ビリーの部屋の隅にはその存在を無視し切れない大きさの檻があるが、父の部屋から運ばれてきた直後から、その檻が本来の役目を果たすことはほとんどなかった。
課せられた条件の元、首輪をつけて鎖で繋いではいるが、その鎖は部屋の中を自由に歩きまわれるほどに長い。
始めから、ビリーには父から与えられた黒猫の子を檻の中で飼う気はなかった。それでも運ばれてきた当初は、檻から数メートルの長さで繋いでいたのだが、数日後には今の長さへと代えられた。
なぜなら、彼は自分達の言葉を理解できるらしいからだ。父とのやり取りも、この部屋に連れて来られた後にビリーが話し掛けた色々も。自分の立場をわかっているから、自由にさせておいても、ビリーを困らせるような真似はしないのだろう。
ただし、言葉はビリーからの一方通行でしかない。一言も言葉を発しない相手に仕方なく、ビリーは昔読んだ物語の中に出ていたネコの名前を拝借し、その黒猫にガイという名前をつけた。
どんな声をしているのか、どんな言葉を話すのか。今の所、そんなビリーの期待は報われていない。
夜も遅い時間、ソレは唐突に起こった。
随分前から、ビリーはガイを広すぎるくらい大きな自分のベッドへと連れ込んで眠っていたが、その日はガイの苦しそうな息遣いに安らかな眠りを妨げられた。
「ガイ……?」
呼びかけに返事がない事はわかっていても、声を掛けずにはいられない。それくらい、部屋の中を不自然な空気が満たしていた。
荒い息がせわしなく耳に届いて、ビリーは眠りの淵を彷徨う意識をむりやりに引き上げ、身体を起こす。
夜には眠る生活をしてはいるが、暗闇だろうとある程度の視界は確保できる。
ビリーの目に飛び込んできたのは、膝を抱くようにして丸まった身体を震わせるガイの姿だった。
「ガイ!?」
慌てて手を伸ばすが、触れてはいけないような気さえして、ビリーはキュッと拳を握り締める。
自分と似た姿形をしているから気付かずにいたが、相手はビリーにとって今までほとんど接点のなかった猫族の子なのだ。どんな病気にかかるのかすら調べていなかった自分に、ビリーは軽い舌打ちを零す。
父から与えられたという安心感もあったかもしれない。ある程度のメディカルチェックは入れているのだと信じているが、ただの風邪などとは明らかに違う様相を呈するガイに不安を煽られる。
猫族特有のモノなのか、自分にも感染する可能性もあるのか。
考えても埒があかないのは明白で、自分一人で手に負える事態ではないこともビリーは自覚していた。
「すぐ、誰か呼んで来るから」
努めて労わるような優しい声を掛けて、ビリーはベッドを降りる。
「……ぃ……」
「え、何?」
何事か言われたような気がして振り返ったが、気のせいだったかもしれない。
ガイがビリーに向けて何かを告げる事などないのだから、きっと苦しさに呻いたのだろう。
「行ってくる」
ガウンに袖を通したビリーは、足早に自室を後にした。
ビリーの住む館には、専属の医師も居住している。部屋を飛び出したビリーが向かった先は、当然ながらその医師の部屋だった。
父よりは確実に若いだろうセージという名のその医師が、いつから館に住むようになったのか、物心ついた時には既にその医師の診察を受けていたビリーにはわからない。
わかっているのは、日に輝く黄金の体毛を持つ、ひどく綺麗な男だということ。
この国に住む者は、ビリーとその父以外、皆黄色の毛皮を纏っているが、中でも彼のは群を抜いて美しい。
その容貌とも相まって一見近寄りがたい雰囲気すらあるが、医師としての腕は確かで、患者に対しては優しかったから、週に2度、館を解放しての一般診療はいつも相当賑わっている。
部屋の前まで来て、ビリーはその扉を叩くことを一瞬だが躊躇った。明日がその一般診療日だと思い出したからだ。
慌てて部屋を出てきてしまったから、今が何時であるかもわからない。
そもそも、自分の身の異変ならともかく、診て欲しいのはペット扱いのガイなのだ。
いくら腕の良い医師だとしても、彼に猫属の知識があるのかもわからない。それでも、頼れそうな相手は彼しか思い浮かばず、ビリーは深夜に叩き起こす申し訳なさを抱きながらも、意を決して目の前の扉を力強く叩いた。
「何方ですか?」
暫し待たされた後、扉の向こうから声が聞こえ、ビリーは急く気持ちを押さえながら名を告げる。扉はすぐに開かれた。
「こんな時間にどうしたの、ビリー。具合が悪いなら出歩いたりせず、内線で呼び出していいんだよって、前にも教えたでしょう?」
心配気な顔に、そんなことにも気がまわらずにいた自分の慌て振りを恥ながら、ビリーは部屋を訪れた理由を告げる。
必死にガイの、何処か異様な状態を説明するビリーを制して、セージは優しく笑った。
「猫族には詳しくないから、役に立てるかはわからないけど。でも、取りあえず様子を見に行くよ」
少し待っててと告げ、一旦部屋へと戻ったセージは、往診用のカバンを手に現れた。
今にも走り出しそうな程の急ぎ足で自室へと向かうビリーを、セージは咎めることなくついてくる。
自室前まで戻ったビリーは、一旦後のセージを振り返った。
「いいよ。開けて」
促されてドアを開けば、やはり異質な空気が二人を包む。それだけで、セージは何かを察したようだった。
「ガイはベッドの上?」
ガイを長い鎖で繋ぎ、部屋の中ではかなり自由にさせていることを知っている者は幾人かいたが、ペット扱いの彼をベッドに連れ込んでいることは誰にも教えていない。
咎められる可能性もあったし、何より、一人寝が寂しいのだと思われるのは許せなかったからだ。しかし、こうして現場を見られてしまっては、取り繕いようがない。
具合が悪そうなので運んだ、などという言い訳を告げるほうが恥ずかしい事のように思え、ビリーは黙ったまま頷いてみせる。
「ビリーはここに居てね」
ドア付近にビリーを立たせたまま、セージはガイの横たわるベッドへと近づいて行った。
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