理解できない29

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 溢れる気持ちは音にして口からも吐いていたから、泣いてしまった理由は相手にも伝わっている。ただ、投げやり気分が続いているからか、泣き顔を晒しても先ほどみたいな悔しさはないし、みっともないと恥じ入る気持ちさえもわかない。
 どうでもいいし、どう思われてもいいし、どうしたいのかもわからなくて、気持ちが揺れるに任せて涙を流す。
 そんな中、目の前の相手が随分と困り果てた顔をしていることに気づいて、申し訳ないと思うより先にふふっと笑いが漏れてしまった。だから困るよって、言ったのに。
 先程も使ったティッシュの箱から数枚引き抜いて涙を拭い、息を整えてから口を開いた。
「俺の勝ち」
 頑張って作った笑顔は口の端が少し震えたけれど、吐き出す声は震えなかった。
「は?」
「困らせてみろって、言ってたじゃん」
「勝負はしてないだろ」
「でも俺の勝ち」
 言い張れば、はぁとため息を吐いてから、いいよそれでと認めてしまう。してない勝負の勝敗なんてどうでもいいって感じだったが、負けを認めるなら、これ以上は踏み込まないで欲しいと心底思う。
「じゃあ、もう、いいよね」
「いいって何が?」
「敗者はおとなしく帰ってって言ってるだけ」
「帰るわけないだろ」
「なんで?」
 そう簡単に帰ってくれるわけがないのはわかっていたから、努めて冷静に、短な言葉で問い返す。付け入る隙はないのだと、少しでも思わせたかった。
「なんで、って、ここで放り出して帰ったら、お前、俺が出てって寂しいだとか、俺を好きって言ったこと、全部なかったことにしそうだし」
「ダメなの?」
「ダメっていうか、嫌なの。何度だって言うけど、俺はお前が俺に対してそういう気持ちを抱いてくれたことを嬉しいって思ってるから、なかったことにされたくないよ」
「でも俺、嬉しいって言われるたび、嬉しいならなんでもっと早く教えてくれなかったのかって責めるし、泣くし、困らせ続けると思うんだけど」
 彼はいいよって言うのかも知れないけれど、そんなのは自分が嫌だった。
 本当は、相手の気持ちなんて知ったこっちゃないと、言えたなら良かったのだけれど。なるべく短な言葉で、付け入る隙を見せないようにと思っているのに、なかなか上手くは運ばない。
「それだけどさ、言い訳というか、俺の言い分、聞く気ない?」
「言い分?」
「言った所でお前が納得するかはかなり微妙な話だけどな。ただ、俺を好きになってくれたら嬉しいよって、高校生のお前相手に言えなかった事情くらいは知ってて欲しいんだけど」
「言えなかった事情……って、高校生は子供だから、みたいな話?」
「それに近い話ではあるかな」
 高校生は子供だからエッチなことはしないし出来ないと言われ続けた日々を思い出して、正直、あまり聞きたくないなと思う。だってきっと、彼の言葉はどうせまたいつも通り正しくて、納得できないと喚いた所で、相手の強い意志を前に諦め折れるしかないのだ。
「いいよ。話して」
 それでも頷き促した。これ以上踏み込まないでと思っているのに、結局こうして許してしまう。
 もともと疑問に思っていたことでもあったし、聞いたら彼が言う嬉しいの言葉をもっと信じられるかも知れないし、なぜもっと早く教えてくれなかったと責めて困らせずに済むように、なれるならばなりたかった。

