トキメキ7話 触れる

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 相手が男で、という部分にはなんとか目を瞑れそうだった。今、目の前にいる神崎を抱きしめキスしたとしても、そこに嫌悪の感情など湧きそうにない。むしろ、胸の内を満たすのは愛しさかも知れない。ただ、チームの後輩で、という立場にいる相手に、そんなことを許容していいのかわからない。
「いいよ」
 わからないのに、口からはそうこぼれ落ちた。神崎はその言葉の意味をはかりかねて、戸惑いの表情を浮かべている。
「勘違い、したままでも、いい」
 更に言葉を重ねれば、まさかこんな言葉を聞くとは思っていなかったのだろう。神崎は驚きに目を見張った後、遠井の言葉を否定するように首を横に振った。
「良く、ないです。今のままじゃ、俺、ハルさんと一緒にサッカーなんて出来っこない。リーグ終了まで後一ヶ月半、残り試合も少ないのに。俺だって、やっぱり試合、出たいんです」
「勘違いだったで気持ちを振り切れないなら、どっちみち今の状態は変わらないんだろ? だったら……」
 一度立ち上がり、遠井は神崎の隣へと腰を下ろす。さすがに逃げ腰になる神崎の腕を捕らえ、そっと引き寄せ抱きしめた。
 ああ、もう、戻れない所へ踏み込んでしまった。
 腕の中、ビクリと跳ねて一層の強張りを示す身体は、やはり愛しいものに思えてならない。
「いっそ、うんと近づいて、気にならなくなるくらい、慣れてしまえばいい」
「そんな、無理、です……」
「ダメダと思うから、それに捕らわれ続けるのかもしれない。とは思わないか?」
「でも、」
「少し黙って。暫くこうしてよう。大丈夫だから」
 何が大丈夫なのか、言っている本人さえ良くはわからなかったけれど、それでも神崎は諦めたように口を閉ざした。
 静まり返った室内では、空気清浄機の稼動するわずかな音さえ聞き取れる。神経を集中すれば、触れ合う肌から、神崎の中を流れる脈動すら感じ取れる気がした。
 確かに、幾分早いかも知れない。顔は背けているからその表情はわからないけれど、首筋は赤く色づいたままで、当然、腕の中の身体は未だ気を張って遠井の事を警戒している。
「神崎」
 名前を呼び掛けても、返事を返すことも、振り向くこともない。ただ、その肌だけは正直に、ピクリとわなないて見せる。
「体の力を抜いて、俺に、寄りかかって。太一」
 最後にもう一度、今度は名を呼び促した。それでもフルフルと頭を振って否定を示す神崎の肩を、宥めるように数度撫でる。
「タイチ」
 耳元へ唇を寄せ、再度、甘くその名を囁き誘った。目の前の耳朶を口に食み、ねぶってやったらどんなだろう? などという不埒な想像が脳裏を過ぎる。
「も、……やめて、下さいっ!」
 一層強く頭を振ると、神崎はキツイ口調でそう吐き出した。そして俯き、今度は気弱な声で続ける。
「ダメ、です。慣れるなんて、無理、です。できませんっ」
「だってまだ、こんなの全然近くない。それに、」
 不埒な誘惑に乗って、とうとう遠井は神崎の耳朶に舌を伸ばした。フワリと香るどこか甘い香りは、使っているシャンプーのものだろうか。
「もっとドキドキしてしまえばいい、って思ってるからな」
「やっ」
 咄嗟に逃げようとする身体を、腕に力を込めることで封じ込めてしまう。嫌がり首を振ろうとするのも、顎を捉えて固定した。柔らかな耳朶を唇で挟み、軽く歯を当て、舌先で絡め取り吸い上げる。
「あっ、……くっ、ん……」
 こぼれ出た嬌声に驚いたのか、一度大きく身体を跳ねた後、神崎の固く閉ざした口からは、くぐもった音だけが漏れた。
 柔らかな耳朶を充分堪能した後は、耳の形を辿るように舌先で耳殻をなぞり、最後には外耳道へと続く穴へ舌先を差し込んでやる。
 神崎の耳には濡れた音が届いているだろう。そして遠井の耳には神崎が堪え切れずに漏らす声が届く。その声は快楽に喘ぐと言うよりも、苦痛に呻いているようだった。
 拘束していた腕の力を緩めてその身体を開放してやれば、神崎は大きく息を吐き、前のめりに俯いて両手で顔を覆ってしまう。衝動に任せて可哀想な事をした、と思った。その反面、気持ちは嫌になるほど昂っていて、もっと神崎に触れてみたいとも思う。 
 神崎に意識されなければ、きっと遠井自身、気付かずにいただろう気持ちだった。神崎がギリギリの所で耐えて踏み込まずにいたと言うのに、そんな彼の態度に却って煽られてしまったようだ。しかも、とどまろうと必死な彼へとその手を伸ばし、引きずり込もうとしている。彼より八つも年上の自分こそが、耐えて踏みとどまるべきなのに。
「もっと、感じあえる事を確かめたい。……って言ったら、お前、どうする?」
 たとえ嫌だと言われても、逃がしてやれる気がしない。それでも、遠井は確認を取るように神崎に問い掛けた。
「なんで……」
 未だ顔を覆ったままの神崎から、そんな呟きが漏れた。手を伸ばして髪を梳いても、嫌がる素振りを見せないのは、そんな気力すら既にないのかもしれない。
「それは、神崎に意識されて、俺も、神崎を意識するようになってた、ってことかな」
「そんなの、ダメ、です」
「ダメだってわかってても、どうしようもないことだってあるだろ? お前だって、出来なかったように。俺だって、そう簡単に、一度気付いた気持ちをなかったことになんて出来ないよ」
