思い出の玩具

 小学四年生の秋ごろまで住んでいた市にある大学への進学が決まった時、昔の友人知人に会えたりするのだろうかという期待はした。少し珍しい苗字だから、覚えてくれている人だって居るかもしれない。
 そんな期待はもちろん、大学生活に慣れるとともに消えていった。
 昔の友人と言ったって、引越し後にまで交流が続くような相手じゃなかったわけだし、小学生が大学生に成長したら顔でわかるなんてことも起こらない。そもそも同じ市内と言っても端と端ってくらい離れている上、最寄り駅だって違うのだから、それはもう昔住んでいた場所に戻ってきたとは言わないって事にも気づいていた。
 だから、バイト中に話しかけてきた客が、昔この辺りに住んでませんでした? と、昔住んでいた近辺住所を言った時には随分と驚かされた。肯定したら随分と嬉しそうに笑って名前を告げられたが、その名前には確かに聞き覚えがあった。
 相手は胸のネームプレートで気づいたと言ったから、バイト先がネームプレート必須で良かったなと思ったのを覚えている。
 その男にゆっくり話がしたいと誘われて、バイト後に近くのファミレスで一緒に食事をし、連絡先を交換した。
 それからは時々会って一緒に遊ぶようになった。相手はたまに、昔一緒に遊んでいたという他の仲間も引き連れてくる。とは言っても、昔話に花を咲かせるという事はそんなに多くはなかった。気の合う友人が一人増えた、くらいの感覚だ。
 それでも一緒に遊んで色々と話をしているうちに、昔のこともあれこれと思い出してくる。
 そういや、引っ越しするときに何か貰わなかったっけ? という事を思い出したままに口にしたら、相手にかなりの動揺が走って驚いた。その場はなぁなぁで流されてしまったが、そんな対応をされたらむしろ気になるってもんだろう。
 長期休暇で帰省した際に、部屋中ひっくり返す勢いで探してみたら、それは出てきた。小さな変形ロボットのおもちゃで、当時はやっていたアニメのものだと思う。
 確かにこれだ。しかしなんでこれを渡されたのかはわからない。あの時、彼は何と言ってこれを渡して来たんだっけ?
 古い記憶を辿りながら手の中のおもちゃを弄りまわしていたら、ぽろりと何かが落ちて、しまった壊したと慌てる。しかしそれと当時に、思いがけない部分が開いて、中には小さくたたまれた紙が一枚仕舞い込まれていた。
 下宿先にそれを持ち帰り、さっそくファミレスに相手を呼び出してそれを見せる。
「ちょっ、それっっ!」
「探したら、出てきた」
「そ、そうなんだ。で、なに? 持ってきたってことは、返してくれたりするの?」
 テーブルの上に伸ばされた手に慌てて、とっさにそのおもちゃを、広げた自分の手で覆い隠した。その手の上に相手の手が乗っかり、次には相手が大慌てで乗った手を引っ込める。一瞬触れた熱と相手の赤くなった顔に、嬉しいという気持ちが湧いたから、覚悟を決めた。
「あのさ、これ貰った時、なんて言ったか、覚えてる?」
「さ、さあ、なんて言ったかなぁ。なんせずい分昔のことだし?」
 ああこれ、絶対覚えてる。良かった。
「これ、お前の気持ちらしいよ」
 俺の気持ちだから持ってってと押し付けられたのを、メモ発見とともに思い出していた。
「そそそそそうなんだ。まぁ、大事にしてたおもちゃだったしな」
 相手の動揺が酷くて、なんだかいじめているみたいな気分になる。別に責めるつもりなんて欠片もないのに。
「これ見つけた時、弄ってたら妙なとこが開いて、ちっさなメモが出てきてさ」
「うっ」
「こういう玩具、まったく詳しくなかったから、気づかなくってごめん」
「い、いやいやいや。俺が勝手に押し付けたものだから。気づいてくれなくてもいいって、思ってたやつだし」
「あのさ、これって、今も有効だったり、する?」
「えっ?」
「今のお前の反応みて、ちょっと期待はしてるんだけど。でも、そんなの昔の思い出の一つで、むしろ黒歴史。ってことなら、これはお前に返すよ」
「え、あの、何気持ち悪い事してんだよって罵倒とか、……じゃなく?」
 ああ、そういう心配をしていたのか。
「メモ見つけた時、正直嬉しかった」
 好きだ、と3文字だけ書かれた小さな紙。子供だった彼が、どんな想いを込めて綴り、隠したそれを渡してきたのかと思うと、その記憶の中の小さな男の子が、たまらなく愛しいって気持ちが湧いた。
「こうやって再び出会えたのも、お前とは何かの縁があったりするのかなって、思った」
 だからさ、と更に言葉を続けようとしたら、相手が眉を下げたほんのり泣きそうな顔で先に言葉を発した。
「でもお前、普通に女、好きじゃん。俺が気持ち悪く、ないわけ?」
「気持ち悪くないよ。というか、もし気持ち悪かったら、メモには気づかなかったことにしてそっと距離置くくらいするって」
「そんなの言われたら、期待、するけど。てか俺、お前に初恋して、それ結構拗らせてる自覚あるんだけど」
 初恋で、しかも拗らせてるのか。でもそれを聞いても、気持ちが変わることはなかった。
「期待して、いいよ」
 言ったらますます泣きそうな顔で、今もお前が好きだと返された。

