彼の恋が終わる日を待っていたの続きです。
長いこと秘密の想いを寄せていた親友が結婚した日、後輩から告白された。高校時代に入っていた部活の、1学年下の男だ。
ずっと好きだったと言いだした彼は、そろそろ俺のものになりませんか? などと言って笑う。
「お前、彼女いた事、あるよな?」
確かめるように問いかける。部活終わりに何度か、彼を迎えに来ていた女の子がいたはずだ。記憶違いということはないと思う。
「ええ、いましたね」
やはりあっさり肯定されて、揶揄われているのかと思い始めた。その矢先。
「でも彼氏が居たことだってありますよ?」
バイなんですと躊躇いなく告げて、本気で先輩が好きですと彼は繰り返すけれど、崩れない笑顔がなんだか胡散臭い。
「あー……そう」
「そっち行っていいですか?」
「そっちって?」
「先輩の隣」
彼は言いながら立ち上がると、机を回ってあっさり隣に腰掛ける。
「え、いやちょっと、待てって。おいっ!」
いくら個室居酒屋で届いてない注文品がない状態とはいえ、これは明らかにおかしいだろう。けれど後輩の男は随分と楽しげだ。まるでこちらが焦るさまを楽しまれているようで不快なのに、その不快さを示す余裕すらない。
「ね、先輩」
横から覗きこむようにグッと顔を近づけられて、思わず頭をそらしたら、後ろの壁に打ち付けてしまった。ゴツンと鈍い音が響いて、後頭部に痛みが走る。
「痛っ!」
「俺のものになってくださいよ」
打ち付けた後頭部をなでさする間すらくれずに、再度彼はそう言ったけれど、今度は笑っては居なかった。先ほどまでの胡散臭い笑みを引っ込めて、真剣な眼差しで見つめてくる。なんだか怖いくらいだった。
「せんぱい?」
疑問符付きの呼びかけは、返事を待っているんだろう。呆然と見つめていたことに気づいて、慌てて視線を逸らした。
「む、無理」
だって目の前のこの男とどうこうなるだなんて考えたこともない。というよりも、誰かと恋愛しようと思ったことがない。
本当に随分と長いこと羨望のような憧れのような愛しさを抱えて、手のかかる弟のような、そのくせいざという時は頼もしい兄のような、そんな親友の隣で過ごしてきたのだ。随分と無茶なことにも付き合わされてきたけれど、それすらたまらなく魅力的で、自分を惹きつけてやまなかった。それは互いに社会人となり、彼が結婚してしまった今現在だって変わらない。自分の中の優先順位一位は依然彼のままだった。しかも多分に恋愛的な感情も含んでいる。それがはっきりと自覚できているのに、他の誰かとお付き合いなんて出来るわけがない。
「どうして?」
「どうしてって……だって、俺の気持ちに気づいてたならわかるだろ?」
「結婚したじゃないですか」
「結婚とか、関係ない」
もともと告げるつもりもない想いだから、これは最初から自分一人の問題だ。恋愛的な意味も含めて好きなのだと気づいてから、もう何年も経っていて、気持ちの整理はほぼ済んでいる。
長い付き合いだから、相手のことは熟知している。想いを告げて自分に振り向かせることは可能だったかもしれない。どうすれば頷いてくれるか、多分わかっていた。けれど彼と恋人という関係になるよりも、親友という立場で居続けたかった。
結婚して子どもが生まれて、今後は家族の時間が増えるだろうから寂しい気持ちはないわけではないけれど、結婚だってちゃんと本心から祝福している。どんな親になるのかと思うと色々不安が湧き出るけれど、その半面楽しみでもあった。
「結婚した相手を、これからも想い続けるって意味ですか?」
「そうだよ。お前にはバカみたいな話かもしれないけど」
「そこまで想ってて、なんで、やすやす別の相手と結婚なんてされてんですか」
「別に恋人になりたかったわけじゃないから?」
「疑問符ついてますよ。てか、どうして」
「なんで、どうして、ばっかだな」
ふふっと笑ってしまったら、あからさまにムッとされた。貼り付けたような笑みよりずっと安心感があるから不思議だと思うと同時に、どうやら少しばかり気持ちが落ち着いてきたらしいことにも気づく。
あまりにも予想外の指摘と告白に動転しすぎていた。
「先輩が気になるようなことばっか言うからですよ」
「お前さっきあっさりバイだって宣言してたけど、俺が好きな相手が男だってわかってたから言えるんだよな? 俺に女の子の恋人ちゃんと居て、異性愛者だった場合でも告白するか?」
「恋人から奪おうとまではしませんけど、可能性が少しでもありそうなら狙いますよ」
「じゃあ性格の違いかな。可能性かなりありそうだったけど、でも俺は嫌だって思った。自分のせいであいつの未来を曲げるのは。親友って立場だけで充分なんだよ。あいつが子ども作って結婚して、はっきり言えばホッとしてるくらいだ」
「本気で、今後も別の誰かを好きになったりせず、あの人を想い続ける気でいるんですか?」
「今のところ、別にそれでいいかなと思ってる。たまにさ、好きだって言ってくれる人いるんだけど、他に特別に思う相手がはっきりいるのに、付き合えるわけないって」
めちゃくちゃ嫌そうに顔を顰められて、やはりまた笑ってしまった。
「好きだって言ってくれてんだから、付き合えばいいじゃないですか」
「そんなの可哀想だろ。相手が」
「付き合ってみたら、そのうちなんだかんだ好きになるかもしれない。とは思わないんですか?」
「多分無理。やっぱりあいつ以上には好きになれないと思う。それくらい強烈な男なんだよ。って、お前ならわかるだろ?」
深い溜息が吐き出されてきた。
「良くも悪くも強烈な男、ってとこには同意します」
「だろ? というわけで、お前のものにはなれないよ」
「そこまで納得したわけじゃないです」
「えっ?」
「気持ち晒した以上、今更引く気ないんで。試しにでいいんで付き合ってください。別にあの人のこと好きなままでもいいですし」
「良くないだろ」
「俺がいいって言ってるんだからいいじゃないですか。いっそあの人の代わりだって構いませんよ」
「俺が構うよ」
「でも引く気ないんで諦めてください」
また胡散臭い微笑みを貼り付けた男の顔が近づいてくる。一応の抵抗で、その顔を押しのけようと伸ばした手は簡単にとらわれて、こぼした溜息を拾うように口付けられた。
「お前がこんな強引な男とは思ってなかった」
「今まで見せてなかっただけですよ。それに多分、間違ってないと思うんで。あなたには少し強引なくらいの相手がお似合いです」
流されてくれていいですよ。などという言葉に頷けるわけもないけれど、入り込まれてしまったことだけははっきりとわかる。ずっと好きだったのずっとがどれほどの時間かはわからないが、今までお断りしてきた相手とは明らかに違う。
「まいったなぁ」
こぼれ落ちたつぶやきに、相手は満足気に笑ってみせた。
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