せんせい。2話 部活優先

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 夏休み明けを待って、様子見と称してウキウキと部活に顔を出した3年は、当然ながら美里や今泉だけではなかった。
 一通りの練習で身体を温めた後は、引退した3年の有志達 VS 新レギュラー の試合を行う。
 これはもう、ほとんど毎年この日に行われている、伝統行事のようなものだ。
 部活を引退後は夏期講習などで勉強漬けの日々を送っていることも多い3年にとってはいい気晴らしとなり、2年以下の新レギュラーにとっては最初の 『負けられない1戦』 となる。
 だから、強い当たりをモロに受けて美里が転倒した際も、先に謝罪の言葉を口にしたのは転ばされた美里の方だった。
 相当気合の入った相手との試合中だというに、臨採教師として現れた西方雅善との、随分昔の古い記憶をあれこれ掘りかえしていて、試合の方に集中しきれていなかったのが悪い。
 美里を転ばせてしまった後輩の、申し訳なさそうに差し出しす手を借り立ち上がった美里は、前腕の痛みに視線を腕へと向けた。
 案の定、肘から手首に掛けてを盛大に擦り剥き、汚れと共に血が滲んでいる。
「保健室行き、だな」
 そう告げたのは真っ先に駆けつけてきた今泉だった。
 やや呆れた口調なのは、美里が試合に集中していなかったことに気付いているからだろう。
「付き添うか?」
「いや、いい。お前まで抜けたら、勝てるもんも勝てなくなるからな」
「俺が付き添います……」
 そんな二人の会話に口を挟んだのはやはり美里を転ばせた後輩だったけれど、美里は軽く首を振って見せる。
「いいよ。一人で行ってくる。第一、お前が責任を感じる必要もないしな。むしろ、いい当たりだったと褒めてやろう」
 その傷をまわりに集まり始めたチームメイトに見せつけるように掲げて見せた美里は、退場を告げてグラウンドを後にした。

 

