親切なお隣さん15

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 しかもなぜか、お隣さんは弟に取り込まれていない。お隣さんだって、弟に会ったら弟の味方になるんだろうって思ってたのに。
 信じられない気持ちもあるが、弟が不機嫌な声と態度で、お隣さんをあからさまに邪険にしていたのも事実だ。だからきっと、嫌われたと言ったお隣さんの言葉も嘘じゃない。
 いったい二人の間で、何があったんだろう?
 知りたいけれど、知らないままで居たい気もする。
「無理に引き止める気はないんだけど、一緒に食べていくのはどう?」
 弟と睨み合う中、緊迫感のない声を挟んできたのはもちろんお隣さんだった。
「お正月でちょっと奮発して色々買い込んだし、食材足りないってことはないよね?」
 足りないどころか、実はちょっと持て余し気味にある。
 家でも持ち帰った仕事をしてることが多いお隣さんだけど、さすがに年末年始くらいはちゃんと休むつもりだと言って、ここ数回の買い出しに付いてきていたせいだ。
 行き先はスーパーだけど、わざわざバイト帰りに待ち合わせているのと、お隣さんがやけに楽しげにするせいで、まるでデートでもしてるみたいな錯覚を覚えたのが少しばかり恥ずかしい。
 もしかしたら、欲求不満が溜まって、そんな錯覚を起こしているのかも知れない。お隣さんに抱いて欲しい気持ちはあるものの、結局、お隣さんに向かってはっきり口に出せてはいなかった。
 何度か口に出し掛けてるけれど、最後の最後で飲み込んでしまう。だって困らせるかやんわり断られる想像しか出来ない。抱いて貰える未来が見えなくて怖気づいてしまう。
「まぁ、金払ってるのアンタだし、アンタがこいつにも振る舞えってなら」
 手間はたいして変わらない、と返しながら、一旦お隣さんに向けていた視線を弟に戻せば、弟はますます嫌そうに顔をしかめている。
「どうすんの? 一緒に食ってく?」
「ここで作るのは許可してやるけど、食うのは兄貴の部屋で二人でがいい」
「却下」
「なんでだよ。飯代浮かすために飯炊きやってるだけなら、ここで食う必要なんてないだろ」
「アホかよ。飯代浮かすためだけでこんなの続けてるわけないだろ」
「じゃあなんだっつうの?」
 まず第一に、お隣さんの部屋のが圧倒的に居心地がいい。既に部屋の中は空調が効いて暖かいし、コタツもあるし加湿器だって大きめのが稼働してる。まだ兄の部屋の実態を知らない弟にはわかるはずもないが、快適さが段違いだ。
 次に、作ったものを幸せそうに食べてくれること。美味しいとかありがとうとか、たくさん言葉にしてくれること。相手の役に立てている実感も、相手から伝わってくる好意も、既にたくさん貰ってるけど、足りないってわけじゃないんだけど、でも、いくらだって欲しいと思ってしまう。だから貰える機会を自ら逃す気なんかない。
「俺がここでお隣さんと一緒に飯食いたいから」
「は?」
 意味がわからないという顔をされて、そりゃお前にはわからないよな、と思ったら、なんだかもう色々と面倒になってしまった。
「だいたい、お前と一緒に飯食って何が楽しいの?」
「なんだって?」
 聞き捨てならないと言いたげにまた睨まれたけれど、やっぱり気持ちは落ち着いている。
 実家にいた頃、どんな気持ちで家族の分まで食事を用意してたか、どんな気持ちで一人きりな食事をしてたか。ついお隣さんと比べてしまって苦しい思いをしたこともあったけれど、毎日幸せな食卓を囲んでいるうちに、そんな過去はすっかり忘れ去っていた。
 もう、思い出すことなんて殆どなかったのに。今またそれを苦々しく思い出してしまうのは、弟と一緒に食卓を囲む想像をしてしまったせいなんだろう。
 よくまぁ二人で食べたいなんて言えたもんだ。
「この人と一緒に食べるほうが絶対楽しいし、正直言って、お前、おじゃま虫なんだよ。そうだ。飯出来たら運んでやるから、お前、俺の部屋で一人で食えよ」
 ポケットを探って自宅の鍵を取り出し、弟に向かって放ってやる。けれどそれは受け止められることなく、弟の腹あたりに当たってから床に落ちた。