 
 
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兄の彼氏を奪うことになった

 2つ上の兄との仲がこじれ始めたのは、自分が中学に入学した頃だったと思う。それまでは本当に仲が良く、というよりも大好きでたまらない自慢の兄だった。
 確かに兄は自分より見た目も頭も良い。自分が勝てるのはスポーツ方面くらいだが、それだって僅差だし、世間一般で言えば充分文武両道の域だろう。
 人当たりも要領も良いから、親や先生からの信頼も抜群だし、そんな兄を好きなる女子が大量に湧くのも不思議じゃない。
 ただ、好きになった女の子もやっとお付き合いに至った彼女も、ことごとく兄に奪われてしまった。
 好きになった子が兄を好きだった、というのはまだ仕方がないと諦められる範囲だ。しかし、恋人として付き合っていたはずの女の子に、お兄さんを好きになってしまったからと別れ話を切りだされたり、よくわからない理由で振られた後その子が兄と親しげにしていたり、彼女だったはずの女の子が自宅で兄と仲良くお茶していたり、もっと言えば現彼女や元彼女が兄の部屋でアンアン言っていたりする場合もあるのだからやってられない。
 お前の彼女だって知らなかったという言い訳も聞き飽きたし、共働きで帰宅が遅い親からの絶大な信頼を得ていながら、自宅に女の子を連れ込んで致している奔放さも、その相手がコロコロと変わる不誠実さにもだんだんと呆れて、自分に対しても一応変わらず優しい兄だったけれど苦手意識ばかりが強くなる。
 女の子から告白される場合は、狙いは兄の方とまで思うようになったし、女の子という存在が信じられなくもなり、彼女という存在を作らなくなって数年。
 ある日自宅の玄関を開けたら、兄が男とキスをしていた。
 さすがに驚きビビりまくる自分に、動揺や悪びれる様子を全く見せないまま、兄は今付き合ってる恋人だと言って相手の男を紹介した。わざわざ紹介なんてされなくたって、その男の名前や年齢くらいは自分も知っている。
 その男は自分にとってはバイト先の先輩で、兄にとっては大学の同期なんだそうだ。
 先輩に兄との繋がりがあることも、兄が男まで相手に出来ることも、まったく知らなかった。ついでに言えば、成り行き上だったにしろ、兄の恋人としてちゃんと紹介された人物は彼が初めてだ。
 正直に言えば、それ以上関わる気なんてなかった。兄がどこの誰と付き合おうと知ったこっちゃない。
 ただ先輩の方から近づいてくる。バイトのちょっとした空き時間や休憩中に話しかけてくる。
