大晦日の選択

* 恋人になれない、好きな気持ちを利用されてる、ハピエンとは言い難い微妙な関係の話です

 大晦日暇なら来てよ、という連絡がきたのはクリスマス当日の25日だった。タイミングからして、どう考えても恋人にふられたのだろう。
 予定は既に入っていたが、結局、大して迷うことなくそちらに断りの連絡を入れて、31日は夕方から相手の家にお邪魔した。
 着いてすぐから、こちらをもてなす気満々で用意されていた、茶菓子 → ディナー → 酒と軽いツマミ類という順に、延々と食べ続けている。まぁ、わかっていたので腹は空かせてきたし、もう慣れたといえる程度には繰り返しているので、食べるペースには気をつけている。
 さすがに、いくら食べてもあっという間に腹が減っていた10代とは違う。今でもかなりの大食いだと思うけれど、昔の食べっぷりを知っている相手はちょっと不満そうだ。
「もうお腹いっぱいだよ」
「じゃあ、最後にアイス。そのウイスキーにも合うはずだし、どう?」
「わかった。それで最後ね」
 言えばウキウキとキッチンに消えていく。
 グラスに残ったウイスキーをちびちびと舐めながら待つこと数分、器を片手に相手が戻ってっくる。
 差し出された器の中には、キレイな小ぶりの丸が3色詰まっていた。白とピンクと緑だ。
 相変わらず、いちいち手間がかかっている。
「ありがと。何味?」
「バニラと桃とマスカット」
 ふーんと相槌を打って、スプーンで掬ってまずは緑から口に入れる。甘酸っぱくてかなり濃厚にマスカットの味がする。どこの? なんて聞きはしないが、きっとお高いんだろう。そういう味だ。
「ん、美味しい」
「良かった」
 へへっと笑った相手が、テーブルの向かいから身を乗り出してきて口を開けるから、そこにも一匙すくって突っ込んでやった。
 何やってんだろなぁと思うが、普段食べれないような高級食品をあれこれと腹一杯食べさせて貰う代わり、と考えれば安いものだ。
「満足した?」
「まぁ、それなりに」
「まだ尽くしたりないの? それとも甘えたりない方?」
「んー、どっちも、かな」
 曖昧に笑った後、相手の視線がゆるっと下がっていく。テーブルがあるから腹から下は隠れているのに、その視線が何を思ってどこを見つめようとしているかは、問わなくてもわかっていた。
「ねぇ、」
「やだよ」
「まだ何も言ってないんだけど」
「だって聞かなくてもわかってるもん」
 初めて抱かせて欲しいと言われたのは、酒を飲める年齢になったときだった。それから何回か誘われて、でも、その誘いに応じたことはない。
「めちゃくちゃ優しくするよ?」
「知ってる。だからやだ」
 男相手の性行為が初めてだろうと、尽くしたがりを目一杯発揮した相手にドロドロに甘やかされながら、きっと気持ちよく抱かれてしまうんだろう。
「なんで? 俺のこと、好きなんだよね?」
「じゃなきゃ来てないよ」
「なら、」
「俺が慰められるのは、ご飯一緒に食べるとこまでだって言ったじゃん」
 自分の中では、セックスは恋人とするものだ。だからどんなに好きな相手に誘われたからって、それが失恋を慰めて欲しいなんて理由では断るしか無かった。
「それとも、俺と恋人になってくれんの?」
「それは……」
 そこで言い淀んでしまう相手は、一度だって「恋人になって」の言葉を発したことがない。抱かせてとは言うくせにだ。
 彼が恋人に選ぶ相手と、自分と、何が違うのかはわからない。別れた時に呼ばれはするが、恋人を紹介されたことはないし、どんな相手だったかを相手が話すこともないからだ。
「ほらね。てわけで、俺はそろそろ帰るから」
 もう一匙すくったアイスを相手に突き出しながら、言外に、甘やかすのはこの器が空になるまでだと訴える。
 大人しくそれを口に入れて飲み込みはしたものの、相手はやはり不満そうな顔を隠さなかった。
「大晦日なのに帰っちゃうの?」
「帰るよ」
「一緒に年越しするつもりだったんだけど」
 一緒に初詣も行こうよと誘う顔はなんだか必死で、年越しを一人で過ごすのが嫌なんだというのだけは良くわかって、諦めの溜息を一つ吐く。
 こちらの好きって気持ちを良いように利用されているだけだ。とは思うのに、突き放して関係を断つことが出来ない。
「泊まりはやだ。けど、帰るついでに一緒に初詣くらいはしてもいいよ」
「外、かなり寒いよ!?」
 明日の昼ぐらいに出かけたいと主張されたけれど、さすがにそこまで譲れない。
「一緒に出かけるか、玄関で俺を見送るか、俺はどっちでもいいよ」
 譲る気がないとわかったらしい相手が、苦虫を噛み潰したような渋い顔をして、諦めの溜息を吐き出した。どっちを選んでそんな溜息を吐き出したのかは、まだわからない。