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理解できない28

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「嬉しいよ」
 耳に届く声は甘やかで優しい。演技には思えなかったし、そこまで器用だとも思っていないし、つまりきっと、本心からの言葉と笑顔なんだろう。そうわかっているのに、心のどこかが嘘だと思っている。嬉しいはずがないと思っている。
「嘘つき」
 ほろりと口から零してしまった本音に、相手は肩を竦めながら、言われると思ったと言って苦笑した。
「で、どうしたら嘘じゃないって信じられる?」
「嘘だって認めるわけじゃないんだ?」
「認めないよ。だって嘘じゃないし」
 嬉しいよと繰り返す声も顔もやっぱり優しいから、ぐらぐらと頭が揺すられる気がする。信じたくて、でも信じるのは怖くて、そんなはずないと否定する自身の声が頭の中に響いた。
「でも、俺が望む通りの反応をしてくれてるだけ、でしょ」
「そう思われたくないから絶対とは言わない、って予防線を張った。ってとこまで全部晒してあげたのにそれ言う?」
「だって好きになりたいなんて言われて、困らないはずないから」
「それってどこ情報よ」
 好かれて困るなんて言ったことは絶対にないと言い切って、なのになぜ、困るはずだと確信しているのかを問われる。
「誰かに何か言われた?」
「言われてない」
「好かれて困るなんて絶対言ってないとは言ったけど、そう誤解するような何かを俺が言った?」
「言われては、ない」
「じゃあ言葉じゃなくて態度か」
 どんな態度からそう思った、と少しずつ踏み込んでこようとする相手に、違うそうじゃないと首を振って否定した。
「困るとは言われてないよ。けど、好きになれとも、なって欲しいとも、言われてない」
「そりゃ言えないだろ。っていうか、それで……あぁ……」
 直接困るとは言われなくても、好きだと思いながらもその相手に想いを請わなかったのは、好かれたら困るせいだろう。そんなこちらの推測混じりの理由で、どうやら納得できたらしい。
 相手の勢いが目に見えて萎んだ。酷く気落ちした様子で項垂れて、頭が痛むのか額に手を押し当てている。
 ほら、信じなくて良かった。そんな相手の姿を見ながら、自分は正しかったと安堵しているはずなのに、胸の中は重く淀んだままで苦しい。
 もやもやとした気持ちを抱え、それをどうすることも出来ないままぼんやりと見つめ続ける先で、相手がやがて大きく息を吐く。俯いていた頭を上げて、こちらを真っ直ぐに見つめる顔は真剣だった。
「誤解させたのは、謝る」
「誤解?」
 相手は真剣なのに、対するこちらはぼんやりとしたままだった。だいぶ投げやりな気持ちで、もうどうでも良かった、が正しい気もする。
「好かれたら困ると、思わせてたことだよ」
「まだ、誤解だって、言うんだ」
「そりゃ言うよ。お前が俺を好きだって言ってくれるのは、困るどころか嬉しいんだから」
「なんでそんな事言うの」
「事実だからだ」
「じゃなくて。なんで今さらそんなこと言うの、って事だよ」
 もっと早く知りたかった。抱かれる前に好きになっていたかった。礼として差し出せるものは、彼が唯一はっきりと求めてきたハグ以外では、この体くらいしかないと思っていたのだ。嬉しいなんて言われたら、張り切って彼への想いを育てたはずだ。そうして育てた好きを、彼に抱かれながら、差し出すことが出来たかも知れない。
 それが出来ていたら、好きだと返らない相手を抱かせずに済んだのに。苦しいばかりだったなんて言われるセックスを、彼にさせずに済んだのに。
 そんな気持ちがどうしようもなく溢れて、涙になってこぼれ落ちていった。