 最初は恋人の弟とは仲良くしておこう的なものかと思っていた。兄という恋人が居ながら、兄より劣る自分にモーションを掛けてくる相手の存在なんて居るはずがない。
 なのに、ある日意を決した様子で、先輩に好きだと告白されてしまった。しかも、兄と恋人になったのは、自分の兄だと知ったせいだという。
 兄でいいと思っていたが、知られた時に罵倒したり拒絶反応を示さなかったのを見て、もしかして受け入れてもらえるのではと思ってしまったらしい。どうでも良かっただけとは、真剣な告白を受けた直後には言えなかった。
 本当にどうでも良かっただけで、男同士での恋愛になんてまったく興味はなかったが、兄よりも自分を選んで貰ったという初めての経験に気持ちは大きく揺れた。散々兄に恋人を奪われてきたのだから、自分だって奪ってやればいいじゃないかという気持ちもある。
「お前、あいつと付き合うの?」
 珍しく自室のドアを叩いた兄は、入ってくるなりそう聞いた。
「えっ?」
「お前に告白して返事待ちって聞いたんだけど」
「あー、うん。告白は、された」
「付き合うの?」
 再度聞かれて、よほど気になるらしいと気付いた。もしかしなくても兄自身が彼に結構本気なのだろうか。
「もし俺がオッケーしたら、兄貴、どうするの?」
「断ってよ」
「えっ?」
「過去にお前の彼女とそういう仲になったことは確かにあるけど、お前の彼女とは知らなかったって言ったよね? でもお前は、俺がちゃんと恋人だって紹介した相手を、俺から奪うわけ?」
「でも、兄貴よりも俺を選んでくれたの、先輩だけだもん」
 あ、これ、まるで奪ってやる宣言だ。と思った時には遅かった。
「あ、そう。なんだ。もう返事決まってるんだ」
 ポケットから携帯を取り出した兄はどこかへ電話をかけ始める。相手が先輩だということはすぐに気付いた。
「弟もお前のこと、好きみたいだからもういいことにする。別れることに決めた。うん。引き止めない。うん。うん。いいよ。弟を、よろしく」
 呆然と見つめてしまう中、兄がさっくりと電話を終える。
「聞いててわかってると思うけど、今、あいつとは別れたから。俺の恋人だからで返事躊躇ってたなら、これで心置きなく付き合えるだろ」
 じゃあお幸せにと言い捨てて、兄は部屋を出て行った。
 なるほどコロコロ恋人が変わるわけだと納得の展開の速さではあったが、どうすんだこれと焦る気持ちも強い。
 兄にここまでされてしまったら、先輩に付き合えませんなんて言えそうにない。
 女性不信な自分には、男の恋人がちょうどいいのかな。なんて苦し紛れに自分をごまかしながら、大きなため息を吐き出した。
 覚悟を決めるしかない。明日、先輩に了承の返事を告げようと思った。

 
 