ギリギリですが大晦日更新できました!
でもめっちゃ微妙〜
なんで大晦日にこんな微妙なもん書いてるんだと思いながら書いたけど、書いちゃったからには出しておきます。

 
 
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復讐されるためのお付き合い

これを最後とするべきかどうかの未来。攻め視点。

 背後から名前を呼ばれて反射的に振り向けば、そこには捨てた男が立っていた。
「久しぶり」
 笑顔はないが、怒っている様子でもない。
「……ああ、うん」
 頭の中では、なぜ彼がここにと驚きも動揺もしているが、実際ははそんな間抜けな同意しか返せなかった。
「話、したいんだけど。家、行ってもいい?」
「そ、れは……」
 彼と関係があった頃とは違って、現在は古い安アパート暮らしだ。月に数度の彼との逢瀬のためだけに、そこそこの賃貸マンションの一室を借りていられた経済状況など、今はもうなかった。
 かといって、この近辺で個室を借りて話せるような場所に思い当たらないし、そのための出費を惜しいと思う程度には金銭的な余裕もない。けれど捨ててきた男との話なんて、人の目がある場所で語れる内容でないのは明白だ。
「ちなみに、今、どんなとこ住んでるかは知ってる」
 こちらの躊躇いの意図を察したらしい。というか、ここに来たことを含めて、現在の自分の状況はかなり把握されているんだろう。探偵でも雇って調べさせたのかも知れない。
「わかった。いいよ」
 告げて歩き出せば、相手は黙って付いてくる。アパートに着くまで、結局それ以上の会話はなく、二人無言のままだった。