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理解できない27

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 口を閉じて首を横に振る。言いたくないと態度で伝え、口はそのまま開かなかった。
「ふーん……」
 そんなこちらに対して、相手もどうするべきか悩むような頷き一つを残して黙ってしまう。
 もしかして根比べだろうか。こちらが諦めて次の相談を口に出すまでこのままなんだろうか。気まずい時間が長く続くのは嫌だなと思うが、だとしても負ける気はなかった。
「あー……わっかんねぇなぁ」
 やがてぼそりとそう口にした相手をハッとして見つめてしまえば、真っすぐに見つめ返される。
「降参だ。お前が言うのを躊躇う相談てのが本気で思い浮かばない。そもそも、言われたら困る相談に心当たりがない」
 きっぱりと言い切られて、だから教えてくれと続く。根比べではなく、ずっと、こちらの相談が何か、ということを考えていたらしい。もしくは、根比べに相手が白旗を上げた結果、なのかも知れないけれど。
「望む反応ごと全部話せば、なるべくお前が望む通りの反応をしてやる。って言ってもダメか?」
「このまま俺を放っておいてくれる選択肢は? 欠片もないの?」
「ない。寂しいなら構ってやる、ってのも、あんまり嬉しそうじゃなかったからな。今を逃したらもっと拗れそうだ」
 強い意志を感じて諦めに似たため息を一つ吐き出した。相手が本気でこうと決めたことを、崩せた事がないからだ。
「まだ、望む反応なんか返ってくるはずがないって、思ってるか?」
「どうかな。だって、なるべく、だしね。絶対に、じゃないし」
「絶対に、って言ってやってもいいけど、そう約束したからお前が望む反応を返したんだって思われそうだろ。それはダメだ」
「すっごい自信だよね。なんでそう言い切れるの。困らせるよって言ってるのに」
「相談そのいちが、寂しいのどうすればいい、だったからだ。お前が俺を嫌ったり恨んだりしてて、この世から居なくなれ、みたいな物騒な方向の気持ちを育ててるわけじゃないってのがわかってりゃ、何言われたってそうそう困ることにはならないよ」
 言われて困る相談事に全く心当たりがないんだと繰り返した相手は、ふと何かに思い当たった様子でニヤリと笑ってみせる。
「俺が困ると思うなら、いっそ困らせてみろっての」
「なにそれ。煽ってんの?」
「そうだよ」
 しれっと肯定されて、もう一度深く息を吐いた。
「ねぇ、俺のこと、まだ好き?」
 やっという気になったかと待ち構えていただろう相手は、一瞬呆気にとられた顔をしたけれど、すぐに真剣な顔に戻って、もちろん好きだよと返してくれる。だから安心して相談を口に出していいのだと、背中を押してくれる。
「俺も、好き」
 やっぱり想定外の言葉だったんだろう。驚きに目を瞠った相手を真っ直ぐに見つめ続けるのはなんだかいたたまれなくて、少しだけ視線をそらして言葉を続けていく。
「今はまだ、あなたがくれる好きとは違う好きだと思うけど、それを同じ好きに変えていきたい。あなたが喜んでくれる好きって気持ちを、いつか、あなたに差し出したい。そう言ったら、俺に、協力してくれる?」
「その前に、お前が望む俺の反応は?」
「嬉しいって、笑って欲しい」
 なんだそんなこと、と言わんばかりに安堵の息を吐いてから、相手は嬉しそうに笑ってみせた。

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理解できない26

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 しかしこちらの予想と違って、彼は困り顔というよりはいささかムッとした様子の、不愉快そうな顔を見せる。
「俺が家を出たって、一人じゃどうにも出来ない困りごとが起きたら、今まで通り頼っていいって言ったろ。寂しいから構えとか、遊べとか、どっか連れてけとか、言えばいい。お前からすりゃいきなり俺が家を出てったのは事実だし、気持ちの準備期間が足りなかったって言われりゃ納得だってするし、協力だってする」
「保護者も家族も卒業したって言った相手に、そんな風に甘えて困らせたくない、って話なんだけど」
「別に困りはしないけど」
 ムッとした様子はなくなって、今度は平然と言い募る。
「なんで? 俺が段階を踏んで自立できるように、まずは一番頼りにしていたあなたが物理的に距離を置く、ってことだと思ってたんだけど」
 なのに頼って甘えてしまったら意味がないでしょと言えば、当たってるけど急ぎ過ぎだと返された。
「段階を踏んで、ってところには、俺が家を出て距離が離れたって、お前が困ったら今まで通り助けるって分も含まれてんの。ついでに言うなら、俺が居なくて寂しいって理由はともかく、お前が俺に相談できなくて調子狂う日が来るだろうってのは、実のところ想定内でもある」
「は?」
「お前が自分から頼ってこれないのわかってるから、お前の様子があまりにおかしけりゃ、今回みたいに親から俺に連絡入るようになってんだよ」
「は?」
 なにそれ意味がわからない。呆然とするこちらに、相手は肩を竦めて見せる。
「俺から離れるのにだってそれなりに段階を踏む必要があるだろ。ってのは想定内だから、寂しいから構えってのも、特別困るようなお願いじゃないよって話」
「なにそれ。なんだそれ。そんなの聞いてないし、保護者も家族も卒業って言ったくせに」
「まぁそうは言ったけども、保護者や家族を卒業したって形をとったのはお前を抱くため、って意味合いが一番強いんだよ。三年以上同じ家に住んで面倒見てきた相手を、卒業って言葉とともに放り出す気なんてもともと無いし、俺が居なくなって寂しいって思って貰えるくらい、お前に慕われてた事を嬉しいとも思ってるよ」
 本気で嬉しげに笑われて、なのにこちらに湧くのは怒りと混乱だ。また泣いてしまいそうで、でも再度抱きしめられてあやされるのはもちろん嫌で、ギッと奥歯を噛みしめる。相手のことを睨みつける。
 相手は今度こそ、少しばかり困った顔を見せた。
「寂しいならいくらでも構ってやるよってのは、お前が期待するような返答とは違ったか?」
「わか、ない」
「わかんないってなんだよ」
「どう返されたら満足なのかなんて、考えたことないし」
 ふとした瞬間に、日々のあれこれを聞いて欲しいだとか、彼が一緒ならもっと楽しいだろうとか、そう考えて寂しくなることは多々あった。だから彼の返答はちゃんと的を得ていると言えるだろう。でも、寂しいならいくらでも構ってやると言われても、ちっとも嬉しくなかった。
 どう返されたかったんだろう。どう返されたら満足が行くんだろう。嬉しいと、思ったんだろう。
 けれどそれをじっくり考える時間はない。
「望むような反応が返らないから相談できない、って言ってただろ。てことは、俺に望む反応がはっきりあるって事じゃないのか?」
「それは……」
「そういや、困らせるような相談そのいち、とか言ってたか」
 相談そのには何だと問われたけれど、もちろん、もう一つ抱えている大きな問題を、このまま彼に相談するなんて真似は出来っこなかった。

