サーカス番外編 ビリーとセージ

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 ノックの音にドアを開けば、そこに立っていたのはビリーだった。手には数冊の本を抱えている。
「仕事、終わったんだね……」
 何もかもとは言わないが、それでも。セージにはその手の中の本を見ただけで、大体の事情がわかってしまう。
「ああ。これは、お前に返そうと思って持ってきた」
 俺が持っててもしょうがないからと差し出されたソレは、セージがガイのために選んだ絵本や童話だった。
 本を受け取りながら見上げた瞳。その中に見える寂しさを伴う陰に、尋ねていいのか、一瞬だけ躊躇ってしまったけれど。 それでも結局、セージは口を開いた。
「ガイは、どうなるの?」
「オーナーは、売る気でいるらしい、けどな」
「僕に、ガイを宜しく、とは、言わないんだ?」
 本当はビリーが、ガイのことを相当愛しいと思っていることを知っている。仕事だからと散々自分に言い聞かせなければならないくらいには、情が移ってしまったのだ。
 ガイ自身の魅力をセージだって充分に知っていたから、それは当然のことだと思うのだけれど。
「言えるわけがないだろう?」
「言えばいいのに。そしたら、僕は君にほんの少し、貸しができる」
 ビリーが何も言わなくたって、きっとガイを引き取りにオーナーの元へ行ってしまうだろうけれど。それくらい、ガイのこともセージは大切にしたいと思っていたけれど。それでも、ビリーが一言ヨロシクと言ってくれたら、どんなに嬉しいだろう。
 まったくの独り善がりな想いではないだろうと信じているけれど、それでも、だからこそ。ビリーが決してセージに手を出したりはしないのだということも、知っている。
 眉を寄せるビリーに、セージは小さく微笑んで見せる。
「なんてね。ちょっと言ってみただけ。君が、僕に借りを作るのが嫌だってことは、知ってるよ」
「お前に、だけじゃない」
「そうだね。むしろ僕は、結構優遇されてた方だよね」
 ビリーの中で、自分が数少ない友人の一人として扱われていたことをセージは知っている。
「君は結局、一度も僕に買われてはくれなかった」
 それがきっと、何よりの証だろう。
「男の相手をする趣味はないと言ったろう?」
「でも、ガイは男の子だよ?」
「断りにくい、仕事だったんだ……」
 苦々しげに呟くビリーに、セージは声を立てて笑った。
「いいよ。そういうことにしてあげる」
 その代わり、友人としてさよならのキスを贈らせて。そう頼んだセージに、ビリーは困ったような表情で少しの間考え込んだ。
 返された本を近くのテーブルの上に置いたセージは、空いた両腕をビリーの首へと伸ばす。ビリーの了承など、待つ気はなかった。
 軽く伸び上がって、その唇に触れる。触れるだけで終えようと思っていた別れのキスは、ビリーが抱きしめるようにまわした腕に支えられて、どちらともなく深いものへと変わった。
 名残惜しくて、離れがたい。それでも。
 深く触れ合う割に熱を煽らないキスに、セージは首にまわしていた腕を解いてゆっくりと身体を離した。
「元気で、ビリー」
 寂しさを隠して、柔らかに見えるように微笑むのはお手の物。申し訳なさそうに口を開きかけたビリーを遮って、セージは続ける。
「今更謝るのはなしだよ、ビリー。その代わり、君の夢が軌道に乗ったら、いつか僕らを招待して?」
「僕、ら……?」
「そう。僕と、ガイをね」
 二人でその日がくるのを楽しみに待ってるから。その言葉の意味を、ビリーはわかってくれるだろう。
 引き寄せられた身体が、再度優しく抱きしめられる。
「お前も、元気で。ガイを、宜しく頼む」
 照れくさそうに響く声に頷いたセージは、満たされた気持ちで、サーカスを去るビリーの背を見送った。

 
 
