落ちた鍵を拾ったのはお隣さんで、二人ともちょっと落ち着いてと、険悪な雰囲気を宥めてくる。
「ここで一緒に食べるのは、光熱費の節約って意味もあるからさ。出来れば君も一緒に食べていってよ。ただ、さっきも言ったように無理に引き止める気はないから、先に一人で隣に戻ってても構わないんだけど」
拾った鍵を差し出しながら、要る? と尋ねるお隣さんに、弟は渋々ながらも首を横に振って見せた。
「良かった。じゃあこれはお兄さんに返しておくね」
数歩の距離を近寄ってきたお隣さんが、手を取って鍵を握らせてくる。そのついでみたいに顔を覗かれ、何かを納得したように頷かれたけれど、多分ついでだったのは鍵を持ってくる方だったんだろう。
「思ったより落ち着いてそう」
家族との間に何かしら問題を抱えているのは知られているし、弟に会わせたくないみたいなことを言ったことだってある。
「おれもこっち居たほうがいいかな? 夕飯、なにか手伝えることある?」
多分間違いなく、めちゃくちゃ気を遣わせている。でも自分自身、不思議なくらい落ち着いていた。弟が来てると知った瞬間の激しい動揺を、ほとんど引きずっていない。
それは壁一枚隔てた先でお隣さんと弟が二人きり、なんて状況になっても、変わらないと思う。二人きりにしても、弟が付け入る隙はお隣さんになさそうだし、そもそも弟自身にそんな気がなさそうだ。それを今なら信じられる。
「いや、ないっす」
部屋で待っててくださいと言えば、また一つ頷いて見せる。
「大丈夫なんだね?」
「はい」
「わかった。じゃあ、夕飯3人分、よろしくね」
そう言って弟を促し部屋に戻っていくのを見送ったあと、引き戸がきっちり閉められるのを待って、大きく息を吸って吐いた。
気持ちを切り替えてさっさと夕飯を作ってしまおう。
冷蔵庫の中には、昨日の買い出しでお隣さんが、大晦日だしと景気よくカゴに突っ込んだ色々が詰まっているので、元々そう時間がかかるような物を作る予定ではなかったのも幸いした。
ただ、切って盛っただけとか温めて盛っただけの夕飯は、弟にはだいぶ不評だった。
「飯炊きって、このレベルなら俺でも出来んじゃん」
「出来てもお前はやらないだろ」
「年末年始くらいは楽して貰いたかったから、おれが奮発したの。一緒に買い物いかないと、自主的に楽しようとはしないから困っちゃうよね。普段はちゃんと色々作ってくれてるよ」
凄い遣り繰り上手なの知ってる? となぜかお隣さん自身が誇らしげに言うのを、弟は小さな舌打ちで返している。多分遣り繰り上手の意味はあまりわかってなくて、自慢されたことそのものが不快なんだろう。
お隣さんが誇ることか? という気持ちはあるものの、でもやっぱり、褒められて嬉しい気持ちにはなる。
まぁ喜んでばかりってわけにもいかないんだけど。だって、楽してもらいたいなんて話、今初めて聞いた。
「初耳なんすけど」
スーパーで買い物するのが珍しいせいで、あれこれカゴに突っ込んでいたのかと思っていた。あれもこれも、気になる食べてみたいって言ってカゴに入れるから、それを素直に信じてしまった。
「言ったら買わせてくれないかと思って。それに、どれも美味しそうだったのも本当だし。実際美味しいし」
美味しいよね? という問いかけに、だって値段がと考えてしまうのは仕方がないと思う。だから応じたのは値段を知らない弟の方が先だった。
「まぁ、悪くはないけど」
でもコンビニ弁当よりはマシ程度、という評価を下す弟の舌は、甘やかされて贅沢に慣れている。でもお隣さんはそんな風には思わなかったらしい。
「せっかく慣れ親しんだ味が食べれると思ったのにガッカリした?」
「は? なんだそれ?」
「あれ? お兄さんが実家にいた頃、お兄さんのご飯食べてたんじゃないの?」
「そりゃ、あれば食ってたけど」
「これがコンビニ弁当よりはマシ程度に思えるくらい、久々にお兄さんの作るご飯食べれるって思って楽しみにしてたのかなって」
美味しいもんね、というお隣さんの言葉は疑う余地もなく本気なんだけど。
「いやいやいや。こいつの舌が贅沢なだけっす。俺の飯だってコンビニよりはマシくらいにしか思ってないっすよ」
どこそこで食べたなんとかが美味かった、的な自慢をされることはあったから、美味しいって思う感覚はあるんだろうけど。でも一緒に食事をしていて、この弟が美味しいなんて単語を口にしたことはなかったと思う。
