親切なお隣さん1

 連日熱帯夜が続く日々の中、調子が可笑しいと思っていたエアコンがどうやらとうとう壊れたらしい。
 部屋の窓を全開にしたところで風はなく、とても寝ていられないと、とうとう部屋を飛び出し廊下の手すり壁にぐったりと寄りかかる。
 部屋に風は入ってこなかったが、無風というわけではなかったらしいのが救いだ。
 横から流れてくる風に当たりながら、部屋にいるよりはマシだなと思うものの、この状況はかなり最悪だった。明日もバイトが詰まっているし、このまま眠れないのは結構困る。
 寝不足で倒れてなんかいられない。
 というか、多分エアコンの買い替えが必要だが、買いに行く時間の捻出と費用の捻出もどうしよう。確実に数万は飛ぶんだろうと思うと、ため息しか出てこない。
 けっこうカツカツな生活で、そんな金銭的余裕、全然ないのに。
 スマホを取り出し登録された連絡先を上から眺めてみるが、もちろんそこに助けを求められるような相手なんていない。
 再度ため息を吐いたところで階段を登ってくる足音が聞こえたが、ご近所さんの目を気にする気力なんてものも当然なかった。こんな場所に住み、こんな時間まで働いてるような相手にだって、きっと他人を気にする余裕はない。はずだ。
 引越しの挨拶なんてしたこともされたこともなく、この古いアパートの他の住人なんて、斜め下に住む高齢の男性くらいしか知らない。見かければ挨拶くらいはするが、それだって無視したら絡まれて面倒だからという理由が一番大きく、できれば会わずにいたい相手だった。
 だから今階段を登ってきている誰かにも会ったことはないし、わざわざ振り向いたりこちらから挨拶したりしなければ、相手もそのままスルーして通り過ぎてくれると思っていたのだけれど。
「あ、こんばんは」
 階段を登りきったらしい相手が、こちらの存在を認識したのとほぼ同時に、声をかけてきた。挨拶されてはさすがに無視できない。いやこれは階下の老人の影響で、以前の自分なら、関わりたくないオーラ全開で無視していたかもしれないが。
「あー……ども」
「そこの部屋の人ですか? こんな時間にこんな場所で何を?」
「あー……エアコン壊れちゃって」
「え、大変だ。もしかして眠れなくてここに? それなら、うち、来ます?」
「は?」
 何を言われたかわからなくて呆然と相手を見返してしまう。
「おれ、隣の住人なんですけど」
 そう言っていきなり自己紹介を始めた相手を、やっぱり呆気にとられながら見ていたら、最後に名刺まで渡されて意味がわからない。
「え、えと……」
「あー、つまり、怪しい者ではありませんよ、的な」
「あー、はい、それはわかりました。けど……」
「部屋の構造一緒なんで、お客用の別室を用意したりは無理ですけど、もう一組布団敷くくらいのスペースはありますから、うちに来ませんか?」
 マジで言ってんのかとようやく理解はするものの、当然、じゃあお世話になります。なんて言えるわけがなかった。
「いやいやいやいや」
「そんなに嫌ですか? ここで一晩過ごすほうがマシ?」
「じゃなくて! 頭、大丈夫すか? 俺のこと少しは怪しんだ方がいいんじゃないすか」
 こっちは自己紹介をしたわけではないのに、いきなり自宅に招こうとする理由がわからない。警戒心てものがないんだろうか。
「あそこの大学の学生さんで、世間知らずっぽいとこは多いけど悪い子ではなさそう。って聞いてるから大丈夫」
「は? 誰に?」
 相手が告げた名前の二人のうち、一人は階下のご老人だが、もう一人がわからない。
「え、誰?」
「大家さんだけど。あれ? 契約書に名前あるよね?」
「あー……そうだった、かも?」
「え、じゃあ、もしかして大家さんと直接あったことない?」
「逆に、会うようなことってあります?」
 家賃は銀行口座からの引き落としだし、間に不動産屋だって入っているのだから、大家と直接会うというのがよくわからない。
「時々様子見に来てるし、それこそエアコンの不調の相談とか。近いし、不動産屋挟むより話早いし、俺がエアコンの調子悪くなったときは直接押しかけちゃったけど」
「え、エアコンの調子を大家さんに相談するんすか?」
「だってここ、エアコン付き物件だし。故障したら貸主負担でしょ?」
「マジすか。じゃあ大家に言えば直して貰えるんすか」
「ああうん、そう。てか知らなかったのか」
 買い替え費用とか掛からないから大丈夫だよと言われて、安心のあまり目の前が滲む。
「てわけで、再度のお誘いになるけど、今日のところはうちにおいでよ」
 取って食ったりしないし涼しいよと言われて、とうとう頷いてしまった。

続きました→

 
 
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