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親切なお隣さん14

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 前回までは祖父が居たから渋々ながらも正月には祖父宅で顔を合わせていたけれど、祖父が居ない正月に顔を出す気なんてあるはずがない。しかし祖母や親は当然来ると思っていたらしい。
 といっても祖母には一応事前に知らせてあったから、まさか元旦になってから電話が来ると思ってなかったし、親が何度も電話を掛けてきていたその時間は当然だがバイト中だった。
 今年は帰省しないと言ったら、お隣さんも帰省時期をずらして年末年始をアパートで過ごすと言ってくれたから、休みを貰うか迷う気持ちもなくはなかったのだけれど。でも休みを貰ったところで何をしていいかわからないというか、お隣さんと過ごす正月のイメージが欠片も湧かなかったのと、通常の土日祝日よりも更に時給がアップするとわかっていたから、バイトの方を優先してしまった。
 ただ、年越しは一緒にしようと誘われて、昨夜はお隣さんの部屋で年が明けるまで一緒に過ごした。といっても、夕飯後から年が明ける少し前まで、コタツでぬくぬくと寝てしまっていたのだけど。
 年末特有のテレビ番組が流れる部屋で、お隣さんの気配を感じながら微睡むのは、なんとも贅沢な時間だった。少なくとも、自分の中では。
 それに、今朝は少し早めに一緒に家を出て、近くの小さな神社に初詣まで行ってしまった。
 一人で寂しく過ごすどころか、例年より穏やかで楽しい年末年始を過ごしていたから、帰省しなくて大正解って思ってたのに。
 大量の不在着信には、バイト終わりにすぐに気づいた。嫌な予感しかなかったものの、放置するともっと面倒なことになりそうで折り返しの電話をかける。
 開口一番、どういうつもりだと苛立ちを隠さない声で怒鳴られたのを適当にいなして、祖父が居ない正月に顔を出す必要を感じないことと、ついでに大学を辞める気なんてないことを伝えた。春にはちゃんと戻るんだろうな、なんて言うから、戻るわけがないと知らせるためだ。学費の目処は立っていると言ったら、借金なんて許さないとか言ってたけど、アンタの許可は必要ないと言い返して電話を切ってしまった。
 大きく溜め息を吐き出しながら、今から帰りますとお隣さんにメッセージを送る。しかし、すぐに返ってきたメッセージを見て、気持ちはますます落ち込むことになった。
「なんで……」
 画面に映し出された文字は、間違いなく、弟の来訪を伝えている。
 でも、部屋の前で寒そうにしてたから保護したってどういうことだ。てかアイツは正月早々なにやってんだ。親と一緒に祖母だけになった祖父宅に行ったんじゃないのか。
 意味がわからなすぎるし、会いたくないし、憂鬱すぎる。でもお隣さんと弟を二人きりのままにしたくもない。
 嫌だ嫌だ帰りたくないって気持ちでいっぱいなのに、足だけはなぜかいつもよりよく動いて、アパートに着く頃にはすっかり息が上がっていた。
「戻りました!」
 合鍵を使って飛び込んだ先、こちらが台所と部屋とを分ける引き戸に手を掛ける前に、それがカラリと開いて少し困った顔のお隣さんが顔を出す。
「お帰り。早かったね。というか急かしちゃったかな」
 お隣さんに悪いとこなんて一つも無いのに、ごめんねと謝られてしまった。
「いえ、こっちこそ、弟がお世話になりました」
「帰宅時間を知らせて、寒いから部屋に誘っただけで、お世話ってほどのことはしてないけど……」
「えと、何か、ありました?」
 最初から見せている困り顔はそのままで、明らかに何かあったのはわかるけれど、それを確かめるのはなんだか怖い。
「てかさぁ、今、兄貴、合鍵で入ってきたよな? てことは、マジに兄貴がアンタの飯炊きやってんの?」
 お隣さんの奥から聞こえてきた不機嫌そうな声に、あれ? と思う。家庭内では王様な弟は外面がめちゃくちゃいいので、初対面の相手にこんな不機嫌な声を出すことなんてないはずなのに。