 髪を撫で続けながら、極力優しく響くように、遠井は神崎に語り掛ける。
「俺も、ドキドキしてる。お前と違って、どうしていいかわからなくなって、逃げ出したいとは思わないけど。代わりに、もっと触れて、ドキドキさせて、そんな神崎を見たいと思うよ」
「本気で、言ってるんですか?」
「本気で言ってるし、本気で、誘ってるよ。神崎が顔をあげたら、まずはキスしたいとも思ってる」
 一房摘まんだ短い黒髪に、遠井はそっと唇を寄せた。近づく気配に気づいて、やはり少し神崎の身体が強張ったけれど、それ以上の抵抗はない。
「俺は、こんなのを望んだわけじゃ……」
「それは知ってる。ゴメンな」
 でももう逃がしてやれないよ、とはさすがに言わなかった。どうしても嫌だと言われたら、きっとこの手を放すだろう、とも思う。
「気持ちに巻き戻しが利かないなら、そのまま先へ進んでみよう、なんてのは、どうしても許せないか? 俺に触れられるのは苦痛でしかないか? 嫌で嫌でたまらないなら、そう、言って欲しい」
 目の前で打ちひしがれる神崎を見ているうちに、昂っていた気持ちも随分と落ち着いていた。おかげで、肯定されたら諦めようかという気も、多少頭をもたげてきていた。

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トキメキ6話 来訪

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 部屋を汚されたといっても場所がフローリングの床だったおかげでそんなに苦労はしなかったし、その後の神崎の動揺ぶりの原因の一端は、やはり自分にもあるような気がしていた。だから遠井は神崎に対して怒ってはいなかったが、それをいちいち説明するのが面倒だったのは確かだ。
 酔って吐かれたくらいのことさっさと許してやれよ、なんておよそ見当違いの言葉を投げかけられたのに対して、ビールを箱で持って謝りに来たら許してやってもいい、と答えたのは、その場の乗りに合わせた軽い気持ちからでしかない。だから、本当にビールの箱を担いで神崎がやってくるなんてことは、チラリとも考えたりしなかった。そもそも、今の神崎が自分を訪ねてくるなんてこと自体、ありえないと思っていた節がある。
 なのに玄関のドアを開けた先、どこか思い詰めた表情で立つ神崎の足元には見覚えのある箱がドカンと置かれていた。そして、スミマセンでしたの言葉と共に、神崎の頭が深々と下げられる。
 きっと、遠井が軽い気持ちでこぼした言葉を誰かから聞いて、慌てて飛んで来たのだろう。あんな態度をとってはいても、やはり、遠井を怒らせたいわけではないのだ。そう思うと、どこか安心した気持ちが湧いた。
「多分、お前がソレ持って来た理由がわかるから、一応言っとく。お前が吐いた件に対して、俺は別に怒ってないよ」
「それは、わかって、ます。でも、酔って迷惑掛けたのも、色々お世話になったのも、それに対して謝罪も御礼も言ってなかったのも、事実だから。遅くなりましたけど、本当に、お世話になりました。どうもありがとうございましたっ」
 そこまで一気に言い切ると、神崎はずっと下げ続けたままだった頭をようやくあげる。当然目が合ったけれど、どこか耐えるような仕草を滲ませながらも、逸らそうとはしなかった。
「うん。どういたしまして」
 遠井はそう告げながら、そんな神崎を少しばかり観察した。何かしらの覚悟を決めて来たのなら、ここ暫く続いた不調に関して話し合う気があるのか、今後どうするつもりなのか、それを問うてもいいのだろうか。
「で、話はそれだけ? それとも、ようやく俺と話し合う気になったって言うなら、ついでにソレ、部屋まで運んで欲しいんだけど」
「あ、はい、もちろん運びます」
 いささかためらいの残る遠井の言葉に、けれど神崎はためらいのない声で答えて、足元の箱を持ち上げた。
 何を言われるのか、どう、応えればいいのか。
 そんな迷いが遠井の中にも小さく芽生えていたが、現状のままでいいわけがないこともわかりきっている。神崎だって、そう思うからこそ、こうして訪ねてきたのだろう。
 神崎をリビングへと招きいれた遠井は、ソファへと腰掛けるよう促してからコーヒーメーカーに豆をセットする。背中に感じる視線を気にしないようにしながらカップを用意し、暇を持て余すついでにお茶受を探した。コーヒーの香りが部屋に漂いだす中、冷蔵庫に食べかけのアーモンドチョコを見つけて、それをザラリと小皿の上にあける。そうして遠井がコーヒーを用意する間、二人の間に会話はなかった。
「どうぞ」
 コーヒーとお茶請けを運び、ようやく口を開いても、出てくる言葉はその程度で、神崎も短く、頂きますとだけ告げてカップを口元へ運ぶ。逃げ出したくて怯えている、というような状態には思えなかったが、なんと切り出そうか迷うように、視線がチラチラと遠井の顔を行き来していた。
 やはりキッカケは自分から与えるべきかもしれない。コーヒーを一口飲み込んだ後、遠井はゆっくりとカップをテーブルの上へ戻す。
「単刀直入に聞くけど、やっぱり俺を好きなのか?」
 言った途端、目の前の神崎がブホッという音を立ててコーヒーを吹き出した。慌ててティッシュの箱を神崎へ放り、遠井はキッチンへ布巾を取りに行く。
「すみません……」
