禁足地のケモノ

 秘密の場所がある。神隠しにあうだとか異世界に繋がっているだとか、入ったら二度と戻れないと言われる入ってはならない禁足地らしいが、死のうがどこか別の世界に連れて行かれようが構わない。ただ、今の所、帰れなかったことはない。
 そこに奥へと続く道があるなんてとても思えないような木々の隙間に身を滑らせて、目的の場所へと急ぐ。とはいえ足を怪我しているため、走れはしない。それでも15分ほど歩けば、少し開けた場所に着く。
 そこにはギリギリ温泉と呼べそうな、ぬるい湯が湧き出る小さな泉があって、それを守るかのように一匹の大きなケモノが寝そべっている。四足の、犬に似たケモノが何者であるかは知らない。
 着ていた服も怪我の包帯も全て脱ぎ落とし、寝そべるケモノの前に腰を下ろせば、ようやく閉じた目を開けたケモノがのそりと身を起こす。
「おはよう」
 そろそろ日が落ちそうな時間ではあるが、構わず告げて手を伸ばした。大人しく撫でられるがままの相手を存分に撫で擦ってから、相手の耳元に顔を近づけて、お願い、とささやく。
「ね、その泉、使わせて」
 失敗しちゃったと苦笑しながら、怪我した部位を指させば、大きく腫れている上に深い切り傷まである腿のその場所へ、相手の顔が寄せられる。ふんふんと匂いを嗅いだ後、既に血は止まっているものの、パクリと開いたままの傷の上をベロリと舐められた。
「ぐぅ、んっっ」
 何をされるかわかっていて覚悟はしていたものの、痛みに堪えきれなかった声が少しばかり漏れてしまう。治したい部位を相手に舐められてから、というのがどういう意味を持つのかはわからないが、そういうものなのだと思って深く考えたりはしない。今後も生きてここを利用したいなら、深入りするべきじゃない。
 許可を貰って、泉に身を浸す。傷が癒えるにはそれなりに時間がかかる。けれどほぼ一晩、その泉の中で過ごせば、僅かな鈍痛が残る程度まで回復していた。腫れは引き、あんなにパックリと開いていた傷すら、薄っすらと赤い線が残るのみだ。
 泉から上がって、やっぱり目を閉じ寝そべるケモノに近寄った。そっとその頭をなでて、耳元に口を寄せ、ちゅっと軽く口付ける。
「ありがと。もう、大丈夫。でさ、今回も、礼は俺でいい?」
 ソコを利用するなら、それに見合った報酬を。というのはこの秘密の場所を知る者たちの間では既知の事柄だけれど、どの程度の報酬が妥当なのかという判断は難しい。なんせ相手は言葉でやりとりしないケモノなので。
 黙って受け取ってもらえれば生きて帰れる。というだけで、生きて帰った者の、このくらいの傷に幾ら払ったという情報が、時折聞こえてくるだけだ。
 満たなかった場合にどうなるかの情報が一切ないので、相手の満足行くものが提供できなかった場合は殺されるだとか食べられるだとか、別の世界に連れて行かれるだとか、つまり戻って来れないという話はそういう部分からも発生している。思うに、怪我が酷すぎて、ここまでたどり着けないとか、たどり着いても治らずここで息絶えるだとか、という理由で戻れないだけなのだろうけれど。
 なんでそう思うのかと言うと、この身を差し出して帰れた事が既に数回あるからだ。正直言えば、どうせ死ぬならこのケモノに見守られて死にたい、なんてことを思っての利用だった。それくらい酷い怪我をして、到底それに見合うと思える報酬など所持してなくて、死ぬつもりで訪れた。まさか、なんとかたどり着いたもののすぐに意識を失い、気づいたら傷は癒えていて生き長らえてしまうなんて思ってなかったし、死ぬ気で来たから差し出せるものはこの身ひとつしかない、と言って、食われるのではなく抱かれるなんて目に合うとも思ってなかった。
 多くの場合、噂を信じて訪れるのだろうから、それなりの報酬を用意し積むのだろうし、自分だって、体を差し出してこのケモノに抱かれることを報酬とした、なんて事は口が裂けても教えないから、僅かな報酬で許された者はそれを口外しないってだけだろう。
 同じように体を差し出している者がいるのかどうか、少しだけ、知りたい気もするけれど。だって、こんな真似をしているのが、自分だけならいいのにと思ってしまう気持ちがある。
 わざと危険な仕事に手を出して、ここを利用したくなるような傷を負っている自覚はある。何事も起こらず成功することも当然あるし、それなりの報酬を積むことだって簡単に出来るのに、いつだって一銭も持たずに訪れている。
 言葉を交わせないケモノ相手に、まさかこんな想いを抱く日がくるなんて思わなかった。そんな自嘲にも似た笑いを乗せて、身を起こした相手の鼻先に唇を寄せた。

 
 
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