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サーカス16話 2年後

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 充分とはいいがたいものの、すっきりとした気分で瞼をあげたガイは、差し込む朝日に眩しそうに目を細める。今日も天気はいいらしい。
 仰向けに寝転がったまま、んーっ と大きく伸びをしてから、隣で寝息をたてているビリーへ顔を向ける。不思議と毎朝、ビリーはガイへと顔を向けて眠っているのだが、それは今朝も変わらない。
 そっと伸ばした指先で、前髪をサラリと掻き揚げてみる。そんな悪戯をしても一向に構うことなく、ビリーは穏やかな表情で目を閉じたままだ。
 無防備な寝顔を晒すのは、安心の証。従順な性の奴隷として調教される身となり、半ば強制的にビリーと一緒に暮らすようになった当初は当然、彼の寝顔なんて見た事がなかった。
 色々な不安感や恐怖心を抱えた日々の中、自分からビリーに近づくということをしなかったからだ。
 自分だって、疲れ切って眠ってしまうことはあっても、いくらビリーが一日の大半を部屋の外で過ごし、部屋の中でも極力ガイを無視するような生活をしてても。やはり、そこに存在するビリーの気配に、安心して眠れる夜などなかった。
 今となっては、それすら懐かしい思い出。そして今では自分もきっと、ビリーの隣で幸せな笑みを浮かべて眠っているのだろう。
  
 本当は優しい人なのだと気付けてよかった。
 好きになれてよかった。
 好きになって貰えて、本当に、よかった。
  
 ガイは湧きあがる愛しさに小さな笑みを零してから、ゆっくりと身体を起こした。
 朝食の準備をしてからビリーを起こして、今日は比較的時間に余裕があるから、昼間の内に一緒に買い出しに出掛けるのもいいかもしれない。そんな予定を脳内で思い描きながらベッドを降りたガイの腕を、伸びてきたビリーの腕が捕まえた。
「っわ!」
 驚きで身体を跳ねさせつつガイは振り返る。
「スマン、起こしてもうた?」
「いや、いい。それより……」
 窓に視線を向けたビリーは、やはり目を細めながらいい天気だなと呟いた。
「今から、メシの用意をするんだろう?」
「そうやけど……なんや、リクエストか?」
 卵の焼き方くらいなら応えてやれると笑うガイに、ビリーは笑い返しながら首を振る。
「せっかくだから、食べに出ないか? その後、買い物をして帰ってくる。というのはどうだ?」
 奢ってやるよと続いたセリフに、ガイは最初驚き、次には満面の笑顔を見せた。一緒に買い物に行きたいと思っていたのを、ビリーの方から申し出てくれたのがなにより嬉しかった。
 天気の良さに、同じことを考えたのだ。
「ホンマに!?」
 思わずビリーの背中に飛び乗ったガイに、ビリーは口先だけで重いと文句を言ったけれど。
「決まりだな」
 そう告げながら、次にはやはり、同じように笑って見せるのだろう。

 
 
