したのに、今更そんなこと言われる俺の立場ってなんなんです。あーもうっ、信じられない」
「信じられないのはお互い様だろ。俺だって、お前の気持ち知ってたら、ぐずぐず泣いてないで自分から連絡とってたつーの」
「泣いたの? まさか俺が恋しくて?」
「まさか、お前が恋しくてだよ」
 ついでに言うならお前を想って自分を慰める夜は今現在も続いてる。とはさすがに口には出さなかった。
「ねぇ、めちゃくちゃ遠回りになったけど、俺と恋人になって。って言ったらOKしてくれる?」
 躊躇いがちな提案に、返す答えは当然決まっている。

続きました→

 
 
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