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理解できない25

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「俺が相談したら、困らせたり、呆れられたり、その、きっと嫌な気持ちにさせる、から……」
 何が怖いのと促す声が穏やかで優しかったから、釣られるように躊躇う理由を話してしまえば、やっぱり優しい声に、構わないよと返された。
 困らせても、呆れさせても、嫌な気持ちにさせてもいい。だから聞かせてと促す声に、けれど首を横に振る。
「俺が、嫌なの」
「不快になっても絶対に怒ったりしない、って約束しても?」
「だって嫌なのは怒られることじゃないし……」
「つまり、俺を困らせたり、呆れさせたり、嫌な気持ちにさせることそのものが、怖くて嫌だって話?」
「話しても、俺が望むような反応、返ってこないのわかってるからヤダって話」
 なるほどと言って、相手は口を閉ざして何かを考えている。でも考えたからって、喜べないだろうことをむりやり喜んで欲しいってわけではないし、どうにもならないと思う。
「あのさ、俺絡みの悩みで、俺に相談したくないってとこから、今からでも一緒に住みたいとか、もう一度抱いて欲しいとか、そういうお願い混じりの相談なんだろうって想像はついてるから言うけど、お前の話次第でそれも検討はする。って言ったら?」
 やがて告げられた言葉に、こんどはこちらがなるほどと思う。さすがに口には出さなかったけれども。
 なるほど。家を出た彼について行きたいとか、もう一度抱いてくれとか、一度はっきり断られた事を諦められていない、と思われていたのか。
「残念だけど、それハズレ」
「ハズレ?」
「そんなとこまで到達してない。出ていかれて寂しい気持ちをどうしたらいいのか、とは思うけど、どうしたら一緒に住めるかを考えたりはしなかった。俺を抱くのは苦しいばっかりだって言われたのに、どうしたらもう一度抱いて貰えるかと考えたりもしてない」
 もう一緒に住めないことも、もう抱いて貰えないことも、納得は出来ている。新しい住所だって知っているけど、納得できているからこそ、一度も押しかけずに済んでいたのだと言えば、相手は眉を寄せて少し険しい顔になる。
「なら他に、お前が俺を困らせると思うような、何かってなんだ」
 それはこちらへの質問というよりは、自身へ問いかける呟きだった。険しい顔も、予想が外れて、他に思い当たる何かを必至で探しているせいらしい。
「ねぇ、出ていかれて寂しい気持ち、どうしたらいい?」
「えっ?」
「困らせるような相談そのいちだよ」
 さきほど既に口に出してしまったから、気づかないなら気づかせてやれと思った。
「そのうち慣れるかなって思ったけど、全然慣れないし、むしろどんどん寂しさが増してる気がするんだけど。俺は、どうしたらこの寂しさから開放されると思う?」
「それは、」
「ちなみに、打ち込める趣味を見つけるとか、寂しさを埋めてくれる誰かを見つけるとか、そういう助言は要らないから。てか既に試したから」
「試したのか!?」
「まぁ一般論として、そういう方法が有効らしいから。でもすぐ無理ってわかったし。というよりも、無理だってことを確かめるために試した感じだし」
 何をしたって、誰と過ごしたって、彼のことがついてまわる。楽しかったことがあれば彼に話して聞かせたいと思ってしまうし、彼と一緒ならもっと楽しめるだろうとも思ってしまう。それに彼が望む想いをどうにか育てよう、なんて思っている身で、寂しさを埋めてくれる他の誰かなんて求められるはずもない。求めたいとも思わない。
 この寂しさを埋められるのは彼しか居ない、と思い知るばかりで、それは寂しさが増していく結果ともなった。でも彼にこの寂しさを埋めてくれと頼む真似は出来ないし、どうすればいいのと相談したら困らせるのだってわかりきっていた。