 テーブルの上を拭いていると、いまだゲホゲホと咽る音と共に、謝罪の言葉が落ちた。
「突然あんなこと聞いた俺も悪かったよ。けど、一番の核心はそれだと思ってるんだが、違うか?」
 手を止めて、神崎と向き合い、再度問う。ソファに腰掛ける神崎の顔は、床に膝をつく遠井よりも高い位置にあり、自然見上げる形になった。
「違うか、って、……だって、好きって、そんな……」
「意識してたろう?」
「それは、……はい。でも、」
「あの日の朝、あんな風に目が覚めて、ビックリしたんだよな? そのドキドキを、恋と勘違いしたんじゃないのか?」
 幾分問い詰めるような口調になってしまったかもしれない。神崎は瞳を揺らしながらも、その目を遠井から逸らしてしまわぬよう、懸命に唇を噛み締め耐えている。つい指を伸ばしてしまったのは、今にも血が滲みそうな唇を心配してのものだったが、指が触れた瞬間、神崎はビクリと大きく肩を跳ねて遠井の手を払いのけた。
「あっ……」
「いや、今のは俺が悪い。悪かった。お前を責めてるわけじゃないんだ、ただ、」
「俺、は……」
 震える唇から、震える声が搾り出されて来て、遠井は更に続けようとしていた言い訳を飲み込んだ。どうしたって見詰めてしまう神崎の瞳は、ユラユラと頼りなげに揺れてはいたが、さすがに泣き出す気配はない。
「俺も、勘違いだって、思うんです。ハルさんは俺を誰かと間違えて抱きしめただけで、それにドキドキする必要なんてないし、意識するのは可笑しいって。でも、」
「ちょっと待った」
 今度は遠井が、神崎の言葉を途中で止めてしまった。どうしても聞き流せない言葉が、神崎の口からこぼれてきたからだ。
「今、抱きしめたって言ったか?」
 神崎は黙ったまま、肯定を示すように頷いてみせる。
「いつ!?」
「あの日の、朝、です。多分、ハルさん、寝ぼけてました。起きあがってた俺を、まだ起きるには早いって言って、ひっぱり戻したんです。その、腕の中に」
 その時の事を思い返しているのか、神崎の頬が少しばかり赤く染まった。
「スマン、覚えて、ない」
「いいです。わかってます。だから、俺も、これは勘違いで、間違いだって。何度も、言い聞かせたのに、でも、ダメで。ハルさんの顔見ると、どうしても思い出しちゃって、ドキドキして、どうしていいかわからなくなる。あの日みたいに、また、ハルさんを突き飛ばして逃げたくなるんです」
 ごめんなさい、と神崎は言った。こんな気持ちは絶対に可笑しい。意識しすぎてて、こんな自分は気味が悪いだろうと、申し訳なさそうに続ける。
「ハルさんのことは、チームの先輩として、凄く頼りにしてるし好きですけど、でも、それだけです。それだけじゃなきゃ、いけないのに……」
 ほとほと困り果てたという顔は、それでも遠井を意識せずにはいられないと訴えていた。そんな神崎を前に、いいよ、と言ってやりたい衝動が遠井を襲う。

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トキメキ5話 迷い

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 結局、アウェイで行われる次節試合への帯同を許されなかったのは神崎だけだった。怪我でもないのにベンチ入りすら許されなかったのは随分と久しぶりで、本来なら悔しがるべき所だろう。けれど神崎は、どこかホッとした気持ちでそれを受け入れた。
 連帯責任、という言葉では何かが間違っているとは思うが、遠井ごと居残りにならなかったことがまず一つ。
 遠井本人は自分自身の未熟さだからなどと言っていたが、小さな歯車が一つ狂うだけでも全体に影響してしまうことは多々あって、今回の場合、最初の狂いは神崎から起こしたものである。というのは間違いようもない事実だった。これで本当に遠井が試合に出られなかったら、先日豊島に指摘されたように、ますます色々と精神的負担を背負い込む羽目になっていただろう。
 二つ目は、今の精神状態で遠井と共に試合に出なくて済んだ、という点。
 今の自分の状態の悪さは、誰に指摘されるでもなく、神崎自身も良くわかっていた。とてもじゃないけれど、遠井と同じピッチに立ってサッカーが出来るとは思えない。それどころか、前はもう少しマシだったはずなのに、気持ちの切り替えがまったく上手く行かず、遠井が近くに居ない時ですら変なミスを多発していた。だから、試合に出せる状態じゃないと言われても、納得する以外にない。というよりも、今の状態で試合に出ろと言われる方がよほど辛かった。
 だからと言って、この競争社会で、今の状態を良しとしていいわけもない。自ら打破できなければ、置いていかれ、やがては忘れられていく。活躍できる場所は限られていて、それでも毎年新しい選手が何人も入団してくるのだから、役に立てない者は去るしかないのだ。そして、そういう世界に、自ら望んで所属しているのだということも、嫌というほどわかっていた。
 しかし、そんな風に幾分冷静に思考できる余裕が持てるのはサッカーに関する事だけで、それは今までの経験と知識が神崎に与えるものだ。そしてそれとは逆に、一向に何の進展も見えぬままに停滞する思考は、遠井に対する気持ちだった。