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サーカス15話 オマケ3

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 温かな腕と、規則正しい寝息。起こしてしまわないように息を潜めながら、ガイはそっと、緩く上下するビリーの胸に手の平をあてた。
 優しい鼓動が、自分の手の中に刻まれていく。こんな風に、眠るビリーの腕に抱かれながら、この時間が少しでも長く続けばいいと願うのは2度目。
 初めの1回は、館から帰ってきた日だった。シャワールームで暴れて、疲れきって意識を手放してしまった後。気付いたときには、柔らかなタオルにくるまれて、ビリーのベッドに寝かされていた。
 驚いて起きあがろうとして、身体を包んでいるのはタオルだけじゃないことに気付いた。そっと抱きくるむ腕と。シャワールームでビリーが垣間見せた優しさと。胸が苦しくなって、涙が流れた。
 本当は優しい人なのかも知れない。そう思い始めたのは、きっとあの時からだ。そして、そう感じた自分の心眼は間違っていなかった。
 こんな形でなければ出会うこともなかっただろうけれど、もしも、別の形で出会えていたら……
 栓のないことばかりを考えてしまう自分に、こみ上がる笑いは涙に変わる。
 このまま朝なんて来なければいい。願っても願っても、叶わない望みだと知っているから。朝日が昇ってしまう前に、この想いは全部、涙で流してしまおうと思った。
 残すのは、幸せの記憶だけでいい。ハラハラと零れ落ちて行く涙もそのままに、ガイはビリーの胸の鼓動を一つずつ数えていた。そんな中。
「なんだ、また泣いてるのか?」
 どうした? そう柔らかに響いた声に、思わず身体を硬くする。
「嬉し泣き、や」
「嘘つきだな」
 回されていた腕にグイと力が入って、引き寄せられた先にあるのは、覗きこむビリーの瞳。
「どうして欲しい? 何が足りない? 言ってみろ」
 ガイは流れた涙を強引に拭い去ると、緩く首を振って拒否を示した。
「何も……もう、充分過ぎるほど、貰うとる」
「ならなんで、そんなに悲しそうな顔をしてるんだ」
「きっと、ビリーの、気のせいや」
 ごまかすように笑えば、ビリーは眉をしかめながら何事か呟いた。
「なんやって?」
「お前の、本当の笑顔が見たいって言ったんだ」
 無理して笑おうとするな。という言葉に、急ごしらえの笑顔の仮面は剥がれ落ちて、また涙が滲んで行くのを自覚する。
 そっと涙を拭ってくれる指先を掴んで止めた。これ以上優しくされたら、いつまでたっても涙は止まらないだろう。
「もうええよ。もうホンマに、充分やから。恋人の時間は、もう、終わりでええんや」
 ビリーがどんな表情を見せるのか、知りたくないと思った。だからムリヤリ身体を捻って背中を向ける。
「日が昇るまでは、この部屋に居らせてな。朝んなったら、すぐ、出てくし」
「ガイ……」
 呼びかけの声には、どう答えていいのかわからなくて口を閉ざした。
「ガイ」
 もう一度名前を呼ばれるのと同時に、首筋にサラリと掛かったのはビリーの髪の毛だろう。そのまま肩に押し付けられたのは、きっと、ビリーの額。
「……ビリー?」
 どうしていいかわからなくて、結局名前を呼んだ。
「お前を好きだよ、ガイ。仕事としてじゃない。本当に、好きなんだ」
「えっ……?」
「裕福な生活の保障なんてしてやれないけど、本気で、お前を連れて行きたいと思ってる。お前が、もう一度、そうしてもいいって言ってくれるなら、な」
「ホンマ、に?」
「嘘だと思うなら、こっちを向いて、自分の目で確かめたらどうだ?」
 肩から離れていく熱を追うように、ガイは身体の向きを変えた。
「もう一度聞く。俺と一緒に、このサーカスを出ないか?」
 真っ直ぐに見つめてくる視線に、揶揄いや嘘の色はない。
「連れて、って」
 頷いて、怖々と吐き出した言葉に。
「決まりだな」
 ビリーはまるで子供みたいな笑顔を見せながら、ガイを引き寄せ抱き締めた。

 


 ガルムと名づけた鹿毛の馬の背に二人でまたがり、高台から見下ろす景色。目に映るその大部分が、ビリーの手にした土地だった。その一角で、数頭の牛がのんびり草を食んでいる。
「驚いたか?」
「これが、ビリーの、夢?」
「そうだ。いずれはもっと家畜の数を増やして、この土地に見合う大牧場主になる」
 ついて来たことを後悔してるか?
 背中に掛かる声に、ガイは思い切り首を横に振る。
「後悔なんて、する暇ないほど、これから忙しくなるんやろ?」
「そうだな。お前にも、これからは色々手伝って貰うからな」
「まかしとき!」
「よし、じゃあ、行くか」
 掛け声と共に、ビリーはガルムを走らせる。晴れ渡る青空の下、楽しげに弾む声が響いた。