 
 部屋に上げて適当に座ってと促したあと、とりあえず茶を淹れにたつ。
 この部屋に他者の気配があるということが、不思議で仕方がない。しかも相手は、二度と顔を合わせることもないだろうと思っていた男だ。
 自分の中では綺麗なまま残しておきたい記憶だったけれど、これもきっと自業自得な結果の一つなんだろう。
 もともと互いの私生活を明かしもしなければ踏み込むことも踏み込ませることもなく、つまりは割り切ったお付き合いに近いものではあったけれど、それなりの期間、関係を継続していた相手に対し、何も詳細を告げずに一方的な別れを突きつけて逃げ出したのはこちらだ。
 抱き潰して、彼の言い分を一切聞くことなく姿を消してしまったわけだから、文句の一つも言わずには居られない、という心境になっていてもおかしくはない。
「どこまで知ってる?」
 お茶を出して相手の対面に腰を下ろして、まずは相手がどこまでこちらの事情を知っているかを問いかける。
「多分、それなりに。ざっくり、ゲイバレして離婚。慰謝料・養育費その他諸々で、実親からも縁を切られて、現在は縁もゆかりもないここに辿り着いて、一応は正社員の仕事についての一人暮らし。恋人の影はなし」
「調べるの、結構金かかったんじゃないのか」
「まぁ、それなりに。でも、どうしても確かめたいことがあって」
「確かめたいこと?」
「俺と恋人になりたい気持ちがあるかどうか」
「え……?」
「慰謝料も養育費も一括で払って、色んな人と縁切って、今、なんの柵もないフリーってことでしょ? その状態なら、俺と、恋人になっても問題ないんじゃないの、って」
「いや、それは……」
「俺のこと、嫌いになったから切ったわけじゃないよね?」
 もちろんそうだが、正直彼の言葉の意味が理解できない。どう考えたって、こちらが家庭で解消できないストレスやら性欲やらを解消するために会っていただけの関係だ。金銭のやり取りこそしていないが会えばそれなりのものを奢ったりプレゼントしたりしていたし、金の切れ目が縁の切れ目になって当然な相手だったはずだ。
「それともやっぱ、ちょっと贅沢させれば足開いて好き勝手させてくれる、都合がいい相手でしかなかった?」
「そんなはずないだろっ」
 思わず否定はしたけれど、だからといって、彼と恋人になりたいだとかを考えたことはない。というか彼に限らず、男の恋人を持つという人生を、今まで一度だって考えたことがなかった。
 ああ、でも、彼が言う通り、色々なものとの縁が切れて、何の柵もなくなった今は、男の恋人を作っても問題はないのかも知れない。
「いやでも、俺は、お前に執着してもらえるような男じゃ……」
 贅沢させれば足を開いて好き勝手させてくれる、などと思っていたつもりはないが、自分の欲望を開放して好き勝手するようなセックスばかりしていた自覚はある。
「あなたを本気で惚れさせて、あなたが俺なしじゃ居られなくなったら、今度は俺があなたを、捨ててやりたいんだよね」
「え、あ、ああ……なるほど」
「って、そこで納得しないで欲しいんだけど。てかそう言われたら納得して、俺の復讐のために恋人になってくれたりするの?」
「俺なんかに構ってる時間が無駄になるんじゃないのか、とは思うが、俺に復讐しないと次の相手に行けない、みたいな話なら、まぁ……」
 相手は呆れた顔になって、深々とため息を吐いている。
「じゃあそれでいいや」
「それでいい?」
「俺の復讐に付き合って」
「本気か?」
 本気だと言った相手は連絡先を交換したあと、また来るからと言ってあっさり帰っていったが、それから本当にちょくちょくと顔を見せるようになった。
 そこそこの距離があるのにものともせずやってきて、この安アパートに嬉々として泊まっていく。セックスも今まで通りでいいというが、ここに住みづらくさせてやろうという意図があるのかと思いきや、必死に声を出さないようにと気を遣っている。
 声を出すまいとする相手を追い詰めて、こらえきれずに声を上げさせる瞬間にたまらなく興奮することを、知られているからかも知れないが。
 とっくに本気で惚れている。というよりも自覚が追いついてきたという感じで、彼のことを手放しで愛しいと思うようになっている。もう、彼なしじゃ居られない状態になってそうだとも思うけれど、また来るねと満足気に笑う彼は、まだしばらく復讐を遂げる気がなさそうだった。

1ヶ月経過したので、今回の更新期間は終了します。
次回の更新は10/26(水)からの予定です。

 
 
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離婚済みとか聞いてない

 相手の惚気話の合間に昔話やらこちらの近況やらをちょろちょろと挟みながら、かつて親友だった男と、楽しく酒を飲んでいたはずだった。
 この惚気っぷりからすると、相手は今でも自分を親友と思っているのかも知れないが、互いの住まいが遠く離れている上に嫁も娘も居る彼と未だ独身の自分とではもう、生きる世界が違ってしまって昔のような気安さも信頼もとっくに消え去っている。
 それでも確かに互いに親友と認めあっていた時期はあり、昔話には懐かしさを、惚気話には僅かな胸の痛みを伴いつつも安堵を得ていた。
 幸せそうで良かった。そう本気で思える程度には、彼に対して抱いていた想いは過去のものに成り果てている。
 だから少し気が緩んだのだろう。
 気持ちよく酒に酔って、お前が幸せそうで良かったと零したついでに、俺なんかと付き合わなくて正解だったろと言葉を重ねてしまった。
「俺をふったのはお前だろ」
「そうだな」
「お前も絶対、俺を好きだと思ってたのに」
「まぁ、たしかに好きではあった」
「恋愛的な意味で?」
「恋愛的な意味で」
 にやっと笑った顔が悪戯めいていたから、軽い気持ちで同意してしまったが、その言葉を聞いた途端に相手の顔から笑顔が消えた。
「昔の話だ」
 焦る気持ちを必死で飲み込んで極力そっけなく言い放てば、そうだなと返る声も酷くそっけない。
 どうやらかなり気分を概してしまったようで、こっそりとため息を吐き出した。
 これはもう、彼の中でも親友の自分は終わりを告げた可能性が高い。それどころか、友人ですらなくなっただろうか。
 こんなふうに彼と二人で酒を飲む機会は、今日が最後かも知れない。
 まぁでもいっか、と思う。なんせ既に何度も、これで最後だろう日を繰り返してきた。結婚した時に、娘が生まれた時に、遠方への転勤が決まった時に、彼と二人で酒を飲み交わす時間など今後持てないのだろうなと思ったものだった。
「そろそろ出るか」
 疑問符は付けずにほぼ一方的にお開きを告げても、引き止める声はない。


