けれど結局、軽い嫉妬にも似た気持ちが勝ってしまった。あの笑顔を、自分に向けさせたい。
名前を呼ぶつもりで口を開いた美里は、けれど、昔と同じようにガイと呼び捨てるわけにはいかないだろうと思い至って、一旦口を噤む。
「西方、先生」
そして結局、かなりの違和感を覚えながらもそう口にした。
真っ先に反応したのは呼ばれた本人ではなく、その周りを囲んでいる女子の一人で、昨年は確か同じクラスだった。
「河東君?」
名前を呼ばれたが、申し訳ないことに、相手の名前に自信が持てない。だから美里は軽く頷き、相手の名前には触れないままで話を進める。
「先生を囲んで、なんの話をしてたんだ?」
「学校新聞への協力要請よ。ちょっとしたプロフィール調査。河東君こそどうしたの?」
「俺は……」
「カトウ、ヨシノリ?」
正直に知り合いなのだと告げずにすむ言い訳はないかと思いつつ、口を開いた美里を遮るように、雅善がゆっくりと名前を呼んだ。確かめるような疑問符付の、語尾がやや上がったその声に、美里は返す言葉が見つからない。
「知り合いなんですか?」
覚えて貰っていたという喜びを噛み締める間もなく、女子の一人が雅善へと問い掛けた。
「てことは、うっわ、ホンマに美里なん?」
瞳のあたりに面影があるとかなんとか言いながら、雅善が笑う。美里もしかたなく肯定の返事と共に頷いて見せた。
「随分でかなったなぁ。昔はワイの胸くらいまでしかなかったくせに、暫く会わんうちに立場逆転の勢いや」
壇上に立つ姿を見た時には気付かなかったが、今、目の前に立つ雅善の背は、美里の肩くらいまでしかない。美里もそれほどの高身長ではなかったから、思っていた以上に小柄だった。
昔はその顔を見上げていたのにと思うと、なんとも不思議な気分だ。
「本当にお久しぶりです。それで、色々と積もる話もありますし、少しでいいんで、時間、貰えませんかね?」
「それは、ええけど……」
笑顔をしまって、雅善は困惑の色を浮かべる。昔とはあまりに違う態度に対するものなのだとわかるから、早く二人きりになって、その誤解を解きたいと思った。
それにはまず、好奇の目をして自分達の会話を聞いている女子達から離れたい。
一応美里もサッカー部のキャプテンとして、今年の夏には、高校総体の県代表まであと一歩と言う所まで部員達を率いた実績があり、校内での知名度もそこそこだ。
校内新聞に余計なことを書かれたくはなかった。
「できれば立ち話より、どこか……そこの生徒指導室あたりに招待して貰えると嬉しいんですが」
廊下を挟んで職員室のほぼ真向かいにある部屋の入り口を指差しながら、ニコリと笑い掛ける。
「あー、うん、そうやな。えっと、ワイの権限で開けてもええんやろか? ええんやろな。教師やもんな。うん、ほな、行こか」
一歩を踏み出した所で、雅善は自分達を見つめる女子の視線に気付いて足を止めた。
「あ、っと。そっちの質問はさっきので最後やて言うたよな?」
「そうです。けど、一個追加です。サッカー部元主将の河東君との関係を教えて下さい」
「美里はな、昔、ワイと同じマンションに住んどったんや。親の転勤だとかで、三年くらい居ったな。ご近所のよしみってやつで、小学校入ったばっかだったコイツの面倒、ようみたってん」
まさかこんな所で再会することになるとは思わなかったけどと、しみじみ告げる雅善に、美里は胸の内で大きな溜息を吐き出した。これで次回の学校新聞には臨採教師とサッカー部元主将との縁が少なからず掲載されてしまうだろう。
ご協力ありがとうございましたと、元気良く告げて去って行った女子達の背を見送ってから、二人はようやく生徒指導室へと足を踏み入れる。
「まったく。生徒と幼馴染だなんて、先生自ら言っちまっていいのかよ」
背後のドアをきっちり閉めた後、まず美里がそう口を開いた。
口調を変えた美里に、雅善はようやく、先ほど美里が見せたよそよそしい態度の理由に思い至ったらしかった。
「生徒の一人と特別親しいて宣言したようなもんやもんな。あー……やっぱまずかったやろか……」
「俺が気をつけりゃいいんだろ。な、西方センセ」
「うっわ、ごっつ違和間」
「皆の前でガイって呼んでもよければ」
「ほな、ワイはビリーて呼ぼか?」
美里という名前を音読みしてビリー。
最初に言い出したのは、当然、目の前に立ち楽しげに笑っているこの男だ。
「そんな風に呼ばれるのは随分久しぶりだ」
「せやろ。けど、さすがにそれはあかんよな。生徒と先生やもんな」
けじめが大事だと諭す口調は昔と変わらない。
お隣のお兄さんだった彼には、こうして色々なことを教わってきた。
思えばサッカーだって、最初にボールを蹴りあった相手は雅善だった。
「それにしても、まさかここで美里に会うとは思ってへんかったわ」
この仕事を受けて良かったと雅善は嬉しそうに笑った。
「俺だって、まさか、もう一度会えるとは思ってなかった」
「引っ越すとき、一緒に行こて泣かれたん、覚えとるよ」
「あのころは、ガイと本気で兄弟になったつもりだったからな」
「そのくせ、引越し先から電話も手紙も貰った記憶ないねんけどな~」
「ガイだって、くれなかったろ」
美里が雅善に連絡を入れなかったのには、一応理由がある。雅善に懐きすぎていた事に不安を持ったらしい親に、雅善との接触を阻止されていたからだ。
引っ越してからすぐ、雅善に会いに行こうとして家出まがいのことをしてしまったから、多分、それが決定打だったのだろう。
雅善君とはもう会えないのだから忘れなさいと、何度も説かれた。そして、会いたいと口に出すことをしなくなり、もう会えないのだということを子供ながらも理解した。
けれどそれでも、忘れることだけは出来なかった。
「ワイは出したで? 二回ほど」
「えっ……?」
「返事ないんは、新しい生活でいっぱいいっぱいなんやろうって、そう思っとったんやけど。子供なんて、目先のことしか重要やないもんな~」
「そんなことない。手紙、届かなかったんだ、俺の所には」
親が握りつぶしたのだろうということは、容易に想像がつく。
「そうなんや。ワイ、住所間違うて書いてたんかな~」
スマンなと苦笑しながら頭を掻く雅善に、美里は親のことは告げないまま、再度口を開いた。
「もう、過ぎたことだろ。俺だって手紙出さなかったし。今、こうして会えてるんだから、それでいい。この偶然に感謝してる」
「そうやな。偶然に、感謝、やな」
ゆっくりと吐き出される言葉。どこかしんみりとしてしまった雰囲気を払うように、美里は明るい口調で話題を変える。
「そういえばガイは高原先生の代わりに来たんだよな。てことは、近いうちに授業でも会えるわけだ。どんな授業してくれるのか、楽しみにしとくよ」
「わざわざプレッシャーかけんでええっちゅうの。けど、めっさ気合入るわ。おおきに」
笑顔に笑顔を返してから、そろそろ職員室に戻らなければならないと告げた雅善に頷いて、美里は生徒指導室を後にした。
時計を確認した後、美里はグラウンドに急ぐ。この時間なら、まだ毎年恒例である、引退した三年対現レギュラーの紅白試合が続いているはずだった。
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