サーカス5話 引き止める

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「待て、セージ」
 ビリーは背中を向けたセージを呼び止める。
「ガイを館に置いてるのは俺の意思だ。定期的な連絡も貰ってる。お前が心配する必要なんてない」
「なぜ、そんなことを……?」
「二度と、逃げ出そうなんて気を起こさないようにするためさ」
「それは、君が、オーナーのためにその子供を調教してるから?」
 ビリーは深い溜め息を一つ吐き出した。そういう噂が出ている事は知っていたし、だからなんだとも思っていた。そんなものは与えられた仕事をこなしているだけのビリーには関係がない。
 その噂がオーナーにとって不利になるようなら、オーナー自身が手を打つだろう。他人に、子供を相手にそういうことが出来る男なのだと思われようが、いずれ遠くない日にこの場所から去る予定でいるビリーにとってはどうでもいいことだった。
 それは相手がセージであっても同じ。
「そうだ。と言ったら、どうするつもりだ。それを知っても、お前に何かができるわけじゃないだろ?」
「事情がわかれば、何かしら助ける事だって出来るかもしれないじゃないか」
「俺が動くのは金のためだけだ。それはお前も知ってるだろ」
 誰かの助けなど、カケラも必要ではない。半ば強制的だったにしろ、自分の意思で選んだ仕事だからだ。
 今度は、そんなビリーの気持ちを汲み取ったセージが、溜め息を吐き出す番だった。
「君が、その件で僕に手を出させないと言うことは、知ってる」
 セージはビリーがこのサーカスに在籍する理由を知る数少ない人間の一人だった。けれど、金銭的に余裕があるセージからの援助話を、ビリーはきっぱりと断っている。
「お前のは施しに近い。この場所で、誰かに借りを作りたくはないだけだ」
「仕事と割り切れば、女性の相手をする事も、子供を調教することも、躊躇わない男のくせに」
「金を積まれても、俺には男の相手をする気はないと言ったろ」
 それは嘘だ。現にガイは男だし、抱く側であるなら相手が男だろうが女だろうが大差ない。
 ただ、今目の前にいるこの男と、金銭を絡めたセックスをしたくない。その程度には、友人としてセージを受け入れていた。
 ビリーは口にも態度にもそれを表すことはなかったが、セージも薄々わかっているようで、その件に関して深く口を挟んでくることはない。
「君の事情はわかったよ。でも、その子供の事は? 本当に、調教なんてこと、しなきゃならないわけ? ましてや、館で働かせるなんて……」
「俺がやらなきゃ、他の誰かがやるだけさ。アイツはオーナーの友人に消えない程の深い傷を残したらしいしな。館に置いてる事をオーナーが知らないわけないが、何も言ってこないぜ?」
 セージは何かを悩むように眉を寄せる。
「しゃべり過ぎたな。でも、お前の出る幕じゃないってのはわかったろ」
 言外に出て行って欲しいと言う気持ちを込めたビリーに、セージは小さく頷いてから背中を向ける。
「余計な心配はするなよ」
「君の、仕事の邪魔をしない程度にしておくよ」
 部屋を出て行くセージの背中に向かってつい言葉を重ねたビリーに、振り返ったセージはそう言って小さく笑った。
 