 店を出て、駅までの短な距離を黙って歩き出そうとしたところで、唐突に腕を掴まれた。だけでなく、相手はそのままこちらの腕を引いて、駅とは反対方向へと歩き始めるから驚く。
「おいっ、どこに行く気だ?」
「うるせぇ黙って付いてこい」
 随分と機嫌の悪そうな声で返され、諦めのため息を吐き出した。彼の手が触れている腕は痛みを覚える程度に掴まれていて、これを振り切って逃げ出せるとはとても思えないし、彼をなだめる言葉も持ち合わせていない。
 過去のことだと繰り返せば、余計に激昂させるだけだろう。
 やがて辿り着いたのはいわゆるラブホの入り口だった。
「いやちょっとお前さすがに……」
「騒ぐな。静かについて来い」
「痛っ、わかった。わかったからはなせって」
 更に強く握り込まれた腕の痛みに短な悲鳴をあげて開放を促したけれど、多少力が緩みはしたものの、手を放しては貰えなかった。
 隠すことをしない何度目かのため息はやはり今回も完全にスルーされて、一切の躊躇いがない相手に引きずられるまま、あっという間に空き部屋の一つにチェックインが済んでしまう。
 惚れ惚れする強引さと手際の良さではあるが、初っ端から苦い後悔しかない。既婚のパパが何をやっているんだ、という相手への怒りだってもちろんある。
 あんなに惚気けていたくせに。幸せそうで良かったと、本気で思っていたのに。
「お前にはガッカリなんだけど。てかお前と今更どうこうなる気なんてないからな」
「お前になくても俺にはある」
「最低だな」
 嫁も娘も居るくせにと詰れば、おもむろに左手薬指に嵌った指輪を抜き取ったかと思うと、無造作にその場に落としてしまう。
「おまっ……」
 こんなに酷い真似を平然とこなすような男だったろうか。
「離婚はとっくに成立してる」
 信じられない思いで床に落ちた指輪を見つめていれば、淡々とした声がそんな言葉を伝えてくるから、慌てて顔を上げた。
「は?」
「お前が、あの時お前も俺に恋愛感情持ってたなんて言わなきゃ、ずっと言わないつもりだった。本当は今でもお前に未練タラタラで、わずかな機会を狙って飲みに誘ってるなんて知られたら、お前、ぜったい俺を避けるだろ」
 頼むからチャンスをくれ、と言った相手の声も顔も真剣で、過去のものに成り果てたはずの想いが、胸の奥で疼きだすのがわかる。
 共通の友人知人がそれなりにいるのだから、こいつが言わないつもりだったって離婚話なんて自然と耳に入ってきそうなものなのに。そう思うと、離婚話が本当かどうかだって怪しい。
 でも、無造作に指輪を放ったあの仕草から、彼の言葉を信じてしまいたい気持ちは強かった。
 揺れるこちらの気持ちを見透かすように近づいてくる相手から、逃げ出すことが出来ない。窺うようにゆるりと近づいてくる顔に、観念して瞼を落とした。

 
 