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俺を好きだと言うくせに

 同じ年の幼なじみがモテだしたのはぐんと身長が伸びて、部活で試合に出ることが増えた中二の夏以降だ。部活忙しいし彼女いらないと公言していてさえ、結構な頻度で女子から告白されていた。
 せっかくの告白を振るのは可哀想だし、勿体無いから取り敢えず付き合ってみればと言ったら、心底イヤそうな顔で、じゃあお前が好きだからお前が俺と付き合ってよと返された事がある。もちろん本気になんてしなかった。というよりも、恋愛対象じゃない相手からの申し出がいかに迷惑なものか、わからせたかっただけだろう。
 そう思っていたのに、お前が付き合えと言ったあのセリフが、本気どころかむしろ彼にとっては精一杯の告白だったと知ったのはつい最近だ。
 あれから数年経た高校二年の現在、同じ高校に進学した幼なじみが、唐突にお前と少し距離を起きたいと言い出した。理由は彼氏ができたからで、その彼以外の男と親しくつるむのは、相手に申し訳ない気がするからだそうだ。
 ビックリしたなんてもんじゃない。心底慌てて、納得出来ないからと嫌がる相手を自室に連れ込み、詳しくいろいろ問い詰めた。
 そこで発覚したのが、彼にとっては女が恋愛対象にならないことと、長いこと彼に惚れられていたらしいことだった。
 そういうことはもっと早く、彼氏なんか作る前に、もっとちゃんと真剣に告白するべきじゃないのか。
 けれど彼はそこで、前述の話を持ちだして、彼が恋愛対象にならないことも告白が迷惑になることもわかりきってたと言った。付き合ってと言って即、確かに無理な相手から告白されても迷惑なだけだなと納得されて、軽々しく付き合ってみろと言ったのは間違いだったと謝られたのはショックだったなんて、今更そんなことを言うくらいなら、あの時もっとショックな顔をすれば良かったんだ。
 だけど本当はわかっている。ずっとそばに居たくせに、彼が寄せてくれる想いに友情以上のものを一切感じ取れなかった自分が悪い。自分の隣に居る彼が、ずっと辛い思いをしていたことにも気付かず、のほほんと親友ヅラをしていたのが恥ずかしい。
 だから距離を置くことを了承した。おめでとうと言った。彼に初めての恋人が出来たことには変わりがないのだから、上手くやれよと親友らしくエールを贈った。
 結果、彼とその彼氏とのお付き合いは一月ほどで終了を迎え、彼はあっさり何事もなかったかのように自分の隣に戻ってきた。けれどやはり、なかったことにはならない。相手は気持ちと事情を晒してしまった後で、自分はそれを聞いてしまった後だ。
 つまるところ、彼は戻ってきたけれど、自分たちの関係が元通りということにはなりそうにない。
「やっぱり、お前が好きなんだよね」
 想いを隠す気がなくなったようで、あっけらかんと口にする。
「そりゃどうも。俺だってお前が好きだぞ。親友としてならで悪いが」
「それは知ってる。てかさぁ、結局俺はお前じゃないとダメみたいってのが、ホント重症だし不毛だし嫌になるよね」
 言いながらもどこかスッキリした笑顔だった。
「なら俺に告白すんのか? まさか今のそれが告白だとか言うなよ」
「え、なんで?」
「なんでってそっちこそなんでだよ。俺と恋人になりたいなら、今度こそちゃんと真面目に告白して付き合ってくれって頼めよ」
「頼まないよそんなこと」
「なんで!?」
「なんでって、それ言い出すってことは、頼んだら付き合ってくれるんでしょ?」
「確かめんな。てかオッケー貰えるの分かっててなんで拒否……って、まさか昔の仕返しか?」
「それこそまさかだよ。単に罪悪感だの同情だので付き合って貰っても嬉しくないんだよね。優しいから、そんな気になってるだけだよ。実際に男同士で付き合うって現実突きつけられたら、逃げ出したくなるって。無理しなくていいよ。でもまぁ、ちゃんと頼んだら付き合ってやるって言ってくれたのは、嬉しいけどね」
 気持ちだけ貰っとくねと笑う顔はやはりスッキリとしていて、本当にそれでいいのかよと口にだすことは出来そうにない。
 彼は色々と吹っ切った様子なのに、自分ばかり悶々としているのがなんだか悔しかった。

 
 