 バカみたいに何度も繰り返し思い出してしまう、引き寄せる強い腕と、甘い声と、抱きしめられるぬくもり。思い返すだけでドキドキがあっという間に加速して、奇声を上げながら走り出したい気分に駆られるそんな気持ちを、どうすればいいのかわからない。
 仮に、相手が遠井でなく可愛い女の子だったら、これは恋と呼べる想いなんだろうかとも考えてみた。けれど、数少ない過去の恋愛を思い返しても、いまいち判断がつきかねる。
 抱きしめたり甘えられたりで多少ときめいたことはあっても、その逆は恥ずかしさが先に立ってしまってダメだった記憶しかない。変に世話を焼きたがる子よりも、甘えたがりの子との方がまだ、幾分気楽に付き合えた。
 なのに今回はどうだろう。
 相手は神崎よりもガタイの大きな、年だってかなり上の、しかも男だ。そして神崎の事を、まるで年の離れた弟を構うように世話を焼く。それなのに、抱きしめられ、甘やかすような声で囁かれただけで、今まで経験したことがないほど、心臓がバクバクと伸縮を繰り返した。緊張はしたが嫌悪の感情はなく、泣きたくなったのは決して悲しいからではなかった。
 持て余す感情になんの解決策も見出せないまま、繰り返すだけの思い出に、グラグラと気持ちばかり揺さぶられる日々が着々と過ぎていく。
 もう一度、あの暖かな腕の中で、あの甘い声を聞いて見たい。
 きっとそれが神崎の中に根付く本心で、けれどそれを認めるわけにはいかないことも本能で察知している。繰り返す無意識の否定と、そちらへ行きかける思考の拒絶が、停滞する現状を生み出していると言えた。

 

 箱ビール持って謝りに行けば許して貰えるらしいから行って来いよ。などという、わけがわからない助言を同期の友人から貰ったのは、神崎が帯同できなかったアウェイ試合の翌朝で、チームの練習はオフだった。
「ちょ、少し落ち着けよ、翔太」
「充分落ち着いてるって」
「どこがだよ。意味わかんねぇよ」
「だーかーらー、遠井さんだよ。お前、あの人んちでゲロって怒らせたんだろ? だからビール! ビール、箱で買って持ってきたら許してもいいってよ。ほら、早く行け。今すぐ行けっ」
 朝っぱらからいきなり部屋に押し掛けて来てのそんな言葉に、何の話かわからず目を白黒させる神崎に焦れたようで、各務翔太はそうまくしたてる。
「えっ、って、それ、ハルさんがそう言ったのか?」
「そう言ってたらしい、ってのを昨日の夜、聞いた。お前もさ、あんだけよくして貰っといてそんなことしちゃったら合わす顔ないってのもわからなくないけどさ、いつまでもこんな状態嫌だろ?」
 だから行って来いよと再度促されて、神崎はその勢いに押されるように、わかったと頷いて見せた。各務はようやく少しホッとしたような顔をして、絶対行け、今すぐ行け、と念を押してから帰って行く。来たときも唐突だったが、去るのもあっさりと躊躇いがない。本当に、それだけを伝えに来たらしい。
 パタンとドアが閉まり、シンと静まり返った玄関先に立ち尽くしながら、神崎はマズイなと思った。神崎の不調の原因はもちろん、遠井を怒らせたからなどというものではなかったし、そもそもあの日の朝、遠井は怒っていなかったはずだ。
 大丈夫だと笑ってくれたから深く考えもせず、というよりも、自分の中に湧いてしまった混乱に気を取られて、記憶がなくなるほどに泥酔し、吐き、それの片付けを遠井にやらせたあげく、自分はさっさと家主のベッドを借りて眠っていたのだ、という事実に対して、謝罪どころか礼の言葉一つ告げてはいない。そのくせ、その後の一週間、まともに顔も合わせられないほどの動揺が続いていて、遠井の前から逃げ続けてしまった。
 自分のことばかりに手いっぱいで考えもしなかったけれど、酔って吐いてしまったことそのものに対しては怒っていなかったかも知れない遠井も、その後の神崎の態度に怒りを感じたとしてもなんら不思議はない。
 それに加えて、先日といい、今といい、遠井に対する態度のあからさまな変容に、色々な人に心配を掛けている。それをうざったいと感じ、放っておいて欲しいと思う気持ちもないわけではないが、こうして気に掛けてくれる人間が、自分の周りに居るということがどんなに有難いかも知っていた。
 情けない、と思う。
 遠井の前に立つだけで、緊張と混乱で何を言ってしまうか、してしまうか、わからない。などという理由で、自分はいつまで逃げ続けるのか。まずは謝罪と感謝の気持ちを伝えて、それから、これから先のことを少しだけでも相談してみようと思った。
 同じ男で、今までは少し仲が良い程度だった後輩に、近くに居ると意識し過ぎて緊張して動悸が止まらなくなって混乱する、などと告げられても困るどころかドン引きの可能性も高いから、できるなら何も言わずに気持ちが落ち着くのを待ちたかったけれど、そんな呑気なことを言っていられる状況ではなさそうだ。
(たとえ何を言われようと、前へ進むしかないんだから、覚悟を決めろ)
 そう自分に言い聞かせて、神崎はヨシ、と呟き壁に掛かった時計へ目をやった。今すぐ寮を出ても、さすがに酒屋は開いていない。謝罪しに行くことを考えれば、やはり身奇麗にしておくべきだろう。少しだけ迷った後、神崎はバスルームへ向かった。

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トキメキ4話 意識される

