サーカス13話 オマケ1

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「引き止めなくて、良かったわけ?」
 閉じてしまったドアを呆然と見つめ続けるガイに、オーナーはやれやれと言った調子で話しかけた。ピクリと肩を震わせて、ガイはようやくオーナーへと視線を移動する。
「というより、自由になった君はこの後どうやって生きて行くのかな?」
 ビリーは知らなかったようだが、オーナーは当然、ガイの両親がすでに他界していることを知っている。頼れる親戚もなく、多額の借金だけが幼いガイに残されたのだ。
 ある意味、最初にガイを救ってくれたのはこの目の前のオーナーだ。ここへと連れて来られたばかりのころは、それすら理解できていなかったけれど。
 今では、このオーナーの大切な友人を傷つけたことを申し訳なく思っていたし、ビリーの元でのイロイロが、その傷の代償だったのだとも思っている。そして、そんな罰を科した目の前の人物に、多少は感謝もしている。何より、自分を託す相手に彼を選んでくれたことがありがたい。
 身体と心を作りかえられる恐怖にさえ打ち勝てば、ビリーとの生活はそんなに辛いものではなかったからだ。
 最初は素っ気無い態度と冷たい視線が怖かったが、彼は彼の立場を維持するために、本来持っている優しさを隠しているのだと、途中で気付いてしまった。そしてそれに気付いてしまった後は、彼との生活の終わりが、一日でも遠ければいいと願うようにすらなっていた。
 それくらい、いつの間にかビリーのことを好きになってしまった自分を、ガイはしっかりと自覚している。
 考える時間だけはたくさんあったし、セージからの本やビリー自身が贈ってくれた辞書は、そんな自分の思考を色々と助けてくれた。
 性のペットだなんて言いながらも、そういった物を惜しみなく与えてくれたビリーに。せっかくの仕事の報酬を、自分のために投げ出してしまったビリーに。自分はまだ何も返せていないと、ガイは悔しさに似た気持ちで思う。
「ワイを、ここで、働かせて貰えんやろか……」
「いいけど、君が出来るような事って言ったら、その身体を使った奉仕くらいだろう? せっかくビリーが大金払って自由にしてくれたのに、君はそれでいいのかい?」
 ビリーが言っていたように、取り敢えずはセージを頼ってみる方がいいのではないかと言うオーナーの薦めに、けれどガイは首を横に振った。
「飼われるのと、仕事は、ちゃう。ビリーにその金返すためやったら、なんでもするで」
「それをビリーが喜ぶかは別問題、と思うけど。まぁ、原因の一端を担ってる立場として、君の事は僕が買うことにするよ」
「オーナーが、ワイを?」
「君がこれだけの金額を稼ぐまでの専属契約。そうだね、1ヶ月でどうかな。1ヶ月、君は僕の求めに逆らわず奉仕する」
「たった、1ヶ月……?」
 ビリーが残して行った机の上のケースには、ガイが目にしたことのない程の紙幣が詰まっている。何年掛かっても返すつもりの覚悟を決めて、身体を使った仕事を選んだガイにとって、その数字はあまりにも短いように思えた。
「君は僕を嫌ってるかもしれないけど、だからこそ、そんな君が僕にかしずき奉仕する姿には価値がありそうだ。もちろん期間中の衣食住はこちらが用意するし、そんなに悪い条件でもないと思うけど、どうする?」
 どうするもなにも、こんなにも条件の良い仕事を断る理由などあるはずがない。即座に了承の意思を告げたガイは、オーナーへ向かって頭を下げた。

 
 飽きた。とオーナーが言い出したのは、ガイとの専属契約を結んだ日から半月足らずのことだった。
「だってガイ、君ってば本当になんでもするし、させるからね。もうちょっと、嫌がるなり辛そうな顔を見せるなり、前みたいに睨みつけてくるなりするかと思ってたのに」
「仕事やからです。それに、そういう風に、ビリーにワイを変えさせたん、オーナーやないですか」
 実の所、忙しいオーナーがガイとの行為に時間を裂くこと自体が少なかったので、ほんの数回しかガイは相手をしていない。だから尚更、ガイも躍起になってオーナーの要望に応え続けてきたのだが、それが原因で飽きたと言われても困ってしまう。
 オーナー以外に、こんな好条件でガイを買おうという人間はいないだろう。なるべく早く、ビリーにお金を届けたいガイとしては、できれば契約期間の最後まで仕事を続けさせて欲しかった。
「それは、そうだけど。一つ聞いてもいいかな、ガイ」
「なんですか?」
「君、僕の事、怨んでる?」
「……あの人のこと、傷つけてしもうたんは、ワイが悪かったと思うてます。せやから、怨んでるてのとはちゃうと思います」
「君から、謝罪の言葉を聞く日がくるとは思わなかったな」
 驚きと困惑の混じる微笑を見せるオーナーに、ガイはどこか楽しげな笑顔を返しながら。
「ホンマは、感謝してんねん。ビリーを選んだん、オーナーやろ?」
 親しみを感じさせる、少し砕けた口調で吐き出されたセリフに、オーナーは大仰に肩を竦めて見せる。
「まったく。ビリーやセージが君に入れ込む気持ちが少しだけわかった気がするよ」
 おいでと言いながら椅子から立ち上がったオーナーに続いて、ガイも座っていた椅子から立ち上がる。
「ここに。僕の目の前まで、おいで」
 指示された通りに目の前まで移動すれば、今度は両手を差し出すようにと言われた。
「君との契約はこれでおしまい。もちろん契約通りの報酬を払うし、後半月はここに住んでて構わない。次の仕事も、君が望むなら出来る限り世話するよ」
 両手の上にズシリと乗せられたそれは、ビリーがあの日受け取る事のなかったケースだった。中身も当然、あの日のままなのだろう。
 ガイは言葉もなく、目の前のオーナーをただただ見つめてしまった。
「僕の気が変わらないうちに、ビリーの所へそれを持っていったら?」
 苦笑されて、ようやく。ガイは渡されたケースを一旦床へ降ろすと、オーナーへ向かって両手を伸ばし抱きつき、腹へと頭を擦り付ける。
「どういうつもり?」
 抱き返される腕はなく、困惑の声だけがガイに落ちる。
「おおきに。ホンマ、感謝しとる」
「いいよ。君にそんなこと言われても、却って気味悪い」
 ポンと頭の上に乗せられた手に促されて顔をあげれば、スッと降りてきた唇が、軽くガイの唇を塞いだ。
「契約外だけど、これくらいなら構わないだろ?」
 ニコリと笑うオーナーに、ガイも黙って頷いて見せる。
「ほら、もう行きな。本当に気が変わったら、困るだろう?」
 床に置いたケースを取り上げて、再度ガイの手にそれを握らせたオーナーは、ガイの体の向きをクルリと変えて背中を押し出した。

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