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初恋はきっと終わらない

 早朝、学校へ行く前に飼い犬を連れて散歩へ行く。時間に余裕があるわけじゃないから、毎日決まったコースを歩くのだけれど、そうすると、同じように早朝出歩いている人たちと度々すれ違う。何度も同じような場所ですれ違っていれば互いに顔くらいは覚えてしまうもので、通りすがりに黙礼し合ったり、中にはおはようと声を掛けてくる人まで居た。
 そんな日々の中、どうにも気になる男が出来た。
 その男は走っている人で、いつも向かい側からやってきてすれ違う。言葉をかわしたことはないが、こちらに気づくと少し嬉しそうに微笑むのが丸わかりで、それがなんとも印象的だった。
 既にそれなりの距離を走ったあとなのか、そこそこ息も乱れているし汗もすごいのに随分と余裕があるな。というのが初期の印象で、でも、だんだんとその優しげな笑みが気になるようになってしまった。
 といっても、彼の視線の先にいるのは間違いなく自分の連れた犬で、その微笑みが自分に向けられたものでないことはわかっている。わかっているのに、なんだか無性にドキドキするから困ってしまう。なのに、雨が降ったりで散歩に出られない朝は酷く残念に思ってしまうのだ。
 1分にも満たないその時間を、毎日心待ちにしていることを、嫌でも自覚するしかなかった。
 顔しか知らないその男に、どうやら恋をしているらしい。
 女の子にいまいち興味が持てなくて、自分の性指向やらに疑問を持っていた時期だったのもあって、その結論は、ストンと胸の中に落ち着いた想いだった。ただ、それがわかったところで、その恋をどうこうしようなんて気持ちは全く無かったし、相変わらずただすれ違うだけの日々を送っている。
 黙礼されれば黙礼を返し、おはようと言われればおはようございますと返しはしても、自分から積極的に声をかけていくタイプではないし、こんな朝が少しでも長く続けばいいなと願うくらいしかしていない。
 まぁ願ったところでそんな日々の終わりははっきりと見えていて、大学に入学して実家を出れば、毎朝の散歩は出来なくなってしまう。
 初恋かもしれないこの想いは、高校卒業と同時にひっそりと終わるのだ。


(ここから視点が変わります)
 日課の早朝ランニングで出会う、犬を連れた男の子と最近会わなくなってしまった。最初の数日は風邪でも引いたかと心配したが、すぐに、春だからだと思い至った。
 間違いなく学生だったから、進学か就職かでこの地を離れたんだろう。
 心配はなくなったが、今度はひどく落胆した。あの微笑ましい光景をもう見れないのだと思うと、朝走るモチベーションがかなり下がってしまった。
 ランニング中、ほぼ同じ場所ですれ違うその子を認識するのは早かったと思う。そこそこの大きさがある雑種らしい犬は愛嬌のある顔をしていたし、その犬に向かってあれこれ語りかけながら歩く姿が珍しかったからだ。
 飼い犬相手になにやら楽しげに話をしながら歩いていた彼は、通りすがりについつい聞き耳を立ててしまう自分に気づいてか、いつからか通り過ぎる前後にキュッと口を結ぶようになってしまった。でも少し恥ずかしそうに、こちらが通り過ぎるのを待っている姿も、それはそれで印象に残るのだ。
 こころなしかこちらの姿が見えると相手の歩調が緩む気さえしていて、相手が男の子で良かったと思ったこともある。女の子だったらもしかして俺に気があるのでは、なんて誤解が生じそうな可愛さがあったからだ。
 それらを微笑ましい光景として記憶している辺り、男の子で良かった、とは言い切れない気もするが。
 ただもう今更でしかない。互いに顔しか知らず、名前も住んでいる場所もわからないのだから、二度と会うこともないんだろう。
 そう思っていたのに、朝走るのを止めて夜走るようになったら、彼の犬とだけはあっさり再会してしまった。
 大きさや愛嬌のある顔から間違いなくあの犬だとわかって、思わず「あっ」と声を上げて足を止めてしまえば、その犬を連れていた女性に相当訝しがられてしまったけれど、しどろもどろに以前早朝によく見かけていたという話をすれば、あっさりあの彼が息子だということや大学進学で地元を離れたことを教えてくれた。
 彼の母親は彼ほど決まった時間に決まったコースで散歩しているわけではないようで、たまにしか会うことがなかったが、会えば挨拶を交わす程度の関係になった。
 その彼女から、彼が夏休みで戻ってくるから暫くはまた犬の散歩は彼の役割になる、と聞かされたのが10日ほど前だ。だが、早朝にもどしたランニングで、以前と同じように彼と出会うことはない。彼はもう戻ってきているはずなのに。
 期待した結果とならず、気落ちして朝のランニングをサボった代わりに走りに出た土曜の夕暮れ、いつも彼とすれ違っていた場所にある小さな公園から話し声が聞こえてなんとなくそちらへ顔を向けた。
「いたっ!」
 思った以上の大きな声が出て、相手がビクリと肩を跳ねたのがわかる。驚かせてしまったらしい。でもそんなのは気にしていられず、逸る気持ちのまま彼へ向かっていく。
 名前や連絡先やらを聞いたら驚かれるかも知れないが、この機会を逃す気はなかった。