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 なんだか意識されてるな~ などと苦笑していられたのは、神崎を寮まで送った翌日の練習時くらいまでで、週の半ばを過ぎてもギクシャクされたままでは不安にすらなってくる。
 あからさまな神崎の不調に、今日はそろって練習後に監督からのお呼び出しを食らってしまった。挙句、今のままでは2人とも次の試合には出せないという御達しと共に、お互いいい大人なんだからきちんと話しあって解決しなさいと諭された。
「すみません……」
「や、謝られてもな」
 監督の話が終わると共に、隣からしょげきった声が聞こえてくる。謝るくらいなら意識するのを止めるか、せめて監督の言うように、話し合うなりして解決の糸口を探してもらいたい。現状では、遠井が話し合おうと歩み寄った所で、神崎が逃げてしまうのだから困りものだ。
「神崎さ~」
 そんな二人に割り込んできたのは豊島だった。三年ほど前に移籍して来た選手で、遠井と同じ年というのも手伝い、普段から行動を共にすることが多い。遠井がなにかと神崎を構ってしまうのを、良く面白げに見ている。お前は神崎を甘やかしすぎだと笑いながらも、一緒になって構っていることも多いのだから、なんだかんだで豊島も神崎を気に入っているんだろう。
「はいっ」
 硬い返事は更に小言を言われると思って身構えたせいだろうけれど、豊島は言葉を続ける代わりに、ニヤリと笑って神崎の腕を掴んだ。そしてすばやい動きでグイと引き寄せ、その身体を遠井の方へ向けてくる。思わず遠井もそれに倣い、二人に向き合うよう身体の向きを変えた。
「正直に話してみな、神崎。先日のお泊りで、いったいハルに何された?」
「う、やっ、別に何も……」
 強い力で押さえられているのか、身体の向きを変えられないらしい神崎は、困ったように視線を彷徨わせた後で顔を斜め下へと向けてしまう。
「まともに顔も合わせられないで、何も、ってこたないだろ。こいつが何か悪さしたってなら、俺がお前の代わりに怒ってやるぞ?」
「いや、もう、その、本当に、ハルさんは何も悪くないですからっ」
「てことは、神崎の都合で、ハルは次の試合に出れないかもってことでいいのか? それはお前、余計に重くなるぞ、色々と。ハルのせいでこうなったーって言っといた方が良いんじゃないか? ん?」
「で、でも……、俺が、勝手に……」
 俯く顔の目元が赤くなって、ジワリと涙が浮かぶさまに、遠井はもういいよと二人の会話を遮った。
「俺が何かしたってなら、言って欲しいとは思うけど、今の神崎はそれどころじゃなさそうだし。試合に関しては、もし出れなくても、神崎の不調に振り回されてる俺自身の未熟ってことでいいから」
 先に戻れと言いながら、軽く手を振り追い払うような仕草を見せれば、豊島も諦めたように神崎を掴んでいた手を放す。神崎は遠井と目を合わせないままに深く頭を下げた後、逃げるように走り去っていく。
 自分のこぼす溜息が、やけに大きく響いた。
「で、ホントに、何もしてないわけ?」
 豊島の興味の矛先は、次にはやはり遠井へと向いたようで、好奇心半分・心配半分の表情を見せている。
「したよ」
「え、何をっ!?」
「あいつのゲロの後始末」
「う、うー……ん。ちょっと、そういうのとは違くないか、あれは」
「いや、だからさ、脱がしたんだよ、服。洗ってやるから脱げって言ってさ、ひん剥いたわけ。向こうは覚えてないみたいだけど」
「で?」
「で、汚れ物を洗濯機に突っ込んでリビング戻ったら、パンツ丸出しで気持ち良さそうに寝こけてた」
「から、思わず襲ってしまったと……」
 女日照りなら合コンでもセッティングするか? などと、豊島はどこか真顔で問うて来る。男なんか襲うかと返しながら、遠井は相手を小突いた。
「だから、あいつをベッド運んだ後に、床上に残されたブツの始末をしてたんだって、俺は」
「それのどこに、神崎がお前をあそこまで意識する要素があるっての?」
「覚えてなかったからだろ? ゲロって服脱いだこと。で、朝、裸同然のカッコで俺の隣で目が覚めて、ビックリしたわけだ」
「何のドラマだよ。って、まさかお前も裸で寝てたとか?」
「や、俺は着てたけど」
「なんだかな~ なぁ、本当にそれだけなの?」
 それだけなのかと聞かれても、遠井の知る範囲ではそれ以外に要素はないように思えた。起きた時の神崎の慌てようからすると、あの状況に相当気が動転していたんだろう、くらいにしかわからない。だからといって、あれがここまで意識される程のことにも思えないから不思議なのだけれど、それは神崎が何も言わないのだから仕方がなかった。
「神崎ってさ、相当純情?」
「かもな。練習態度も真面目だし、愛だ恋だも同じくらい真面目に考えてる可能性はある。正直俺だって、感謝される事はあっても、意識される事になるなんて思ってなかったよ」
「いやでも、あれかも。真面目すぎて、先輩に迷惑掛けまくったのが申し訳なくて顔も合わせられない、とか?」
「ああ、それもありかな」
 そう返しながらも、それはないなと思う。真面目だから、それを気にしての行動ならまずは謝り倒すだろう。けれどあの日の朝、動揺しまくる神崎に前夜の粗相を謝罪された記憶はない。
「それにしたって、問題あるぞ、あれは」
「わかってるんだけど、こっちもあんまり強く出れないし」