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理解できない24

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 観念してそっと相手の背を抱き返せば、慰めたいのか宥めたいのか、優しく背を撫でられる。いまさら遅いと思うのは、気持ちが落ち着くどころかますます涙が溢れるせいだ。
 みっともない姿を晒している羞恥と、こんな目に合わせる相手への怒りと、そのくせ嬉しい気持ちがあることに、頭の中が混乱している。色んな気持ちがぐちゃぐちゃに混ざりあって持て余している。
「う゛ぅ……」
 止められない涙に、悔しさのあまり唸った。高校を卒業するまでの三年ちょっとの間にも色々あったけれど、ここまで派手に泣いたことなんてもちろんない。
 背を撫でていた手が首に触れて、頬へと移動しかけた所で、顔を相手の胸に押し付けた。
 泣き顔を覗き込まれるなんて冗談じゃない。今度はこちらからギュウと相手にしがみつけば、頬に触れかけた手がまた背に戻って、あやすみたいに背中をトントン叩かれる。
 そんな中、相手がふふっと笑う気配がして、またしてもぎくりと身を固めてしまう。
「ああ、ごめん。お前可愛すぎて、つい」
 そう謝る声も笑いを含んでいるし、気が済むまで泣いていいからと続く声もなんだかひどく甘ったるい。なんだこれ、と思うと同時に相手を突き放していた。
 背を抱く腕はあっさりと解かれて、ようやく体を離して見上げた相手の顔は、先程までと違って随分と穏やかだ。穏やかで、嬉しそうで、でも困った様子も混じっている。
「な゛にっ」
 なんでそんな顔なの、と思いながらもどうにか声を絞り出し睨みつけてやる。笑われた衝撃と、相手の表情の不可解さに唖然として、どうやら涙はひっこんだらしい。それだけはこの状況に感謝した。
「お前があんまり可愛いから、期待しそうだよ。ってだけ。お前泣いてるのに笑っちゃったのは、ほんと、悪かった」
 悪かったと言いながら、ベッドヘッドに置いてあるティッシュの箱を取りに行く。
 それを差し出してくれる顔は、やっぱりそこまで申し訳無さそうではなかった。だって仕方ないだろとでも思ってそうだ。そこにもきっと、お前が可愛いから、という理由が隠れていそうな所が気にかかる。
 なんだかなぁと思いながら受け取ったティッシュで、涙の跡を拭いて鼻をかんでから、一度大きく息を吸って吐いてみる。気持ちはだいぶ落ち着いていた。
「で、俺が可愛いと、何を期待、するの」
 聞きながらラグの上に腰を下ろせば、ほぼ正面に相手も腰を下ろす。二人の間に折りたたみの小さなテーブルはないけれど、でももうそんなのはどうでも良かった。というよりも、抱きしめられたり泣いたりしてたらどうでも良くなった。
「それより先にお前の今の悩みが聞きたい。職場で何かやっかいな問題でも起きてる?」
「仕事は、まぁまぁ順調、と思う」
「てことは、お前の不調とか悩みとかってのは俺絡みで、だから俺には相談したくなかったってことでいい?」
「そ、れは……」
 一瞬言葉が詰まってしまったけれど、すぐに、今更かなと思う。どうせ相手はもう既に、それを確信しているだろう。
「まぁ、そう」
「俺のことで何を悩んだのか、どうしたいと思ってるのか、自分の口で俺に相談する気はある?」
 言いたくないし、相談したくないし、放って置いて欲しい。そう即答できなかったのは、追い詰められて泣かされたのに、それでも抱きしめてくれる相手の腕が嬉しかったのを自覚しているせいだ。
 でも自分の口からあれこれ言えるのかといえば、それはそれで無理だとしか思えない。だって……
「相談するの、怖いよ」
 相手がどんな反応をするのか、何を思うのか。相手が喜んでくれないとわかっている事を、わかっていながらしているのだと、自ら告げるのはあまりに勇気がいる。

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