親父のものだと思ってた5

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「バカにして!」
 クフフと笑いを噛み殺す気配に気づいた相手が、寄せていた体をぱっと離したかと思うと、ガチッというやや鈍い音とともに勢いよく口に唇を押し当ててきた。
 こちらもそれなりに痛かったが、相手も同様に痛かったんだろう。すぐに押し付けた唇を離した相手は、そのあと口元を片手で覆い隠している。目にはわずかに涙が滲んでいるようだ。
 まさか勢い余って歯をぶつけるような、拙いキスをされるとは思わなかった。
 しかし当然ながら、下手くそと笑っていい雰囲気はない。自分たちの年齢差を考えたら、ドンマイと慰めていい場面とも思えない。
 さてどうしよう。
 なんとも気まずい空気の中、多少復活したらしき相手が無言のままヨロヨロと席につく。仕方なく自分も対面の席に腰を下ろしたが、正面に座る相手と目があうことはなかった。
「いただきます」
「待った!」
 小さな声が聞こえたと同時に慌てて声を上げれば、相手の肩がわかりやすく揺れる。ただ、なんと声をかけていいかはやはり迷ったままだった。
「あー……その」
「わすれてくれ」
「え、やだ。絶対忘れない。むしろ忘れようがない」
 弱々しい訴えを即座に断って、だって初めてのキスだよと言い返す。
「初めてのキス、痛かったなー。っていつか笑える日が来るって!」
「何いってんのお前」
「マジでマジで。今はほらその、やらかして恥ずかしい的なのあると思うけど、それもちゃんと思い出になるから! 大丈夫だから! てかキスしてくれたのめっちゃ嬉しかったから!」
 勢いよく言い募ったあと、だから落ち込まないでよと、一転かなり弱めた声音でお願いしてみる。相手はちょっと呆れた様子で溜息を吐いたけれど、お前が言うと本当にそんな未来が来そうと言って苦い顔で笑った。
「来そう、じゃなくて、来るんだって。あれも楽しい思い出の一つになるんだって」
 そう断言しながら、体の力が抜けた相手の様子に内心ちょっとホッとする。だって初めてのキスを失敗したから、なんて理由で関係を進展させることに尻込みされてはたまらない。
 とりあえずは目の前の美味しいご飯を優先させるけれど、今夜のうちにもう一回はキスして置きたい。というかキス以上のことだってしたいつもりで居たんだけど、さて、相手は一体どこまでさせてくれるだろうか。
 父親とそういう関係は一切なかった。というのは聞いたけれど、そういえば相手の恋愛経験を全く知らない。父親よりも一緒にいる時間が多かった相手は、こちらの恋愛事情も多少は知っているというのに。
 もしかして、童貞ってこともあるんだろうか。
 人間関係を失敗してニート、とは聞いたけれど、そこもあまり深く事情を聞いてはいないから、いつからニートをしてたのかだって知らない。どれだけ記憶をさかのぼっても、相手とのコミュニケーションに難を感じたことはないので、そんな彼がどんな失敗をするのか全く想像出来なかったのも大きい。
 ニートだった話にもイマイチ実感が湧いていなかったのだけれど、あのキスのおかげで、狭い人間関係の中で歳を重ねてしまった恋愛未経験者の可能性に気づいて愕然とする。
「どうした?」
 相手を見つめすぎていたらしい。しかし、まさか童貞なの? なんて聞けるはずがない。
「今日のオムライスとハンバーグもめっちゃ美味しい」
 とっさにそう返してにっこり笑えば、相手もそりゃ良かったと嬉しそうに微笑んでくれたから、多分上手くごまかせた。

続きました→

 
 
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