   校舎1階にある保健室は、グラウンド側にも出入り口がついている。 体育の授業や部活動で怪我をした際、訪れやすいようにという配慮だろう。
 その入り口付近に設置された水道場で汚れを洗い流してから、美里は保健室へのドアへと手を伸ばす。しかしガッという音を響かせ、ノブは最後までまわることなく美里の手の中で動きを止めた。
「あれ?」
 思わず口に出しながら、何度か左右に捻って見るが、やはりドアノブがまわることはなかった。 どうやら保険医が不在らしい。
「弱ったな……」
 一旦下駄箱経由で校舎に入って、職員室を覗いて見る必要がありそうだ。
 さすがにここまで派手に怪我した腕をそのままにして帰宅するわけにはいかないし、保険医が不在だとしても、誰か他の教師に頼めば保健室を開けて貰えるだろう。
「手当て、したろか?」
 面倒さに溜息を吐き出しドアに背を向けた所で、背後からのそんな声が美里を呼びとめた。
「ガイ!?」
 振り返った先、保健室に隣接した化学実験室の窓から顔を出す男に向かって、美里は驚きと共にその名を呼んだ。
「西方先生、や。いきなり名前呼び捨てる奴が居るかいな」
 眉を寄せてそう訂正を告げながらも、雅善の視線は美里の腕の傷へと注がれている。
「それにしても、豪快にズルムケとんなぁ~」
 手招きで呼ばれて仕方なく、美里は雅善の前へと移動した。
「手当て、してくれるんですか?」
 昔一緒に遊んでいた頃、ガイと呼び捨てにしろと言ったのも、丁寧語を嫌ったのも、この目の前の男だったのだけれど。どうやらそれを覚えているのは自分の方だけなのだと悟った美里は、教師に対する最低限の口調で尋ねた。
「消毒くらいならワイでも出来んで。ではここで問題です。市販のオキシドールは過酸化水素水の何%希釈液でしょう」
「知りません。でもさすが化学教師、って感じですね」
 ニヤリと笑った雅善に、美里も負けずと笑い掛ける。
「だいたい3%やな。ほなここで待っとき」
「窓越しに手当て、ですか?」
「校舎ん中入るんが面倒やから、溜息ついとったんちゃうん?」
「そうです、けど……」
「ほな、窓越しで充分やろ」
 そう告げるなり雅善はクルリと背を向けて、奥に並ぶ薬品棚へ向かって歩いていく。
 その背を見つめながら、変わらないなと美里は思う。 鋭い観察眼とさりげない優しさ。 幼い美里の目にも、それらは憧れるに充分の美点として映っていた。
 やがて戻ってきた雅善に促されるまま、美里は怪我した左腕を差し出す。
「オキシドール?」
 その手に握られていたのは見覚えのある容器で、とても薬品を希釈してきたようには思えず、美里は思わず声に出して問いかけた。
「ほんまに過酸化水素水の希釈液作てくると思た?」
「そりゃ、あんな言われ方すりゃ……」
「過酸化水素水て劇物やで。市販薬あったらそっち使うに決まっとるやん」
 雅善は悪戯が成功した子どもみたいに楽しげだ。
「ほな消毒すんで。染みても我慢してなー」
 まるで子供にでも言い聞かすような言い回しに笑い掛けて、けれど消毒液がたっぷりと染み込んだ脱脂綿を傷口に押し当てられた痛みに、美里はなんとも言えない表情で眉を寄せる。
 その顔に、雅善の方が小さく吹き出した。
「こんだけのすり傷や、相当染みるやろ。痛いんやったら痛いて言うてもええんやで? 言われてもやめへんけど」
「もしかしなくても、楽しんでるだろ」
「えー? そんなことあれへんて」
 そう言いながらも、やはり雅善は楽しげだ。
 その表情と、記憶の中の表情とが重なって見える。共働きの両親に変わって、何度か傷の手当てをして貰った。
「そういえば、昔から、傷の手当てとか好きだったよな」
「昔、から?」
 手を止めた雅善が、訝しげに尋ねる。
「覚えてないかな。昔、同じマンションに住んでた、河東美里、なんだけど」
「カトウ、ヨシノリ……って……」
「思い出した?」
「思い出すも何も、そりゃワイの人生最初の生徒の名前。ってか、嘘やろー!?」
「こないなことに嘘ついても、何の特にもならんで?」
 昔教わった関西弁で答えて、ニヤリと笑って見せた。
 驚きと、葛藤と、それから暫く経ってようやく。雅善も嬉しそうな笑顔を見せる。
「ホンマに? ホンマにあのビリーなん?」
「そんな風に呼ばれるのは随分久しぶりだな」
 美里という名前を音読みしてビリー。
 最初に言い出したのは当然、目の前に立ち笑っているこの男だ。
「うっわ、メチャクチャええ男に育っとってムカツクわー。ワイより随分でかいんちゃう? てか、なんの偶然やろな。ホンマはこんな遠くまで来たなかってんけど、仕事受けてラッキーやったかもしれん。で、その怪我部活やろ? 何やっとんの?」
 一気にまくし立て始めた雅善に、美里は安堵しつつも苦笑を零す。
 覚えていた。忘れられていなかった。
「俺も、偶然にしろガイに会えて、嬉しい。部活はサッカーだよ。昔、ガイに教わった。と言っても、既に引退済みだけど。今日は夏休み明けの初日だから後輩の様子見で参加してた」
「教えたって程、ワイはサッカー上手くなんかないで?」
「それでも、最初の記憶はソレなんだ」
「嬉しいこと言うやんか。それにしても、もう引退しとるてのは残念やな。当然、レギュラーやったんやろ?」
 活躍する姿が見たかったと本気で惜しそうに告げる雅善に、嬉しさがこみ上げる。
「俺も、見せたかったな。ガイに応援されながらだったら、倍は頑張れそうな気がする」
「昔っからおだて上手やったけど、口の上手さも随分成長しとるようやな。せやけど一応ここは学校で、ワイは教師で、ビリーは生徒やんな? さっきも言うたけど、さすがに名前の呼び捨ては勘弁し」
 ホンマはガイて呼ばれるほうが慣れてんけど、と苦笑する雅善に苦笑で応えながらも仕方がないよなと返して。
「これからは気をつけます、西方先生。手当て、ありがとうございました」
 次は化学の授業で会いましょうと告げ、美里は自分を待つチームメイトの元へと帰って行った。

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