「なんでっ! つかさっきも、せっかく捕まえたのに、なんでさっさと開放してやるかな。監督じゃないけど、一度ちゃんと話し合った方がいいぞ、お前ら」
「話し合った方がいいってのは、俺だって思うけど。なんていうか、もしかして可哀想な事したかも、とも、思ってるんだよな。いくら俺が発端で神崎が潰れたんだとしても、俺が介抱したりしないで、あいつの同期に世話押し付けてれば良かったのかも」
「可哀想って、なんつーか……ホント神崎に甘いな、お前」
「そうかもな」
「自覚あるなら、もうちょっとどうにかならないのかよ。本当にさっき話したことだけしかしてないってなら、お前にゲロの始末させたってのも含めて、そんなのズルズル引きずってる神崎が明らかに可笑しいだろ? 俺はてっきり、酔った勢いでやっちゃった、とか、そういう恐ろしい想像までしてたぞ?」
「そりゃ確かに怖いな。てか、やめてくれ」
 遠井は思いっきり顔をしかめて見せた後、そろそろ行こうと告げて歩き出す。さすがに皆引き上げてしまって、練習場に残っているのは二人だけになっていた。結構話しこんでいたから、あれだけ慌てて去って行った神崎と、ロッカールームで顔を合わすこともないだろう。
「悪かった。でもホント、お前自身が巻き込まれて調子落としてる状態なんだから、さっさとなんとかしろよ?」
 遠井を追かけるように背中に届いた謝罪と心配に、やはり遠井は、わかってるよとしか返す事が出来なかった。

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トキメキ3話 翌朝の動揺

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 鈍い頭の痛みと胸のムカつきに目を開けば、そこは知らない場所だった。薄暗い室内に感じる一番の違和感は、普段見慣れているよりも高い天井と照明器具だ。
(ここはいったいどこなんだ……)
 痛みの中にも、おかしさを感じる程度の余裕はあって、神崎は自分の記憶を手繰る。
 昨夜は久々の勝利にチームメイトと連れ立って飲みに行っていた。そこで、成人後初めての勝ち星だからと、やたらめったら飲まされた、という所までは覚えている。しかし、店を出た記憶がまったくといっていい程なかった。
(飲みすぎて潰れた、とか? それはちょっとかなり失敗した、かも)
 そう思ってしまう第一の理由は、同期に寮を出ている人間が居ないことだ。ということは、先輩のお世話になってしまった可能性が高い。
(ハルさん、だよなきっと。てことは、ここ、ハルさん家の寝室?)
 目を掛けてくれる先輩の住むマンションへ、お邪魔した事がないとは言わない。けれどさすがに、寝室にまで踏み込んだことはない。第一、以前神崎が遠井の家に呼ばれた時には、まだ遠井には彼女がいて、半ば同棲に近い状態だった。というより、その彼女の手料理を振舞って貰うために訪れたようなものだった。
 遠井自慢の料理上手な彼女は、チームでは既にかなり有名だったし、神埼以外にもそうして手料理を振舞われたチームメイトは数多い。こんな風にチームの皆に次々と紹介しているのだから、きっと二人はそのまま結婚するのだろうと思っていた。なのに、チームの戦積悪化と共にそちらの関係も悪化してしまったようで、夏が終わる前にはどうやら別れてしまったらしい。むしろそうでなければ、いくらなんでも後輩の男にベッドを貸したりはしないだろうけれど。
 そこまで考えて、神崎はようやく身体を起こす。はたして隣には遠井が眠っていた。けれど、やっぱりなどと思う間もなく、違和感に視線を自分の腹へと落としたその瞬間。
 驚きのあまり叫びそうになった。
 なんとかこらえて、一瞬にして混乱した思考を落ち着けるように、神崎は深呼吸を繰り返す。それからおそるおそる掛け布団を持ち上げ、下半身をチェックした。
 そこに見えた自分の下着に、ホッとしていいのかむしろもっと慌てるべきなのか。
 酒に酔って目が覚めたら、知らない女と裸で寝てた。なんてのは漫画やドラマの世界の話だと思っていたが、いっそそっちの方が、まだマシだったかもしれないなんて事まで思う。良く知った男のすぐ隣で、下着一枚で目覚めてしまった自分はどうすればいいのか。記憶がない、というのがこんなにも恐ろしいものだなんて知らなかった。
 しばらく布団の端を握って固まっていた神崎は、再度確認するように、ゆっくりと自分の隣に視線を向ける。多少前髪が乱れてはいるが、仰向けに横たわる遠井は穏やかな寝顔を晒していた。
 神埼も175cmとそう背の低いほうではないが、その神崎を10cmは軽く超える長身の遠井は、そのガタイとは裏腹に幾分幼い顔立ちをしている。こんな寝顔を見てしまうと尚更、本当は八つも年上だなんて到底思えなかった。思わずその顔を凝視してしまった神崎は、やがて襟元に見える布地に気付いて、そっと遠井を覆う布団の端を持ち上げる。
 ホーッと吐き出す長い溜息は、遠井が長袖のTシャツとスウェットパンツをしっかり着込んでいるのを見た安心感からだ。遠井も同じように、裸同然、なんて格好じゃなくて本当に良かった。
「んんっ…」
「あ、すみまっ……!!」
 隣でごそごそと動いたせいで、遠井を起こしてしまったかと謝りかけた神崎は、次の瞬間、またしても叫び声を堪える羽目になった。
(えええっっ!?)