「その、弟さんとは出来れば仲良くしたかったんだけど、どうやら嫌われたっぽくて」
「は? 嘘だろ?」
「んじゃ兄貴も戻ったことだし、俺等は兄貴の部屋行くから」
 ドーモオセワニナリマシタ、と明らかな棒読みで告げながら、弟がお隣さんを押しのけて台所に姿を表す。けれど、そうだなと頷いて一緒に戻る気はなかった。
「俺に用があって来たんだろうし、まだ帰る気ないってなら俺の部屋居ていいけど、俺はまだここでやることあるから」
「まさか夕飯作るとか言うのかよ」
「まさかってなんだよ。そうだよ」
「じゃあ俺の夕飯は?」
「知るかよ。コンビニでも行って好きに買ってくれば?」
「俺がコンビニ飯なんか食わないの知ってるだろ」
「別に食えないわけじゃないだろ。それに俺の部屋、食材も調理器具もなんもないぞ。あとスーパーも今日は休みだな」
 ギリっと歯ぎしりが聞こえそうなくらい弟の顔がこわばっている。というか睨まれているのだけれど、なぜか焦りもなければ怖さもない。
 多分、ここがお隣さんの部屋で、すぐそこにお隣さんがいるせいだった。

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親切なお隣さん13

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 結婚前提のお付き合いとやらは検討しないと退けたのに、好きを認めてしまったし、あれ以来、帰宅間際に好きって言われてキスするのが習慣化している。
 なんかもう、毎回当たり前みたいに好きって言われるし、何回かに一回はこちらも好きを返すけれど、俺もと短に返しても、知ってますと素っ気なく返しても、なんなら頷くだけでも、相手はニコニコと楽しげだ。そして、決まり文句の「お休み、また明日」の言葉と共に、軽く口を触れ合わせてくる。
 慣れた素振りで受け止めているけれど、内心はそれなりに複雑だった。
 いやだって、これどういう状況?
 結局、今現在の自分たちの関係がどうなっているのかよくわからないというか、多分、恋人になったってわけではないんだろう。
 だって習慣化したのは帰り際に告げられる好きの言葉とキスだけで、それ以上の進展は特に何も無い。押し倒されたりしないし、デートに誘われたりもしない。
 どういうつもりでキスするのか聞いてみたい気もするけど、あの日の話を蒸し返されたくはなかった。でもキスしかしない理由は正直かなり気になっている。
 一応アレコレ考えてみた結果、一番しっくり来るのが、今はまだ恋人ではないから、なんだけど。
 そもそもキスだって、ちゃんと口にしてってせっついたのはこちら側だ。なし崩しで口へのキスがOKになってしまっただけで、あの時、額へのキスに文句をつけなければ、習慣化したのは額へのキスだっただろう。
 お付き合いは検討できないと言ったのは自分なのに、日々繰り返されるキスに焦れているのがなんだか悔しい。お隣さんの方はただただ満足気なので、それが余計に、悔しさに拍車をかけているとも思う。
 自分の置かれた状況は特に何も変わってないから、お隣さんとお付き合いなんて出来ないって気持ちは変わらないのに。自分もお隣さんのことが好きなんだって気持ちを認めてしまったせいで、キスの先を期待する気持ちが抑えられない。はっきりと好意を持つ相手と、もっとエロいことをしてみたい。
 でもだからこそ、自分が相手に対して持つ好意は、相手がコチラに向けている恋愛感情とは違うものなのかな、とも思う。
 もし自分の中にあるのが恋愛感情なら、お隣さんみたいに、自分の好きに相手の好きが返ってくるだけでも嬉しくて仕方がないって思えるのかも知れない。付き合うことが出来ないのに、好きって言い合えてキスまで出来るのだと思えば、幸せを感じられるのかも知れない。
 そんな想像はしてみるものの、自分には理解できそうにない感情だった。少なくとも、今の状況に幸せを感じるのは無理だし、正直、欲求不満が溜まっていくばかりで嫌になる。
 過去のパパ活でお尻を弄って得る快感を知ってしまったせいで、最近はもう、お隣さんに抱かれることを明確に想像しながらアナニーしていた。