< 終 >

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サーカス14話 オマケ2

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「ビリーに、どうしても、渡さなならんもんがあんのや」
 走ったせいで息を切らしつつも、なんとかそう吐き出したガイは、部屋のドアを開けたビリーを見上げた。
「ガイ!? お前、自宅に帰ったんじゃなかったのか?」
「ワイ、帰る家、あれへんもん」
「じゃあ、今までどこに……まぁいい、とにかく入れ」
 まさかビリーも、ガイがオーナーの元に居続けるとは思っていなかったのだろう。セージを頼らなかったので、ガイは実家に帰ったのだと思っていたらしい。
 ガイは自分の生い立ちと、オーナーとの契約を簡単に話し、ビリーの目の前にケースを差し出す。
「受け取れるか、バカ」
 けれどビリーは、眉をしかめてそう吐き出した。
「えっ……」
 口調はさしてきつくなかったが、それでもやはり、ガイにとってはショック以外の何物でもない。
「そういうつもりで払った金じゃない。だいたい、人に身体をどうこうされるような生活を続けるのが嫌だって言ったのは、お前だろう。それを、結局、オーナーとの専属契約だって?」
「仕事やもん。ペットとはちゃうし」
「ああ、そうだな。要するにお前も、金のためならなんでもやるタイプの人間なんだろ」
「そんなんとちゃう!」
 お金のためじゃない。ビリーのためだ。自分が生きて行くためだけなら、こんな仕事を選んだりしない。
「別に、非難してるわけじゃない。お前がどんな仕事を選ぼうと、俺の知ったこっちゃないしな。ただ、その金を受け取る理由もないってだけだ」
 理由ならある。「結構気にいってた」と言って貰えたことも、自分のためにせっかくの報酬を使ってくれたことも。自分だけが彼を好きになっていたのではないのだと。一緒に過ごした日々が、ビリーにとっても多少は意味のあるものだったのだと。そう思える事が、酷く嬉しかったのだ。
 それに、オーナーがこんな破格で自分との時間を買ってくれたのは、身を売る理由に、ビリーへ返金したいからと告げたせいだろう。けれど、不機嫌そうな表情を見せるビリーを目の前にして、それらの理由を上手く言葉に乗せることができない。
「せやけど、この金でやりたいこと、あったんやろ?」
 ビリーに、なにやら多額の資金が必要な夢があるらしいという話は、いつだったかセージがチラリと教えてくれた。
「金は必要だが、それは俺が自分でなんとかするものであって、お前に責任を感じて貰う必要なんてない。もし、俺がお前を自由にしたことに対して何かがしたいと思ってるなら、その金を元にして、身体なんて売らずに済むような生活を始めてくれたほうがありがたい」
 何のためにお前を自由にしたのかわからなくなるからな。
 そう続いた言葉は、溜め息混じりだった。ガイはキュッと唇を噛んで、ビリーのことを睨み付ける。そうしなければ、涙がこぼれてしまいそうだった。
「ビリーがこれを受け取ってくれるんやったら、もう、二度と身体売るような仕事せんて、約束してもええ」
 元々そのつもりだったから、尚更、ビリーにはこのケースの中身を受け取って貰わなければやりきれない。
「お前みたいな子供が普通に仕事して、どれだけの収入になると思ってんだ? その金は追々必要になるから取って置けよ」
「食べて、生きて行くくらいは、なんとかなるやろ。オーナーが、ワイが望むんやったら次の仕事も世話してくれる言うてん。ちゃんと、身体売らんで済むような仕事、紹介して貰うし」
 本当に、そんな仕事を紹介して貰えるかはわからないけれど、オーナーが後ろ盾になってくれるのだと説明すれば、ビリーも納得してくれるかと思った。というよりも、ビリーを説得するために必死だったのだ。
 けれどビリーはやはり、首を縦には振らなかった。きっと、このままでは、どこまでもこの話は平行線を辿ってしまう。
「ほな、ビリーんこと買わせてや」
 最後の賭けのつもりで、ガイは震えそうになる声を押さえて吐き出した。
「なんだって?」
「ワイが、ワイの稼いだ金で、何を欲しがろうと構わんやろ?」
「俺を、その金で買おうって? 本気で言ってんのか、ガイ」
「本気や。金のためなら、どんな仕事でもするんはビリーの方やろ。この金で一晩。て言うたら、いくらビリーでも、頷きたくなるんちゃう?」
 強気で。何が何でもビリーにこのお金を受け取らせるつもりなのだと、譲る気なんかないという気持ちを、瞳に込めて睨み付ける。
 見つめ返すビリーの瞳が、揺れた。
「それは、お前に散々色々仕込んだ俺への復讐なのか? お前のその小さな身体で、俺を抱くつもりだとでも?」
 ほとほと困り果てた口調のビリーに、さすがのガイも苦笑を零す。
「抱かせて欲しいとは言うてへんよ」
「今更、お前を抱くことで、お前から金を貰えるわけがないだろ」
「せやから、今までとはちゃう風に、抱いてや」
 立ち上がったガイは、ビリーの傍らへと移動した。困惑の瞳に臆する気持ちを隠して、腕を伸ばして抱きついて。その肩口に額を乗せる。
「今夜一晩だけ、ビリーの恋人に、なりたい」
 願った。頷いてくれることを必死で願いながら、ガイはビリーの答えを待った。


