早朝、学校へ行く前に飼い犬を連れて散歩へ行く。時間に余裕があるわけじゃないから、毎日決まったコースを歩くのだけれど、そうすると、同じように早朝出歩いている人たちと度々すれ違う。何度も同じような場所ですれ違っていれば互いに顔くらいは覚えてしまうもので、通りすがりに黙礼し合ったり、中にはおはようと声を掛けてくる人まで居た。
そんな日々の中、どうにも気になる男が出来た。
その男は走っている人で、いつも向かい側からやってきてすれ違う。言葉をかわしたことはないが、こちらに気づくと少し嬉しそうに微笑むのが丸わかりで、それがなんとも印象的だった。
既にそれなりの距離を走ったあとなのか、そこそこ息も乱れているし汗もすごいのに随分と余裕があるな。というのが初期の印象で、でも、だんだんとその優しげな笑みが気になるようになってしまった。
といっても、彼の視線の先にいるのは間違いなく自分の連れた犬で、その微笑みが自分に向けられたものでないことはわかっている。わかっているのに、なんだか無性にドキドキするから困ってしまう。なのに、雨が降ったりで散歩に出られない朝は酷く残念に思ってしまうのだ。
1分にも満たないその時間を、毎日心待ちにしていることを、嫌でも自覚するしかなかった。
顔しか知らないその男に、どうやら恋をしているらしい。
女の子にいまいち興味が持てなくて、自分の性指向やらに疑問を持っていた時期だったのもあって、その結論は、ストンと胸の中に落ち着いた想いだった。ただ、それがわかったところで、その恋をどうこうしようなんて気持ちは全く無かったし、相変わらずただすれ違うだけの日々を送っている。
黙礼されれば黙礼を返し、おはようと言われればおはようございますと返しはしても、自分から積極的に声をかけていくタイプではないし、こんな朝が少しでも長く続けばいいなと願うくらいしかしていない。
まぁ願ったところでそんな日々の終わりははっきりと見えていて、大学に入学して実家を出れば、毎朝の散歩は出来なくなってしまう。
初恋かもしれないこの想いは、高校卒業と同時にひっそりと終わるのだ。
(ここから視点が変わります)
日課の早朝ランニングで出会う、犬を連れた男の子と最近会わなくなってしまった。最初の数日は風邪でも引いたかと心配したが、すぐに、春だからだと思い至った。
間違いなく学生だったから、進学か就職かでこの地を離れたんだろう。
心配はなくなったが、今度はひどく落胆した。あの微笑ましい光景をもう見れないのだと思うと、朝走るモチベーションがかなり下がってしまった。
ランニング中、ほぼ同じ場所ですれ違うその子を認識するのは早かったと思う。そこそこの大きさがある雑種らしい犬は愛嬌のある顔をしていたし、その犬に向かってあれこれ語りかけながら歩く姿が珍しかったからだ。
飼い犬相手になにやら楽しげに話をしながら歩いていた彼は、通りすがりについつい聞き耳を立ててしまう自分に気づいてか、いつからか通り過ぎる前後にキュッと口を結ぶようになってしまった。でも少し恥ずかしそうに、こちらが通り過ぎるのを待っている姿も、それはそれで印象に残るのだ。
こころなしかこちらの姿が見えると相手の歩調が緩む気さえしていて、相手が男の子で良かったと思ったこともある。女の子だったらもしかして俺に気があるのでは、なんて誤解が生じそうな可愛さがあったからだ。
それらを微笑ましい光景として記憶している辺り、男の子で良かった、とは言い切れない気もするが。
ただもう今更でしかない。互いに顔しか知らず、名前も住んでいる場所もわからないのだから、二度と会うこともないんだろう。
そう思っていたのに、朝走るのを止めて夜走るようになったら、彼の犬とだけはあっさり再会してしまった。
大きさや愛嬌のある顔から間違いなくあの犬だとわかって、思わず「あっ」と声を上げて足を止めてしまえば、その犬を連れていた女性に相当訝しがられてしまったけれど、しどろもどろに以前早朝によく見かけていたという話をすれば、あっさりあの彼が息子だということや大学進学で地元を離れたことを教えてくれた。
彼の母親は彼ほど決まった時間に決まったコースで散歩しているわけではないようで、たまにしか会うことがなかったが、会えば挨拶を交わす程度の関係になった。
その彼女から、彼が夏休みで戻ってくるから暫くはまた犬の散歩は彼の役割になる、と聞かされたのが10日ほど前だ。だが、早朝にもどしたランニングで、以前と同じように彼と出会うことはない。彼はもう戻ってきているはずなのに。
期待した結果とならず、気落ちして朝のランニングをサボった代わりに走りに出た土曜の夕暮れ、いつも彼とすれ違っていた場所にある小さな公園から話し声が聞こえてなんとなくそちらへ顔を向けた。
「いたっ!」
思った以上の大きな声が出て、相手がビクリと肩を跳ねたのがわかる。驚かせてしまったらしい。でもそんなのは気にしていられず、逸る気持ちのまま彼へ向かっていく。
名前や連絡先やらを聞いたら驚かれるかも知れないが、この機会を逃す気はなかった。
夏休みの男の子は、母が彼と会って時々話してるというのを聞いて、夜散歩なら自分も相手と話せるかもという期待から、母が会ってた時間帯に散歩してました。
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