「こいつと一緒に飯食っても全く楽しくないって言ったじゃないすか。こいつ、普通の飯に美味いとか絶対言わないんすよね」
「うるせぇな。だって本当に美味いもん知ってたら、特別美味くないもんを美味いとか言わないだろ。つか兄貴の飯が美味いって、貧乏舌ってやつなだけじゃね?」
「まぁ確かに食材に拘りとかないし、そこまで自分の舌に自信があるわけじゃないけどね。でもお金を積んで食べられる美味しいご飯とは、違う種類の美味しさもあるんだよ」
あれが美味しいって思えないのは勿体ないねと、これも多分本気で言ってくれているから、胸の奥が温かい何かで満たされていく。弟を目の前にして、こんな風に自分を評価してくれる誰かがいるなんて、考えたこともなかったのに。
その誰かがお隣さんで本当に良かった。
弟の突然の来訪にどうなるかと思ったけれど、お隣さんは大丈夫。そう思ったら、嬉しいのと安心したのとで、気が緩んだんだろう。だから弟の機嫌がますます悪くなったことには気づいたものの、少しばかり調子に乗ってしまった。
調子に乗って何をしたかと言うと、帰り際、いつも通りのキスをねだった。お隣さんは気を遣ってそのまま見送ってくれようとしたのに、いつものは? と自分から口にしてせがんで、躊躇うお隣さんに自ら口を寄せていった。
なにか言われるかと思ったが弟は黙ったまま睨んできただけで、お隣さんの心配そうな「大丈夫?」の言葉に、ようやく少しばかり焦りだす。揉めるようなら呼んでいいからねと、そっと耳元に囁かれて、そういや弟の目的が何なのかも結局まだ何も知らないと思い出す。
どう考えたって何かしらの文句を言いに来たはずで、わざわざここまで来てしまうくらい何かしら腹に溜め込んでいるのだろうから、揉めないはずがないのに。これは余計な揉め事の種を一つ、自ら増やしただけかも知れない。
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楽しく読ませていただいております。
感想はエンドついてからのつもりだったのですが、弟くんがあまりにもだったので思わず!
弟くん、これはどっち…?もしやものすっっっごくこじらせたお兄ちゃん大好きなパターン…?普段外面が良いのにあからさまに敵意剥き出すくらい、受けの子が帰ってくるまでの間にお隣さんとナニがあったのでしょうか…。しかもこんなにお兄ちゃんに邪険にされたこと今までなさそうなので、何気にだいぶショック受けてそうですし、お隣さん&受けの子とは別に弟くん視点も気になります!
受けの子はお隣さんのおかげでだいぶ呼吸がしやすくなったといいますか、楽しいとか嬉しいを実感できるようになっている雰囲気なので、このまま無事に卒業してくれますようにと応援してます。
このあとの展開も楽しみにお待ちしております!!
連載途中コメント嬉しいです。ありがとうございます!
今回のお話も楽しんでもらえてて良かった〜
弟は兄に対して恋愛感情も好きとかって感情も特にない(少なくとも自覚はない)んですけど、兄も周りでチヤホヤしてくれる人と同様に、自分に好意を持って協力してくれてると思ってた感じですかね。
まだ出てきてないですけど、弟はお金かかるマイナー競技でそこそこの結果出してて、親がそれに舞い上がってお金も時間も弟に注ぎ込んじゃってるような家庭なんですよ。
その親に言われたことを信じて、兄が大学行くのは良いとこ就職して自分に貢いでくれるためと思ってたんです。
ただ、兄が家出たって自分の生活は何ら変わらないと思ってたのに、兄がいなくなってなんか色々上手く行かなくなって、祖父が亡くなって学費払えなくなったはずなのに、親はすぐ帰ってくるって言ったのに帰って来る気配もなくて、さすがにちょっと焦ってきた&親の言動をやっと疑い出したのと、上手くいかないイライラをぶつけに来た感じです。多分。
で、いざ来てみたらお隣さんとやたら仲良くやってるみたいだし、兄にはっきり否定や拒否されるのも兄を褒めまくる他人を見るのも初めてだしで、弟も内心かなり混乱してるんじゃないかと思います。
まぁ今つらつらと書いたこともまだぼんやり考えてるだけで、実際書いてみたら色々変わっちゃったりする可能性も全然あるんですけども。
まだもうちょっと終われそうにないんですけど、ハピエン目指して頑張りますので、ぜひ最後までお付き合いよろしくお願いします〜