夏休みの男の子は、母が彼と会って時々話してるというのを聞いて、夜散歩なら自分も相手と話せるかもという期待から、母が会ってた時間帯に散歩してました。

 
 
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勝負パンツ3(終)

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 短パンを引き下ろした先、あらわれたピンクのフリルレースには、中央にワンポイントで小さなリボンが付いている。その下には少し長めの白いフリルレースがついていて、その下の光沢あるピンクの身生地の縁にも、やはり白のレースがあしらわれていた。
 なぜこれを選んだか、というのは明白だ。あの日、彼に見せた下着がこれだったからだ。他にも数種ある色の中からピンクという色を選んだのだって、このショーツの宣伝写真の1枚目がピンクだったからなんだろう。
 いつか着せたいとお気に入りに入れていた中で、あの日、これくらいなら見せても引かれないかと思ったものだ。まぁ、見事に変態と言われたわけだが。
「ほんっと、可愛いなぁ、お前」
「言うなっ」
 ぶっきらぼうに言い放たれたけれど、照れているだけなのはわかっている。
「これ、俺が見せたの、ちゃんと覚えて帰ったってことだろ? 俺がお前に着せたくて、お気に入りに入れてたやつ」
「そりゃ、だって、こんな恥ずかしいもん着るなら、少しでもお前の好みに合わせたいっつうか」
 もごもごと言い募る顔は既にかなり赤かった。
「うん。すげぇ嬉しい。あの時、変態だなって呆れた顔してたから、可愛い勝負パンツ、買うとしてももっとシンプルなの選ぶかと思ってたから。すげぇ似合ってるし、可愛いよ」
 本気で? と問いたげな視線に頷いて、再度、可愛いし似合ってると繰り返してやれば、安心したのかフニャッと緊張の緩んだ笑顔を見せる。その顔がまた、めちゃくちゃ可愛い。
 言われ慣れていないから苦手に思うだけで、恋人である自分に、可愛いと思われることそのものを嫌がられているわけではないことはわかっている。恋人に可愛がられるのが嫌だなんて相手だったら、そもそもこんなに長く恋人関係を続けられるはずがない。
「なんか脱がすのもったいないな。ああでも、とりあえず上、脱がせていい?」
 上がTシャツのままよりも、フリルの下着だけを着けさせた彼を見たかった。欲を言えば、上もフリルで覆いたいけれど。
 あっさり頷いて、脱がすまでもなく自分でTシャツを脱いでしまった彼の胸に手を置いて。
「いつかこっちも、フリルで飾りたいよな」
「えっ……」
「絶対かわいい」
 言い切ってやれば、困ったように眉を寄せてしまう。
「無理して着せたいとは思ってないんだけど、メンズ用の可愛いブラとかもあるからさ」
「マジか……」
「変態でゴメンな。でもこんなに可愛いお前を、もっともっと可愛く飾って可愛がりたい。だからさ、今度、お前に似合うようなの探しても、いい?」
 それとも一緒に探そうかと誘ってみたが、さすがにこれに頷いてはくれなかった。けれど、探すことそのものは、どうやら許可が降りたらしい。
「お前が、選んで。お前の目がオカシイ前提だけど、俺に絶対似合うやつ」
 目はオカシクないしお前は可愛いんだと力説してやりたい気持ちを抑えて、とりあえずは任せておけと自信満々に返しておいた。

<終>

※ 今回参考にした下着はこちら メンズ ショーツ ・ フロントダブルフリル サイドバインダー【CREAL】【男性下着】

それとは別に、アガソス・スタイルというショップが結構気になってる。特にミニスカ系。

 
 