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死にかけるとセックスがしたくなるらしい

 死にかけるとセックスがしたくなるらしい、というのは自分も聞いたことがある。子孫を残したいという本能だそうだ。
 目の前の男は学生時代からかなり親しくしている友人で、この彼が先日海で死にかけたという報告に関しては、素直に無事で良かったなと返した。しかしそれが、だからお前を抱かせてというセリフに繋がる理由は、欠片も理解できそうになかった。というかわかりたくない。 
「断る」
「そこをなんとか」
「嫌だ」
「俺たちの仲だろ?」
 思わず鼻で笑ってしまった。むしろそんな仲だからこそ、彼が相手になることはない。
「無理なのはお前自身、わかってるはずだろ」
「まだ毛生えてなさそうな可愛い系ビッチな男ばっか相手にしてんのかよ。てか特定の恋人はどうせ居ないんだろ。だったら俺ともちょい付き合えって」
 彼には自分がゲイだとカミングアウト済みだ。
 彼は自身が対象でなければどうでも良いタイプで、少なくとも今日以前は普通に女が好きだった。普通にというか、胸がでかくて頭の中までゆるふわっとした即やり出来る女が好きで、性別の違いはあれど同じく即やり出来る可愛い系の男ばかりと関係している自分と、そういった面で若干好みが被っている。
 つまるところ、彼は自分の好みには欠片もかすって居ないし、それは彼自身にとっても同じだったはずだ。
「まったく好みじゃない。好みのタイプならとっくにこっちから誘ってる。そうじゃないから俺たちは親友でいれるんだろーが。というかそもそも俺は抱かれる側はやらない」
「それは知ってっけど、お前だと思っちまったもんは仕方ないだろ」
「何が仕方ないだ。てか俺だと思ったってなんだよ」
「そりゃもちろん、死にかけた時思ったことだよ。お前とやってなかったのめっちゃ後悔した。あー無理矢理でもお前抱いときゃ良かったってさ」
「さりげなく物騒な言葉混ぜんな。なんだ無理矢理って。てかこれ、変なもん入れてないだろーな」
「あ、バレた?」
 目の前のグラスを掲げて見せれば、あっけらかんとそう返されてギョッとする。相手はケラケラと笑いながら、すぐさま嘘だと続けた。
「うっそー。つかいつ入れる暇あったよ」
 今居るのは雰囲気の良い個室居酒屋で、グラスが運ばれてきてから一度も席を立っていないので、確かにそんな隙はなかった。しかし彼の顔から、若干の本気を感じてしまったのもまた事実だ。
「大丈夫だって。持ってきたのは精力剤と媚薬系で眠剤とかじゃないし、犯罪する気もない」
「持って来てんのかよ!」
 思わずツッコミを入れれば無理に飲ませる気はないけど一応と返された。もちろん悪びれた様子は欠片もない。
「つかどこまで本気なんだ。お前、今まで一切男になんか興味なかったろう。てかたとえなんかの弾みで男に興味持ったとしても、俺みたいのタイプにならないだろ?」
「割とマジに誘ってるというか頼んでる。あと、確かに死にかけるまで男に興味なかったどころか今も別に男に興味があるってわけでもないけど、男ならお前以外ないってのは結構昔から思ってたよ。言ったことねーけど」
「確かに初耳だ。てかマジで俺なのかよ……」
「そーだよ」
 肯定されて大きくため息を吐いた。
「せめてお前が抱かれる側なら考えてみないこともない、かな」
 渋々とながら妥協案を出してみたが、それはあっさり否定されてしまう。
「あーうん。それはない」
「少しは譲ることも覚えたらどうだ?」
「いやだって、譲るってーか、お前こそ俺に勃たなくね?」
 タイプじゃないって言い切ってんじゃんと指摘されて、返す言葉が見つからない。
「俺はお前には勃つよ。だから抱きたいわけだけど。てかそろそろ頷いてもいい頃じゃね?」
「その自信はなんなんだ」
 弱気の滲む声になってしまったのは自分でも感じた。彼はわかってんだろと言いたげにニヤリと笑う。
「何年お前の親友やってきたと思ってんの。俺が抱かれる側なら考えるって言った時点で、お前はもう俺受け入れてるわけ」
 違うかと聞かれてすぐに違うと返せなかった時点でお察しだ。
「男抱いたことはないけど、でも多分、俺、上手いと思うよ?」
 ちょっとの間黙って身を任せてみてよと、先ほどとは打って変わって柔らかに笑う。キザったらしい笑顔だと思った。それに、確かに女性相手に培ったテクにそれなりの自信があるのだろうが、先ほどのセリフを忘れてはいない。
「薬頼りでだろーが」
「無理に飲まなくっていいって言ったじゃん」
「もし下手だったら殴って止めさせるぞ」
「はい決まりね」
 やったーと両手を挙げて喜ぶわざとらしい仕草に、乗せられてしまったと思いつ苦虫を噛みつぶした。