 神崎がいる方向へゴロリと寝返るようにして、遠井の腕が腹にまわったかと思うと、思いがけない強さでもって引き寄せられる。気付けばすっぽりと抱きこまれる形で、ベッドの上に横になっていた。
「まだ起きるには早いだろ」
 耳元に吹き込まれる声は、まるで幼子や恋人を甘やかすかのように柔らかい。日々、お気に入りの後輩としてかなり構われている自覚のある神崎ですら、さすがにこんな声を聞いたことはなかった。本当に遠井は、今、腕の中に居るのが神崎なのだということを理解しているのだろうか?
 寝ぼけて間違えているのかもしれない。恋人と別れてからまだ数ヶ月しか経って居ないし、きっとそうだ。そうに違いない。じゃなきゃ、男の自分相手にこんな態度はとらないハズだ。これは勘違いの間違いで、だからそれを意識する必要なんてないし、意識する方がオカシイんだ。ダメダ、ダメダ、ダメダ、俺。気にするな。勘違いだ。間違いだ。
 神崎の頭の中を、そんな言葉がグルグルとまわる。
 けれど思考を裏切って、神崎の鼓動はだんだんと早くなり、耳の奥でドクドクと脈打つ音もまた、大きさを増すようだった。こんなに大きな音をたてたら、遠井が目を覚ましてしまわないかと心配になる。なのに、気持ちを落ち着けようと繰り返す深呼吸ですら、あまりの近さに遠井の匂いが混じって居るような気がして、余計に落ち着かない気分にさせる。
 遠井が目覚めるまで、このままなんだろうか?
 そう考えると、なんだか泣きたい気持ちになった。できればそっとここから抜け出したい。なのに、今は軽く乗せられているだけの腕をどける作業すら、躊躇ってしまう。というよりも、遠井の身体に触れるのが酷く怖かった。
 それはもう、起こしてしまったら申し訳ないとか、そういった問題ではない。触れたら、自分の中の何かが変わってしまいそうな予感がして恐ろしい。
 そんな風にガチガチに緊張して動けない神崎を追い詰めるように、規則正しく繰り返される遠井の寝息が頬に掛かった。遠井がほんの少し身じろいだからだ。その行為で、やはりほんの少しだったけれど二人の距離が近づいて、先程よりも寝息が届く割合が増えたのだろう。
(もうだめだっ)
 そう思うと同時に、神崎はギシギシと軋む音さえ聞こえてきそうなほど、今は自らの意思で動かす事が困難な自分の手をどうにか遠井の胸まで運ぶ。服越しに触れているだけなのに、確かに感じる遠井の熱に、腕が震えそうだった。
 何とか堪え、持てる力の全てでもって遠井の胸を押す。そして、遠井の目が開くよりも先に身体を起こし、まるで逃げるようにベッドを降りる。だからといって、裸同然の格好で本当に逃げ出せるわけもない。戸惑いながらもゆっくりと振り返れば、上体を起こした遠井が、目が醒めきっていない顔でぼんやりと神崎を見ていた。
 どう声を掛ければいいのかなんてわからない。
「神崎……?」
 言葉を失くして立ち尽くす神崎を呼ぶ声は、聞き慣れたいつもの遠井の声だった。どこかホッとしながらも、釈然としない気持ちが残る。
「起こしてすみません。あの、俺の服は……」
「ん、ああ、全部まとめて洗濯機の中。乾くの待てずに俺も寝たから」
 搾り出す声は震えてしまったが、遠井は気付かなかったか、もしくは気付いていても無視してくれた。
「お前、吐いたの覚えてるか?」
「……いいえ」
「吐いたんだよ、盛大に。しかも、俺んちのリビングの床に、な」
「えっ」
「ま、いいけど。何回かやりゃ自分の限界もわかるようになるって。そのうちな」
「って、そんな……」
 やはりすぐには言葉の出ない神崎をよそに、遠井もベッドを降りてくる。
「起きたら裸で、しかも記憶なくって、ビックリしたんだろ? 簡単にだけど朝飯作るよ。食ったら寮まで送ってやるから、シャワーでも浴びてさっぱりしてきたらどうだ」
 わかってるから大丈夫だよ、とでも言うように軽く神崎の肩を叩くと、遠井は寝室のドアを開けた。
「ほら、おいで」
 苦笑半分に優しく笑う遠井に、混沌とした感情の波が押し寄せて、なんだかどうしようもなく、泣き喚きたくなって困った。

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トキメキ2話 連れ帰り

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 神埼を抱えるようにして部屋へ辿りついた遠井は、まず神崎をリビングのソファに座らせた。その顔は先ほどと変わらず色をなくしていたが、取り敢えず意識は保たれている。
「大丈夫か? 辛いなら、横になっても構わないぞ」
 このまま寝られるようなら、寝かせてしまおうと思った。けれど神崎はゆるく首を振り、大きく息を吐き出しながら、酷く疲れた様子で俯いてしまう。
「気持ち悪いのか? 吐きそうか? 吐くならトイレまで連れてってやるから、もう少し我慢できるか?」
 やはりゆるく首を振る。けれどどちらの言葉に対する返答なのかがわからない。質問の仕方を間違えた。