 ペニスに装着して快感を得るために使うわけではないから、とにかく安いものを利用してはいるものの、ゴムだってタダじゃないのに。もちろん、潤滑剤だって必要だ。
 パパ活ではお尻にペニスを突っ込まれるまではしなかったどころか、指だって1本しか入れられなかったから、今まではずっとそれを真似るだけで、指を1本以上入れたことなんてなかったのに。頻度だって、お尻まで弄るオナニーは数ヶ月に1回くらいだったのに。
 お隣さんに抱かれることを考えながらするアナニーのせいで、お尻の穴は確実に広がってしまったし、頻度だって確実に上がっている。
 お隣さんにはそんな気全然なさそうだけど。抱いて欲しい欲求なんてぶつけたら、ドン引きされる可能性のが高そうだけど。
 だから余計に、自分だけ欲求不満を募らせている苛立ちやら、自分ばっかりそんなことを求めている虚しさやら悲しさに、少しずつ心が疲弊している気がする。今はまだ平然を装っていられるけれど、いつまで隠していられるだろう。
 気づかれるのが先か、抱いて欲しいと口にしてしまうのが先か。そろそろ限界が近そうだ。

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親切なお隣さん12

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 家族の話や生い立ちなどの、踏み込まれたくない時に見せるのと同じ顔をしてると指摘されて、そんなにわかりやすく顔に出ているなんて知らなかったなと思う。だからいつも、さっと察して話題を変えてくれるのか。
 あれこれ顔に出る相手を素直な人だと思っていたけど、あまり人のことは言えないのかも知れない。でもこんな指摘、人からされるの初めてなんだけど……
 と思ったところで、そんな指摘を受けるほど他者と長く時間を共有したことがないせいか、と気づく。2年間、ほぼ毎日顔を合わせて一緒に食事をしてきたのだ。家族とだって、こんな生活はしたことがない。
「もしご家族の許可が得られたら、おれとの結婚を考えてくれたりする?」
「は?」
「だっておれ自身に何かがあってお断りされてるわけじゃないなら、周りの障害を取り除いていったら、いつかはOKして貰えそうじゃない?」
 うーん、前向き。と思わず呆れてしまって、泣きそう、なんて思ってた気持ちが霧散する。
 いやまぁ、この人のこういうとこに多分かなり救われているし、だからこそ惹かれてもいるんだろうけれど。一緒にいると、嫌な気持ちを引きずることが少ない。
「家族の許可が欲しいなんて思ってないす。ただ、祖父さん死んで俺が家戻るって思ってるっていうか、俺の大学生活にちょっかい出さないようにしてくれてたのも、多分祖父さんなんすよ」
 自分の学費と同じかそれ以上、弟に援助してる可能性が高いはずだ。だから渋々ながらも口出しせずに放置しててくれるのだと思っていた。
 遺産がどれくらいあったのかは知らないが、それで賄いきれる問題かはわからない。
「うちのゴタゴタに、アンタを巻き込みたくない、す。金持ってる男を恋人だの伴侶だのにしたなんて知られたら、アンタにたかりに来るかもだし、弟がアンタに何するかちょっと想像つかないっていうか……」
「ああ、そういう感じか。というか弟さんが危害加えに来そうな感じ?」
 お兄ちゃん子なの? と聞かれて、全然と首を横に振ったものの、どう説明したらいいのかわからない。うちの王様なんですよ、なんて言って通じるとはとても思えなかった。
「あー……弟にアンタ取られたら、さすがに俺も立ち直りにどれくらいかかるかわからないな、みたいな?」
 そんなことするとは思えない。と言い切れないのが弟の怖いところだ。自分の利がデカいと判断すれば、兄の恋人を奪うことに躊躇なんてしないと思う。
 でもって、それが可能なくらいに、弟は多くの他人にとって魅力的な人物だ。ということを、自分は知ってしまっている。
「え、さすがにそれは……」
「ないって言い切れないくらいには、凄い弟なんですって」