 
 
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ハロウィンがしたかった

 体の関係ばかり先行していた利害関係を断ち切って、随分と遠回りしまくった挙句、先日ようやく恋人となった男が予告なく訪ねて来たのは、夕飯を終えてちびちびと酒を飲んでいた21時頃だった。
 追い返す理由もないので部屋に入れたが、相手はなんだかそわそわとして落ち着きがない。それを珍しいと思ってしまうのは、凛として隙の無い雰囲気を纏っていた昔の彼のイメージが強いからだろうか。
 感情を大きく乱さない訓練をされた彼が、平静を装いきれず、隠しきれない想いに戸惑う様は愛しくもあったが、それと同時に、彼にそんな想いを抱かせる自分が、彼の側に居続けてはいけないのだと思わされた事もあった。
 その彼が、なんら隠す事なくあからさまに浮き足立つ姿を見せるようになった理由が、もし恋人という関係に起因しているのであれば、これはきっと歓迎すべき変化なのだろう。
 そう思いはするのだが、その態度を指摘して、何かあったのか、何が気になっているのかを尋ねていいのかは、やはり迷っていた。彼がこうまで落ち着きをなくす理由など、まるで想像が付かないからだ。
 それにどうせしばらく待てば、彼の方から何かしらのアクションを起こして来るだろう事はわかっている。だから今自分がすべきは、たとえ彼が何を言いだそうと、受け止める気持ちの準備をしておく事だ。
 酒を飲まない相手のためにお茶を出すだけした後は、読みかけだったレポートを手に取り目を落とす。あのまま彼を意識していたら、どうしたと聞いてしまいそうだった。
 レポートの内容などたいして頭に入ってはこないが、平静を装うことくらいはきっと出来ている。
 やがて意を決した様子で彼が口を開く。
「あ、あのさ、Trick or Treat」
 は? という内心の驚きを、音に出さずどうにか飲み込んだ自分をほめてやりたい。それでもさすがに、しげしげと相手の顔を見つめることは止められなかった。
 ハロウィンという単語も、トリックオアトリートの決まり文句も知ってはいる。しかし、言われてようやく、そういやそんなイベント日だったかと思い出す程度の認識で、自分には全く無縁の物と思っていた。
 いやでも思い返せば、彼は様々なイベントの企画運営などに関わる事も多い。仕事だから仕方なくではなく、彼自身が好きで関わっているという可能性もあるのだろうか。会場での彼を見かけることも過去には何度かあったが、確かに活き活きしていたような気もした。
 その可能性に思い至って、色々知った気になっているだけで、まだまだ知らない事だらけだなと、どうにか内心の驚きを鎮めにかかる。
 最初の驚きが去れば、次に来るのは照れと期待からか頬を上気させている彼に、何を差し出せるのかという問題だ。
 素直に菓子など用意してないと告げて、イタズラを受けるのはいくらなんでも余りに悔しい。多分それ狙いで予告なく訪ねて来たのだと気づいてしまえば尚更だ。
 酒のツマミとしてテーブルの上に出していた、乾き物のスルメイカを咄嗟に摘んで差し出した。これは自分にとっては土曜の夜のちょっとした贅沢品だから、相手の言葉に従ってもてなしの品を差し出した事に変わりはない。