 苦笑しつつ、遠井は神崎の様子を窺う。仮に吐き気はないのだとしても、やはりこのままでは少し不安な気がした。 
 寝ながら吐かれでもしたら、後始末も余計な手が掛かる。無理矢理にでも吐かせてしまったほうが良いかも知れない。
「連れてってやるから、トイレに行こう」
 肩を叩き、しゃがみこんでその顔を下から覗き込んだ。
「取り敢えず、吐けるなら吐いた方がいい。な?」
 神埼が頷くのを待って、その手を取り立ち上がらせる。けれど数歩も歩かぬうちに、神崎はその場に座り込んでしまった。口元を両手で覆うと、次には背を丸めてえずき始めてしまう。
 失敗した。こんなことなら、先にリビングではなくトイレに連れて行くべきだった。
 タクシーの中で吐かなかっただけマシだと自分を慰めながら、苦笑を飲み込み、仕方なくその背をさすってやる。
 落ち着くのを待ってから、再度神崎を立たせ、遠井はキッチンへと向かった。洗面所よりもそちらのが近かったからだ。汚れる範囲は狭いほうが、後片付けも楽でいい。
 背後から抱えるように支え、神崎の手を取った遠井は、自らの手と共に一緒くたに洗い、神崎の手に付着した汚れを落としてやる。
「まだ吐きそうか?」
「いえ」
 呟くような声ではあったが、どうにか遠井の耳にもそれは届いた。
「なら口すすいで。持てるか?」
 グラスに水を注いで口元まで運んでやれば、遠井のその手を追いかけるように、神崎の腕が持ち上がる。どうやらグラスを受け取る意思はあるらしい。
 しっかりとグラスを握ったのを確かめてから、そっと手を外した。今にも落としやしないかと、内心ハラハラしながら遠井が見守る中、神崎はゆっくりとした動作でグラスを傾けて行く。口をすすぐのを待ちながら、まるで小さな子供の世話をする親のようだと思った。これでは保護者と言われるのも当然だ。
 吐いて少しは楽になったのだろう。リビングに戻り再度ソファに座らせる頃には、神崎の顔には多少の赤みが戻っていた。
 ホッとしつつ、服の汚れを確かめるように目を走らせる。どうやらジーンズは無事のようだったが、上着の袖と、開かれた上着の間、シャツの胸元に汚れが付着していた。
「洗ってやるから、それ、脱げるか?」
 頷き服に手をかける神崎を手伝い、脱がせた服を手に取り立ち上がる。
「すぐ戻るから、もうちょっとだけ起きててくれよ」
 このまま神崎をリビングに寝かせるわけにはいかない。掃除をするのに邪魔になってしまうから、この際、寝室に運んでしまおうと思った。さすがにもう吐きそうな気配はないから、きっと大丈夫だろう。
 けれど、洗濯機を回してからリビングに戻った遠井は、ソファで眠る神埼に溜息を吐き出すことになった。ご丁寧にも自らジーンズを脱ぎ捨て、下着一枚で横になっている。
「あーあー、もう、しょうがないなぁ」
 脱ぎ捨てられたジーンズは、置かれた場所が悪かった。結局汚れてしまったそれを、一瞬の躊躇いの後、洗面所へ運んで洗濯機の中に突っ込んだ。さすがに、分けて洗ってやれるほどの気力はなかった。この後も、やることは色々と残っている。
 再度リビングへと戻り、眠る神崎の様子を窺う。吐いてスッキリしたためだろう。とても気持ちの良さそうな寝顔だった。
 ゴールを見据えるするどい眼光は、チームメイトとしては頼もしく感じるものだけれど、時に、視線が怖いと言われることがあるらしい。今ではすっかり慣れてしまって、ジッと見つめられたところで、怖いなんて感情は露ほども湧かない遠井も、神埼が入団したばかりの頃は、随分と柄が悪そうな新人が入ったものだと思っていた。
 こうして目を閉じていると、瞳のきつさが和らいで、随分と優しい顔になる。それを可愛いと感じこそすれ、吐いた上にさっさと一人で気持ちよく寝入っているというのに、怒りの感情はまったくと言っていいほど湧いていない。
 そんな自分にいっそ呆れてしまう。自嘲の笑みをこぼしながら、遠井は眠る神埼の身体を抱き上げた。さすがに深い眠りには入ってなかったようで、神崎の意識が浮上する。
「ハル、さん……?」
 どこか甘えを含んだ声に呼ばれて、まったく敵わないなと思う。自然とこぼれる笑みは、柔らかなものだった。
「寝てていいよ」
 随分と優しい声が、酷く甘ったるく響いてしまい、さすがに遠井も眉を寄せる。相手は弟みたいに可愛い後輩だけれど、ちゃんと成人した男で、間違っても恋愛対象になんかならない。なのに今のは、まるで恋人に囁く口調だった。自嘲ですむレベルじゃない。
 けれどそんな遠井には気付かなかったようで、神崎はふわりと笑った後、僅かに頷きあっさり目を閉じる。そしてすぐにまた、穏やかな寝息をこぼし始める。
 神崎をベッドへ運んだ遠井は、その寝顔を満足気に眺め見た。出来ればこのまま、その隣に横になってしまいたい。そんな気持ちをこらえ、覚悟を決めて寝室を後にした。汚れたリビングの後始末という、大仕事が待っている。

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