「実際に会ったことがない以上、絶対にないから信じて、は信じてくれそうにないよね」
「まぁ、そっすね」
 うーん、と腕を組んで悩み始めてしまった相手に、夕飯冷めますよと声を掛けた。今更という気もするくらい、とっくに冷めきってるけど。
「あ、ああ、ごめん。お腹減ってるよね」
 食べようと言って箸を持った相手が、いただきますを告げるのに合わせて、自分も再度いただきますと唱えて箸を取る。
 その後はいつも通りというか、さっきまでの結婚云々とは全く関係がない雑談ばかりで過ごした。
 いつも通り、後片付けを済ませ明日の朝用の米を炊飯器にセットして、じゃあまた明日と玄関に向かえば、いつも通り後を追ってきた相手が、いつもならまた明日と応じるところを、何か言いたげに見つめてくる。
「なんすか?」
「あのさ、さっき肝心なとこ聞きそこねたんだけど」
「はぁ、なんすか」
「その、君もおれのことが好き。……って、思ってても、いい?」
「あー……」
「今はまだ、おれとの結婚を検討出来ない、ってのはわかったけど。でも俺を想う気持ちが全くなかったら、ああいう断り方は、君ならしない。……よね?」
「そ、っすね」
「じゃあ、君もおれを好きってことで」
 一応、いいよね? と疑問符付きで問われる形ではあったけれど、眼の前にあるのは、ダメと言われることを想定している顔じゃない。期待に満ちた顔は、いいですよという肯定待ちというよりは、こちらからの「好き」を待っているように見えて仕方がない。
「あー……好き、です。俺も、アンタが」
 観念してそう告げれば、相手は、嬉しそうに笑って良かったと言った。その笑顔が近づいて、慌てて目を閉じたけれど、チュッと小さな音を立ててその唇が触れたのは額だった。
 玄関の段差はあるが数センチだし、喪服が借りれるくらい身長にそう大きな差なんてないのに。つまり、わざわざ伸び上がって額を狙ったってことだ。
「え、なんで口じゃないんすか? プロポーズまでしといて、まさか未だにガキ扱いすか?」
「え、いや、そんなつもりは……」
 いいの? と聞かれて、何をいまさらと返せば、今度こそその唇が自身の唇に落とされた。

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親切なお隣さん11

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 あからさまに落ち込んだ様子の相手を前に、どうすりゃいいんだ、と思う。
 結婚なんて誰相手にも考えたことがない。それどころか、誰かとお付き合いしたことすらないのに。
 だって自分と付き合ったって、楽しいことも面白いこともきっとない。目当てはきっと別のところにある。というか弟に近づくための足がかりにされるだけだろう。
 親からもさんざん警告されたし、ずっとそんな疑心暗鬼の中で過ごしていたから、実家にいた頃は人と親しくなりすぎるのをなるべく避けてすらいた。
 この人は弟のことなんて何も知らないのに。でもこの先も何も知らないままとは限らない。自分から言わなくたって、知られてしまう可能性はゼロじゃない。
 存在を知られるだけならまだしも、もしもこの人と弟が出会ってしまったら。恋人です、とか、パートナーです、なんてのをあの弟に知られてしまったら。
 親同様、弟だって兄の大学進学を不快に思っているのは明白だ。彼は我が家に君臨する王様だから、兄が自分のために働かないことに多分かなり苛立っている。ここ数年の彼の不調を自分のせいだと驕る気はないが、全く無関係でもないんだろう。
 祖父という防波堤が崩れたこの先、もう、守ってくれる人はいないのに。この人を我が家の歪みに巻き込みたくはなかった。
 お隣さんに向かう好意はあるし、この人にご飯を作り続けたいなって気持ちや、パパ活してくれないかなと思う気持ちもあるし、それが恋愛感情と呼ばれるものと言えるのかは良くわからなくても、結婚したいほど好きって言ってもらえたのは、多分間違いなく嬉しい。家族のことがなければ、この人との未来を検討するくらいはしてたと思う。