 自分を見つめる、柔らかな微笑みも。
 好きだと囁き心震わせるその声も。
 優しく肌を辿る指先も。初めて服越しではなく触れた肩も、腕も、胸も、背中も。
 全部全部、覚えておこうと思う。
「ワイも、好き。ビリーが好きや」
 掛けられる言葉は買った物でも、自分が返す言葉は本物。
 一度声に出してしまえば、堰を切ったように後から後から溢れだしてくる。ずっと言えなかった気持ちを、全部、吐き出してしまいたかった。
 それでも。さすがに、未来を望む言葉は口に出せない。
「このまま……」
 ずっと、ビリーと一つに繋がっていられたらいい。
 ずっと、ビリーの傍にいられたらいい。
 言えない代わりに微笑んで見せた。
「もう少し、このまま、居って。まだ、終わりにせんといて、な」
「ああ。ずっとこのまま抱き合っていたいな」
 ズルイズルイズルイ。
 自分が怖くて告げられない言葉を、平気で口にするビリーに胸が痛かった。彼にとっては、これも仕事の一部だから。だから、簡単に言えてしまうんだとわかっていたから。だけど自分は、笑うしか出来ないのだ。
「ほな、そうして。ワイのこと、離さんといて……」
 笑って。なんでもない事のように、本音を混ぜた一晩限りの夢を語って。
「後悔、するかもしれないぞ?」
「せぇへんよ。ビリーと居れるだけで、幸せや」
「そんなこと言ってると、本気で連れてくからな」
 ビリーの笑顔が、ぼやけて霞む。
「ええよ。ワイも、連れてって……」
 なんて言葉は、明日の朝には無効になってしまうのに。それでも、嬉しくて嬉しくて。悲しい。
「泣くな」
「嬉し泣きやもん」
 強がって笑うほど、涙は止まらず流れ落ちていく。
「なに可愛いこと言ってんだか」
 クスクスと楽しげに笑いながら、涙を拭ってくれる指先。軽い音を立てながら、顔中に降るキスの雨。
 この幸せな時間を、忘れてしまわないように。ガイは一つ一つ大切に、胸の奥にしまっていった。