 何か言われたら、大人相手なんだから菓子である必要はないはずだと言い返すつもりでいたのに、差し出されたスルメイカを彼は随分と楽しげに受け取った。
「ありがとう」
 固いねとは言いながらも素直にそれを口に運び咀嚼する。そんなものでいいのかと思ったら、やはり内心は驚きでいっぱいだ。
 いいところのボンボンでもある彼と、スルメイカという組み合わせは、似合わないことこの上ない。けれどそれを言ったらそもそも、このボロアパートの居室に彼の姿が似合わない。
 まぁ、そんなものがいちいち気になるようでは、彼の隣にいつづけることなど出来ないけれど。
「もっと食うか?」
 彼が渡したスルメイカを全て飲み下したのを見て、テーブルの上に広げたスルメイカのトレイをそっと彼の側へ押し出してみた。
「うん。貰う」
 すぐに手が伸びて、もう1切れ摘んでいく。
「これけっこう美味しいね」
「そうか。それは良かった」
「うん。でさ、お酒、続き飲まないの?」
「飲んでるが?」
「嘘。さっきから飲んでないし食べてもないよ」
 クスクスと笑われて、全く平静を装えてなかったらしいと気づく。
「驚かせてごめんね。ちょっと、やってみたくてさ」
「いや、いい。それで、お前が満足できたなら」
「うーん……満足、はしきってないんだけど、でもなかなか楽しい反応だったよ」
 満足しきっていないのか。だとしたら、足りないものはなんだろう?
 そんなこちらの思考を読んだように彼が口を開いた。
「ボクを満足させてくれる気があるならさ」
 一度言葉を区切って見つめてくる彼に、先を促すよう頷いてやる。
「君も言ってよ」
 それは当然、先ほどの決まり文句を指しているのだろう。
「なんだ。渡したい菓子でもあるのか?」
 これ美味しいんだよと言って、見たこともないパッケージの食べ物を渡される事は今までもあった。今回のもそれの延長かと思わず聞き返してしまえば、彼は楽しげな顔でとんでもないことを言い出した。
「じゃなくてさ。いたずらされたいな、って」
「おまっ……」
 流石に今度は驚きの音を飲み込むことが出来ない。彼はますます楽しげな顔で、こちらの言葉を待っている。
「トリック、オア……、トリート」
 観念して告げれば、どうぞいたずらしてと言わんばかりに腕を広げてみせる。
 まったく、本当に、予想外も甚だしい。
 色々なしがらみに隠されて見えにくいだけで、可愛い人だ、とは元から思っていたのだ。けれど元々身体の関係はあったのだから、恋人になったくらいでは、そう大きく変わることもないと思っていた。ここまで変わるなんて事は、まるで思っていなかった。
 恋人という関係を結んだ日、ずっとこの日を待ち望んでいたのだと、泣きそうに笑った顔を思い出す。どうやら自分は、彼と恋人になるという事の重大さを、少し甘く考えていたのかもしれない。
 きっと長年彼の中に鬱屈して溜め込んでいたものが、これからどんどんと噴き出してくるのだろう。
 まったく、本当に、なんて愛しい。
 どんな悪戯で彼を喜ばせてやろうと思いながら、広げられた腕の中に飛び込んだ。