 
 椅子に腰掛けたビリーは、机の上に乗った一枚の写真を睨み付けていた。
 仕事の邪魔はしない。そう言って出て行ったセージが持ち込んだその写真は、ガイが館でどのような扱いを受けているかを明白に物語るものだった。
「だから、様子を見に行けって言ったんだ」
 驚きの表情を隠し切れなかったビリーを、セージは呆れを含ませた声で咎めた。
「傷は残すなと、言っておいたんだがな……」
「残るほどの傷じゃないそうだ。どこまで本当かは知らないけど」
「アイツ、どこまで強情なんだか」
「それは、君に問題があるんだと思うけどね。僕には、結構素直だったよ」
 再度驚きで眼を見張ったビリーに、セージは少しだけ楽しげな笑顔を見せる。
「君のそんな顔、初めて見たな」
「会ったのか?」
「会ったよ。客として、ね」
 その時のことを思い出しているのか、セージは笑顔をしまって眉を寄せる。ビリーには、セージがガイと何を話し、何をしたのか、尋ねることが出来なかった。
 次の言葉を待っている様子のビリーに、セージは渋い顔のままで続ける。
「ガイに会って、僕は言った。ビリーの所へ帰れって」
「頷かなかったろう」
 ビリーは思わず自嘲の笑みを浮かべてしまう。
 逃げ出した事を反省し、調教される生活を受け入れるなら、ビリーの元に返してやる。その話は管理をしている男の口から、ガイへと伝わっているはずだ。それでも戻ってこないのは、ガイにその意思がないからとしか言いようがない。
 セージにわざわざ知らせはしなかったが、1週間しても戻らないようなら無理矢理にでも連れ戻すつもりでいた。待っててやれるのはそれが限度。このまま放置していては、仕事がいつまでたっても終わらないからだ。
「頷かなかったよ。というよりも、とても潔い子供で、かなりビックリした。君は、なんでガイがあんな場所に居続けるのか、その理由を考えた事があるかい?」
「俺に調教されるのが嫌なんだろうさ」
 見知らぬ男に犯されたり、ムチで叩かれるような目にあうよりも。
 さすがにそれを言葉にするのは躊躇われて、ビリーは口を閉じる。
「違うね。彼は自分が選んだ道の結果を、潔く享受してるだけだ」
「結果を、享受してる……?」
「そう。逃げ出すことを選んだのは彼自身だから、見つかって捕まった結果がソレなら、納得できるって」
「だから耐えてるだけだって言うのか!?」
「潔くて、とても頭がいい。あの年でもう、自分の意思で自分の生きる道を選び取ってる自覚がある」
「頭がいい、ってのは俺も認めるよ」
 その言葉に、セージはまるで自分が褒められてでもいるような、嬉しそうな微笑みを浮かべて見せた。
「だから僕は、彼を買い取る事にした。君の仕事の邪魔をする覚悟で、ね」
「買い取るって……オーナーから、とか言いだす気じゃないだろうな」
「そこ以外から買い取れる場所があるなら、教えて欲しいくらいだ」
 笑うセージに、ビリーは冗談だろうと呟く。
「本気だったし、ガイにも言ったよ。君はこんな場所に居るべきじゃないから、僕が出してあげるって」
「それで、アイツは、なんて……?」
「ビックリした顔をして、それから暫く悩んで、ありがとうございますって丁寧に頭を下げたよ」
 でもね、とセージは続けた。
「君の所に戻る事に、決めたって」
「ちょっと待て。なんだそれは」
「元々は借金の形として連れて来られたらしいね。返せるあてがないらしいってのも、だから実質オーナーの持ち物として扱われることも、君がそのオーナーからの指示で動いてるんだって事も、理解、してた」
「そう、なのか……?」
「そうだよ」
 知らなかったのか、とはセージは聞かなかった。まるで、連れて来られた経緯もガイが何を考えているかも、ビリーの興味の範囲外だと知っているかのようだ。
「余計な事教えやがって、って思ってる?」
「少し、な」
 本当は少しどころじゃなかったけれど、ビリーにはそう答えるのが精一杯だった。
 子供を調教する。ということにまったく抵抗がないわけじゃない。情が湧いてしまうような可能性は極力避けて通りたかった。
「ごめんね。でも、聞かせるつもりで、来たから」
 もういいとセージを遮る事も出来たけれど、ビリーはそうしなかった。
「君にとってこれが仕事である事も、彼と深い部分で関わりたくない気持ちも、僕にだってまったくわかってないわけじゃないけど。それでももう少し、彼自身を見てあげて欲しい」
「一度会っただけで、ずいぶん入れ込んだもんだな」
「そうさせる魅力が、彼にはあるからね」
 そんなセージの気持ちを理解出来そうな自分をごまかすように、ビリーはバカバカしいと言って笑った。
「けど、お前に礼を言う必要はありそうだ。自分の意思で戻ってくるんだ、多少は扱いやすくなってることだろうぜ」
 セージの目に失望に似た悲しみがやどる。
「君があまりにも酷い扱いを続けるようなら、僕は本気で、彼をオーナーから買い取るつもりでいるから」
 それだけは覚えておいて。
 そう告げた時のセージの強い瞳を思い出して、ビリーは机の上に注いでいた視線を天上へと向け瞼をおろした。
 もうすぐそのセージが、ガイを館から引き取りこの部屋へ連れてくる。何もわざわざ、セージが出向く必要などないにも関わらず、だ。
 これから先、どの程度関わってくる気でいるのか掴めないから余計に面倒だった。
 邪魔をするなと切り捨ててもいいが、セージが本気だというのなら、それも通用しない可能性がある。地位や人気が同じなら、自由に動かせる金を多く持つ者が有利だと知っているからだ。特にこの、サーカスの敷地内では。

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