年が明けた1月最初のバイトの日、いつも通り防音室で過ごした後、身支度を整えて部屋を出る。いつもならリビングでその日のバイト代が入った封筒を受け取って、そのまま帰るけれど今日は違う。
夕飯の時間にはまだ早いからと一旦寝室へ移動し、結局また服を全部脱いで、でもバイト中は服を着込んだままだった相手もちゃんと全部脱いでくれて、一緒にベッドの中に入って多分自分だけうとうとと微睡んで過ごした。時折髪を梳くように頭を撫でてくれる手がめちゃくちゃに気持ちよくて、んっんっと鼻を鳴らして、回らない舌できもちぃと吐き出し、相手の体に擦り寄れば、柔らかに笑われる気配がする。
幸せで、嬉しくて、胸の奥がきゅうきゅうと絞られて切ないのに、それでも胸の中はあったかい。
ああ、こんな風に彼と過ごしてみたかった。そう改めて自覚した。
お泊り時はたいてい疲れ切って寝落ちしてしまうが、この慣れた様子からすると、多分、自分が認識できていないだけで初めてではないんだろう。今だって、彼はこちらがすっかり寝入っていると思っているのかもしれない。
気持ちよさにこのまま微睡んでいたい気持ちをむりやり振り払って目を開けた。部屋の隅に置かれた細身のスタンドライトが発する淡い光の中、驚いた様子で目を瞠ったのは一瞬で、すぐにその目は柔らかに細められる。
「どうした?」
問いかける声も優しくて甘い。
「こういうの、ホテルでも、してくれてる? よね?」
「してるな。何? 今更気づいたって話?」
「だっていつも疲れ切って寝ちゃってる」
あからさまに拗ねた口調になったのは自分でもわかった。そうだなと言った相手は随分と楽しげだ。
「なんで起きてる時にはしてくれないの」
「ん? してくれないってなんだそれ。お前の意識がはっきりしてる時だって、ちゃんとしてるだろ?」
「いつ?」
「いつ、って……お前が上手に何かが出来たときとか、頑張れた時とか」
確かに、よく出来ましたって頭を撫でてくれたり、抱きしめてくれたり、優しいキスをくれたりはするけれど、それらと今この時間とは同列ではない。少なくとも、自分の中では。
「あれとこれって、あなたの中で、一緒なの? 上手に何かが出来たわけでも、何かを頑張ったわけでもなく、俺のワガママにあなたを付き合わせて、一緒に過ごしてもらってるだけなのに?」
「あー、まぁ、そう言われると確かに違うか?」
「あなたが俺を優しく甘やかしてくれるのは、エッチの最中か、下心がある時だけかと思ってた」
「なんだそりゃ。それ言うなら、お前だってプレイの後まで甘えてきたりしないだろうが」
「だって甘えていいって知らなかった」
「そりゃ悪かった」
「甘えたら、もっとしたいのって言われるもんだとばかり」
「いや、そりゃ言うわ」
「じゃあなんで、言わないの、今」
「なんで、って、お前が言ったんだろ。ベッドの中で裸でひっついて過ごしたい、って。その要望に応えてやってるだけだけど」
「ああ、じゃあ、これもそういうプレイの一環だった?」
よせばいいのに口から零した自分の言葉で、自分自身が傷ついている。
「プレイにしちゃお前へのサービスが過ぎるだろ。これはどっちかって言ったらご褒美のたぐい。もしくは、お前への感謝とお詫び?」
お前がしてくれと言ったことはなるべく叶えてやろうと思ってると続いた言葉は、間違いなく本気の声音だった。
「感謝とお詫びって、どういう、意味?」
「言葉通りだけど。前に、お前に救われてるって言ったろ。その感謝」
「お詫びは?」
「お前の迂闊さにつけ込んで、大金チラつかせて、お前をこっちの世界に引っ張り込んだのは、正直、悪かったと思わないこともない。結果、お前に俺を好きだと思わせた事も、それを知って、お前に嫌われるための手を未だ打ってない事も、酷い真似をしてるという自覚はある」
とろりと甘やかすように優しい声音と、優しく髪を梳く心地よい手。うっとりと目を閉じて受け入れてしまいたいが、その内容はこのまま流せるようなものじゃない。
思い切りよく体を起こして、当然驚いた様子の相手を見下ろした。
「嫌われるための手を打つ、って、何?」
「ははっ。やっぱそこに、引っかかるんだな」
「当たり前だろ。なんで? 俺に、あなたを嫌いになれって言うの?」
「んなことわざわざ言うわけない。人の気持ちは言ってどうにかなるもんじゃねーだろ。ただ、嫌いになって貰うだけだって」
どうやって、なんて聞くだけ無駄なのは口にせずともわかる。この人が言うなら、きっと出来るんだろう。
「待って。じゃあ、俺があなたを好きになったのも、もしかしてあなたが、何か、やったの?」
「やっと気づいたのか? まんまと引っかかって可哀想に」
にやりと笑う顔に、血の気が失せる。じっと見つめてしまう先で、にやにやと笑い続けている顔に湧くのは、怒りでも悲しみでもなく憐憫だった。
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