「君に、恋愛する気持ちの余裕も、金銭的余裕も、ないのは知ってる」
 アレコレぐるぐる考えて黙ってしまえば、顔を上げないまま、相手がとうとう話し出す。
「おれの厚意をただの善意って思ってて、君を好きって気持ちを隠してたつもりはないどころか、そこそこあからさまにしててさえ、大家さんとか同様に、御飯作ってくれるから感謝してるくらいの感覚で受け止められてたのも知ってる。君からすれば、御飯作るのは食費負担が第一の目的だってのもわかってるし、簡易的なパパ活みたいなものだってのもわかってる。でももっとおれからお金を引き出せないか、みたいな様子が全然ないし、さっきなんて、お金関係なくおれとエロいことしたい、みたいに言われて、その、思わず期待、した」
 口を挟むことなく、というよりも何も言えないまま聞き続けてしまったら、最後、困らせてごめんと謝られてしまった。
「あー……その、びっくりはしたけど、嬉しかった、すよ」
 嬉しいの単語に反応して、バッと顔が上がったのが可笑しくて、少しだけ笑ってしまう。笑われて気まずそうな顔になったけれど、でも探るみたいな視線はこちらを向いたままだったから、本当に、と付け加えておく。
「なら、」
「けど検討は無理っす」
「そ、そっか」
「はい。すみません」
「いや……というか、おれがなにか変われば、検討してくれたりする? それとも、おれが何しても、おれと付き合うのは無理そう?」
 未練がましくてごめん、と言ったあと、でも聞いておきたいと食い下がられて、小さく息を吐いた。どう考えても無理なんだけど、はっきり無理って言ってしまうのが、自分自身嫌だった。
 だって、この人との未来なんていう幸せそうな夢を、自分の手で潰さなきゃいけないのは苦しい。潰したくない。夢だけでいいから、もうちょっと見続けていたい。
「なんかあるんだ?」
 期待の滲む声に首を横に振ったけれど、でもやっぱり無理だとは言えなかった。
「もしかして、このオンボロアパートから引っ越ししたくないこっちの希望は飲みたくない的な……?」
 だから言えないの? と見当違いにもほどがあることを言い出すから、さすがに慌てて否定の声を上げる。
「ち、違っ」
「うんまぁ、本気でそう思ってたわけじゃないけどさ」
 ふふっと笑われて、凄い深刻な顔してるからつい、なんていう、言い訳なのか良くわからないような言葉が続いた。
「家族絡みの何か、なんだね」
 落ち着いた穏やかな声に、なぜか泣きたいような気持ちになる。
「なんで……」
 こぼれた声は小さく震えてしまった。

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親切なお隣さん10

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 はあぁぁ、と大きく息を吐いてから、いただきますと箸を手に取る。いまだ目を見張ったままこちらを見続ける相手に、食前に話すべきじゃなかったなと思う。なんとも気まずい。
 というか、お隣さん相手にパパ活したい、ってとこから更に踏み込んだ話はするべきじゃなかったんだろう。あの言い方じゃ、お隣さんとエロいことがしたいと申し出たのと同じで、支援対象の子供からエロい目で見られてたなんて知ったら、驚いても仕方がなかった。
 言い訳が許されるなら、自分の体を安売りするなと言われたように、性的なサービスで金銭を得ることに対する否定だとしか思ってなかった。この人自身が男性の大家さん大好きだし、これだけ一緒に食事してたら恋人がいないことも、結婚願望がなさそうどころか彼女という存在すら欲してなさそうなことも知ってるし、むしろ男のがワンチャンあるんじゃとか思ってたのも事実だった。
 今はまだ驚きがその心中を支配してるっぽいけど、このあとどんな話が相手の口から出るのか、さっぱりわからないのがちょっと怖い。
 キモいとか思われて、食事作りをお断りされるのが一番困る。あ、いや、奨学金が無理な時は学費貸すって話が無くなるほうが問題か。
 お断りと説教までは覚悟できてたけど、お隣さんに切られる覚悟なんて出来てない。いやホント、なんであんなこと言っちゃったんだろう。