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サーカス13話 オマケ1

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「引き止めなくて、良かったわけ?」
 閉じてしまったドアを呆然と見つめ続けるガイに、オーナーはやれやれと言った調子で話しかけた。ピクリと肩を震わせて、ガイはようやくオーナーへと視線を移動する。
「というより、自由になった君はこの後どうやって生きて行くのかな?」
 ビリーは知らなかったようだが、オーナーは当然、ガイの両親がすでに他界していることを知っている。頼れる親戚もなく、多額の借金だけが幼いガイに残されたのだ。
 ある意味、最初にガイを救ってくれたのはこの目の前のオーナーだ。ここへと連れて来られたばかりのころは、それすら理解できていなかったけれど。
 今では、このオーナーの大切な友人を傷つけたことを申し訳なく思っていたし、ビリーの元でのイロイロが、その傷の代償だったのだとも思っている。そして、そんな罰を科した目の前の人物に、多少は感謝もしている。何より、自分を託す相手に彼を選んでくれたことがありがたい。
 身体と心を作りかえられる恐怖にさえ打ち勝てば、ビリーとの生活はそんなに辛いものではなかったからだ。
 最初は素っ気無い態度と冷たい視線が怖かったが、彼は彼の立場を維持するために、本来持っている優しさを隠しているのだと、途中で気付いてしまった。そしてそれに気付いてしまった後は、彼との生活の終わりが、一日でも遠ければいいと願うようにすらなっていた。
 それくらい、いつの間にかビリーのことを好きになってしまった自分を、ガイはしっかりと自覚している。
 考える時間だけはたくさんあったし、セージからの本やビリー自身が贈ってくれた辞書は、そんな自分の思考を色々と助けてくれた。
 性のペットだなんて言いながらも、そういった物を惜しみなく与えてくれたビリーに。せっかくの仕事の報酬を、自分のために投げ出してしまったビリーに。自分はまだ何も返せていないと、ガイは悔しさに似た気持ちで思う。
「ワイを、ここで、働かせて貰えんやろか……」
「いいけど、君が出来るような事って言ったら、その身体を使った奉仕くらいだろう? せっかくビリーが大金払って自由にしてくれたのに、君はそれでいいのかい?」
 ビリーが言っていたように、取り敢えずはセージを頼ってみる方がいいのではないかと言うオーナーの薦めに、けれどガイは首を横に振った。
「飼われるのと、仕事は、ちゃう。ビリーにその金返すためやったら、なんでもするで」
「それをビリーが喜ぶかは別問題、と思うけど。まぁ、原因の一端を担ってる立場として、君の事は僕が買うことにするよ」
「オーナーが、ワイを?」
「君がこれだけの金額を稼ぐまでの専属契約。そうだね、1ヶ月でどうかな。1ヶ月、君は僕の求めに逆らわず奉仕する」
「たった、1ヶ月……?」
 ビリーが残して行った机の上のケースには、ガイが目にしたことのない程の紙幣が詰まっている。何年掛かっても返すつもりの覚悟を決めて、身体を使った仕事を選んだガイにとって、その数字はあまりにも短いように思えた。
「君は僕を嫌ってるかもしれないけど、だからこそ、そんな君が僕にかしずき奉仕する姿には価値がありそうだ。もちろん期間中の衣食住はこちらが用意するし、そんなに悪い条件でもないと思うけど、どうする?」
 どうするもなにも、こんなにも条件の良い仕事を断る理由などあるはずがない。即座に了承の意思を告げたガイは、オーナーへ向かって頭を下げた。

 
 飽きた。とオーナーが言い出したのは、ガイとの専属契約を結んだ日から半月足らずのことだった。
「だってガイ、君ってば本当になんでもするし、させるからね。もうちょっと、嫌がるなり辛そうな顔を見せるなり、前みたいに睨みつけてくるなりするかと思ってたのに」
「仕事やからです。それに、そういう風に、ビリーにワイを変えさせたん、オーナーやないですか」
 実の所、忙しいオーナーがガイとの行為に時間を裂くこと自体が少なかったので、ほんの数回しかガイは相手をしていない。だから尚更、ガイも躍起になってオーナーの要望に応え続けてきたのだが、それが原因で飽きたと言われても困ってしまう。
 オーナー以外に、こんな好条件でガイを買おうという人間はいないだろう。なるべく早く、ビリーにお金を届けたいガイとしては、できれば契約期間の最後まで仕事を続けさせて欲しかった。
「それは、そうだけど。一つ聞いてもいいかな、ガイ」
「なんですか?」
「君、僕の事、怨んでる?」
「……あの人のこと、傷つけてしもうたんは、ワイが悪かったと思うてます。せやから、怨んでるてのとはちゃうと思います」
「君から、謝罪の言葉を聞く日がくるとは思わなかったな」
 驚きと困惑の混じる微笑を見せるオーナーに、ガイはどこか楽しげな笑顔を返しながら。
「ホンマは、感謝してんねん。ビリーを選んだん、オーナーやろ?」
 親しみを感じさせる、少し砕けた口調で吐き出されたセリフに、オーナーは大仰に肩を竦めて見せる。
「まったく。ビリーやセージが君に入れ込む気持ちが少しだけわかった気がするよ」
 おいでと言いながら椅子から立ち上がったオーナーに続いて、ガイも座っていた椅子から立ち上がる。
「ここに。僕の目の前まで、おいで」
 指示された通りに目の前まで移動すれば、今度は両手を差し出すようにと言われた。
「君との契約はこれでおしまい。もちろん契約通りの報酬を払うし、後半月はここに住んでて構わない。次の仕事も、君が望むなら出来る限り世話するよ」
 両手の上にズシリと乗せられたそれは、ビリーがあの日受け取る事のなかったケースだった。中身も当然、あの日のままなのだろう。
 ガイは言葉もなく、目の前のオーナーをただただ見つめてしまった。
「僕の気が変わらないうちに、ビリーの所へそれを持っていったら?」
 苦笑されて、ようやく。ガイは渡されたケースを一旦床へ降ろすと、オーナーへ向かって両手を伸ばし抱きつき、腹へと頭を擦り付ける。
「どういうつもり?」
 抱き返される腕はなく、困惑の声だけがガイに落ちる。
「おおきに。ホンマ、感謝しとる」
「いいよ。君にそんなこと言われても、却って気味悪い」
 ポンと頭の上に乗せられた手に促されて顔をあげれば、スッと降りてきた唇が、軽くガイの唇を塞いだ。
「契約外だけど、これくらいなら構わないだろ?」
 ニコリと笑うオーナーに、ガイも黙って頷いて見せる。
「ほら、もう行きな。本当に気が変わったら、困るだろう?」
 床に置いたケースを取り上げて、再度ガイの手にそれを握らせたオーナーは、ガイの体の向きをクルリと変えて背中を押し出した。