 
 
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リバップル/処女を奪った友人が童貞も貰ってくれるらしい

 その男と出会い、親交が深まるにつれ、友人として好ましいという感情は当然のように湧いた。恋愛的な意味で好きなんだと告げられた時、気持ちが悪いとかフザケルナと言って拒絶することが出来ず、それどころかひとまず距離を置くという道すら選べなかった程度に、その好意は育っていた。
 そんな態度だったから、無理だとか気持ちには応じられないと口にしたところで、やはり期待はさせていたと思う。生殺しだと苦笑されてさえ、のらりくらりと今までと変わらぬ友人関係を続けようとした結果、切羽詰まった相手に押し倒されたのも、今となっては自業自得だったと言わざるをえない。
 せめて抱く側ならと消極的にOKを出したものの、女性相手ですら経験がなかった自分に、男を抱くという行為の難易度は高すぎた。はじめは抱かれる側でもいいからとまで切羽詰まっていた相手は、次回持ち越しも時間を置いての再チャレンジも許してくれず、結果的に自分が抱かれる側になってしまった。
 思いの外気持ちが良かったため、それ以降も結局抱かれるばかり回数を重ねているが、男としてこの状態を良しとしてはいなかった。というか童貞なのに非処女という現状がなんとも居たたまれない。
 自分にも抱かせろと言ったこともあるが、のらりくらりと躱されて、押し倒されて、気持よくさせられて有耶無耶になった事が何度かあって、不信感を持ち始めたというのもある。もともと相手の気持ちが「抱きたいという意味合いが強い恋愛的な好き」だったというのもあって、切羽詰まって一度は抱かれることを了承したものの、抱く側でいいなら抱かれたくはないという事なんだろう。
 まったくもってフェアじゃない。けれどそれを詰って友人関係ごと終える気になるかというと、そういう気持ちには一切ならないのだからどうしようもなかった。
 だとしたら自分の取る道は、彼ではない別の誰かで童貞を捨てるほかない。しかし風俗には抵抗感が強すぎるし、恋人を作れるスキルがあるならそもそも童貞ではなかっただろう。という所で手詰まりだった。
 彼との行為を含んだ関係はなし崩し的に受け入れているものの、それでも、童貞なのに非処女かつ男に抱かれて善がっている自分に対する絶望感は日々押し寄せる。だから、最近何か悩んでる? と聞かれた時に思わず、恋人がほしい。童貞を捨てたい。と口走ってしまったのも仕方がないだろう。
「童貞捨てたいはともかく、恋人なら俺が居るじゃん?」
「何言ってんだ。お前は恋人じゃないだろ」
「えっ?」
「えっ?」
 本気で驚かれ、こちらも驚いた。
「セックスする仲なのに恋人じゃないとか言うわけ?」
「は? セックス出来ないまま友達で居るのが辛いって泣いたの誰だよ」
「え、っえええぇぇ……?」
「何?」
「えーちょっと待って。てことはお前、俺と友達で居るために俺とセックスしたっての?」
「そうだよ。だってそうしないと俺とはもう付き合えないって言われたら、そうするしかないだろ」
「俺、恋愛的な意味でお前好きって言ったよね?」
「だからその気持ちには応えられないって、俺もそう言っただろ」
「えー……」
 いたく不満気で納得の行かない顔をされたが、そんなのこちらだって同じだ。結果的に相手の要望はほぼ受け入れた形になっているのに、なぜそんな顔をされなければならないのだ。
「じゃあ俺とこんなことしときながら、別に恋人作ろうって思ってるってこと?」
「そううまく行かないのわかってるから悩んでんだろ!」
「てかなんで俺が恋人じゃダメなわけ?」
「なんでって……」
「セックス出来るほど友人としての俺に執着してるくせに、なんで恋人にはなれねーのよ」
「そんなの……だって、お前とはずっと友人で居たいと思ってて……」
「友人兼恋人だっていーじゃんよ」
「いやでもだって、そんな、恋愛絡めてお前と揉めるのとかヤダよ」
 友人としてなら上手く行っても、恋人として上手く行くとは限らないじゃないか。そう言ったら、酷く悲しげな顔で見つめられてたじろいだ。
「約束する。もし恋人として上手く行かないと思ったら、そんときゃ友人に戻っていい。だから取り敢えずのお試しでいいから、俺の、恋人になって?」
「でもそしたら俺、お前と恋人の間はずっと童貞のままって事になるだろ。嫌だよ。今だって、こんなに居たたまれないってのに」
「気持ちよさそうにしてんじゃん」
「気持よいのと童貞なのにって思っちゃう気持ちは別なの!」
「じゃあ俺が抱かれてお前が童貞捨てれたら、ちゃんと恋人になってくれる?」
「お前、俺に抱かれる気ないだろ。それにまたどうせ出来ないかもだし」
「俺で童貞捨てたら俺の恋人になってくれるって約束してくれんなら話は別」
 恋人になってよと言いながら見つめてくる顔は、切羽詰まって押し倒してきた時とどこか似ている。卑怯だと思うのに、選べる答えは「約束する」以外なかった。
「約束な」
 嬉しそうに笑う顔に仕方ないなと思う反面、なぜこんなにも彼との友人関係に固執してしまうのかわからず、胸の中がもやもやとして気持ちが悪くなった。

続きました→

 
 
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