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勝負パンツ2

1話戻る→

「え、うそ、まじで買ったの? あれを?」
「冗談だったとか、言うなよ?」
 ぶん殴りそうだからと物騒な言葉が続いたけれど、もちろん冗談だったなんて言うつもりはない。ただ、本気であれを用意するなんて、欠片も思っていなかっただけだ。
 前回、風呂場からシンプルなXバックの下着一枚で出てきたこの男は、すげー勝負パンツ買ったんだと自慢げに見せびらかしてきたので、勝負パンツだってならこういうのを穿いてくれと、フリル満載なメンズ下着の通販ページを見せた記憶が確かにある。めっちゃ蔑むような視線をよこされ、変態だなって言われた記憶もだ。
 彼が抱かれる側ではあるが、彼に女性的な要素は欠片もないどころか、どちらかといえば男らしいと言われるタイプなので、際どい下着でもスポーティーなものであればそう抵抗なく穿いてくれそうではある。社会人になっても筋トレを欠かさない彼には、そんな下着もきっと違和感なく似合うとも思う。
 でもだからこそ、フリルに纏われた彼を見てみたいと思うし、きっと可愛いだろうなと思ってしまう。格好良い彼を見れる機会は多々あるけれど、可愛い彼が見れる機会というのは少ないので尚更だ。
 格好良くてセクシーで可愛い恋人の、可愛いところを存分に可愛がりたい欲求を持つのは仕方がないと思う。だって可愛いんだから。
 ただまぁ、絶対に嫌がられるのはわかっている。彼に向かって可愛いと躊躇いなく言うような人間が少なすぎて耐性がないのか、可愛いと言われるのは苦手らしい。
 そんな彼に、可愛い下着を着けてくれだとか、その姿を可愛がらせてくれだなんて、言えるはずがないだろう。けれどメンズ下着にも可愛いフリル製品があると知ったときから、恋人のこの男に穿かせてみたいとずっと思っていた。
 前回、勝負パンツだなんて言うから思わず願望がこぼれ出てしまったけれど、その願望が叶うなんてことは欠片だって思っていなかったのに。
「冗談だったなんて言うわけ無いだろ。すげーみたい。脱がしていい?」
「や、やだ!」
 予想外すぎる出来事に、興奮を前面に出しすぎてしまっただろうか。だいぶ引き気味に断られてしまった。
「なんでよ。俺に見せるために着てくれたんだろ?」
「今めちゃくちゃ後悔してる。てかやっぱ着替えてくる」
「じゃあ俺も行く」
「は?」
「せめて着替えるとこだけでも見たい。てかお前の可愛い下着姿、絶対見たい」
「それじゃ意味ないだろ。やっぱ見られたくねぇって言ってんだっつの」
「だからなんでだよ。俺のために選んだ、俺を喜ばせるためのパンツだろ。俺に見せないでどーすんだ」
「そ、だけど、でもなんか、」
「でもなんか、なに?」
 言うのを躊躇うような素振りに続きを促してやれば、渋々と言った様子で口を開く。
「なんか、お前が勝負パンツにすごい興奮してて、やだ。見る前からそんな興奮してて、見られてがっかりされるのも嫌だし、見られてもっと興奮されるのも、なんかやだ。あんなパンツにここまで興奮されんのかと思うと、なんか、悔しい」
「いやちょっと待って。え? パンツに嫉妬してんの?」
「だってお前がセックス前にこんなテンション上げてんの、珍しい」
「それはどっちかって言ったら、パンツじゃなくてお前が可愛いせいだよ。お前の可愛い下着姿に興奮するんであって、フリル付きパンツ単体に興奮できる性癖はさすがにないぞ」
「何言ってんだ? 俺が穿いたら萎える要素のが強いだろ? あんなパンツ、絶対似合ってないんだから、想像で興奮してんならがっかりするだけだぞ」
「いやいやいや。何言ってんのはお前の方だって。今現在、俺のために似合わないと思いながらフリルパンツ買って穿いて緊張してるお前、それだけでめっちゃ可愛いから。あと見ないままで断言するけど、絶対似合ってるから。絶対可愛いから。がっかりなんて絶対しないから」
「そこまで言うのかよ」
「言うよ。だって絶対可愛いもん。お前がこんな緊張してるってだけで、今、本当にあの日俺が見せたような、フリル付きのパンツ穿いてんだって信じられるからな」
 どんなの買ったのか見てもいい? と尋ねれば、ようやく観念した様子で頷かれた。

続きました→

 
 
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