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サーカス12話 ガイの意思を聞く

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「お前はどうしたいんだ、ガイ」
 ビリーの言葉が自分に向かうとは思っていなかったのだろう。ガイは驚きで目を見張る。
「ワイ……?」
「そうだ。お前がもし、こんな生活から抜け出したいって言うなら、買ってやってもいい」
「正気で言うてん?」
「冗談で言うか。俺にはお前を性欲処理のペットとして飼い続けようなんて趣味はないが、お前のことはこれでも結構気に入ってんだよ。だから、お前が望むなら、それくらいしてやってもいい」
 探るようなガイの視線を、ビリーは真っ直ぐに受け止めた。
「どうする?」
「……抜け出し、たい」
「わかった。というわけで、商談に入りましょうか、オーナー」
 結局、今回の報酬のほとんどを手放すことになりながらも、ビリーはオーナーからガイを買い取った。
「じゃあ、商談成立で。ガイはもう、君のものだよビリー」
「というわけだ、ガイ。自宅に帰るなり、セージの所へ行くなり、好きにするといい」
「「えっ?」」
 オーナーとガイの、驚きの声が重なる。
「ちょっと待ちなよ、ビリー。君、ガイを自由にするために、あれだけの金額を僕に支払ったって言う気かい?」
「さすがに、面倒見てやれるほどの金銭的余裕はないんで」
 それに、ガイだって、散々な扱いを受けたビリーの元では、今更お前は自由だと言った所で気を使うだろう。待ち受けていたはずの、性の奴隷としての日々から開放してやれただけで、ビリーは充分に満足だった。
 自分ではガイを幸せになんてしてやれないけれど、親元に帰るなり、セージを頼るなりすれば、きっと躊躇うことなく笑えるようになるだろう。
 そう考えれば、入るはずだった報酬を諦めることすら、容易いことに思えた。
「では、俺は部屋に戻ります」
「ビリー!」
 オーナーへと頭を下げるビリーを、ガイの声が呼ぶ。振り返った先にあるのは、戸惑いの表情だった。
「なんて顔してんだよ。自由にしてやったんだ。最後くらい、笑えよ」
「あっ……」
 ガイは困ったように言葉を詰まらせる。
「なんてな。俺に向かって笑う必要なんてないから、自分のために笑って生きな」
 じゃあな。という言葉と柔らかな笑顔を最後に、ビリーはガイから視線を外して歩き出した。
 再度呼び止める声はない。

< 開放エンド >

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