 お隣さんの食事を作り続けたいなんて欲求で、今の生活が変わらないような就職先を探す気で居る。というのは言わずに我慢できたのに。
 でもあれだって、そんな理由で就職の幅を狭めるな的な説教を予想しただけで、そうしたいこちらの好意を否定される想定ではなかったか。
 この人自身が、大家さんにも階下の老人にも昔お世話になった好意を隠さないのだから、この人にお世話になっている自分も、この人への好意を示していていいのだと思っていた。
 もう一度大きく息を吐いて、持っていた箸を置く。
 逸らしていた視線を相手に向けてしっかりと見返せば、そこにはもう驚きの顔はなく、何かを思案しているようだ。
 ああこれほんと、失敗した。胃のあたりがキュウキュウと痛い。
「あの、無理って言われるのもパパ活なんかダメって言われるのもわかってて言ってるんで、俺としては、さっきのは聞かなかったことにしてくれていいんすけど」
 相手が忘れてと言った失言を、忘れるなんて無理と言い返した自分が、聞かなかったことにしてくれと言うのは都合が良すぎるだろうか。
「それに、アンタの目を盗んでどっかの誰か相手にパパ活しないのも、ホントっすから」
「それは疑ってないよ。というか一つ確かめたいんだけど、いい?」
「どーぞ」
「おれと、結婚前提のお付き合いをしませんか?」
「は? 結婚?」
「って言ったら、検討する?」
「いやだから、結婚ってアンタ、何言い出して」
「結婚っていうか、パートナーシップ制度ね」
 うちの自治体にもあるよと言われて、へぇそうなんだ、とは思ったし、そんなの知らなかったけど。
「いやいやいや。急すぎ。ってかアンタ結婚願望なんてないだろ」
「なくはないよ」
「嘘つくな!」
「ホントだって。てか前にも言ってると思うんだけど。おれと、結婚してくれるような相手がいないだけだよ」
「いやだからそれが……え、マジで?」
 いや確かに、結婚に対して、相手がいればね〜みたいな濁し方をされたことはあった気がする。でもそれを、結婚したいけど相手が見つからない、という意味に取るのは無理だ。
 だってこの人がモテナイなんて思えない。この人と結婚したい女が見つからないなんて思えない。
 その気がないから探してない。とか、その気がないからお断りしてる。って考えるのが普通じゃないの?
「えと、その、なんかよっぽどヤバい性癖、とか……?」
「んー……性癖、ではないけど、特殊な要望を持ってるのは事実だよね」
「ちなみに、それってどんな……?」
「まずこの狭いオンボロアパートから引っ越したくない。って部分で大半が引くでしょ」
「あ〜……」
 それはそうだ。てか結婚したあともここに住み続けたいのか。その発想はなかったけど、言われて納得する程度には、この人がここの暮らしを気に入ってるのは知ってる。大家さんとも階下の老人とも、関わり続けていたいんだろう。
「あと2年ほど前から、食事はなるべくお隣に住む大学生が作ってくれたものを食べたい。ってのが増えて、詰んだよね」
「待て待て待て待て。え、なにそれ?」
「君に無理強いする気はないから、君がもう無理って言うまでは君のご飯を食べたいなってだけ。で、いつまで食べれるかわからないから、今は結婚よりそっち優先したい、って話だけど」
「いやいやいや。そんな執着するほど凄い飯なんか作ってないだろ」
「ご飯の味だけじゃなくて。君といっしょに食べる時間とか、君が持たせてくれたお弁当を開ける時のワクワクした気持ちとか、そういうの全部含めて、だよ。てかそろそろ気づいて欲しいんだけど」
 え、何を? と思った気持ちは相手に筒抜けだったようで、相手が諦めに似た溜め息を吐いた。
「おれが君を、恋愛的な意味を持って好きだ、ってことに」
「はああああ???」
 盛大に驚いてしまえば、相手はがっくりと肩を落としたかと思うと、机に両肘をついて顔を隠すように俯いてしまう。
 はぁあああ、と、相手からも盛大な溜め息が吐き出されてきた。

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