トキメキ11話 覚悟を決める

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 目が覚めると、部屋の中はわずかにオレンジがかっていた。カーテンの隙間から入り込む光の色で、今が夕方なのだとわかる。
 遠井に抱きこまれた時は、また緊張と激しい動機に襲われて、突き飛ばすことになるかと思ったのに。あっと言う間に眠ってしまった遠井の腕の中は暖かく、酷く心地が良かった。遠井の寝息に誘われ、吐精後の疲れも手伝って目を閉じてしまったが、どうやら随分寝ていたらしい。
 身体を起こすよりも先に隣を確認した神崎は、そこに遠井の姿がないことに、まずホッとしてしまった。どんな顔をすればいいのか、どんな顔を見せてしまうのか、わからない。
 あの日の朝聞いたのと同じ、トロトロと思考を溶かしていく甘い声にあやされながら、少しかさつく大きな手で撫でられ、たくさんのキスを至る所に落とされた。男でもあんな声をあげられるなんて、知らなかった。
 恥ずかしさに何度も逃げ出そうとし、そのたび、より甘い囁きであやされる。みっともない姿を晒す神崎に、けれど遠井は柔らかに笑って可愛いなどと言うのだ。たとえこの場限りの嘘でも、嬉しいと思った。そんなことを思う自分が情けなくて泣きそうになっても、目元に寄せられる唇で滲む涙は吸い取られ、申し訳なさそうにゴメンなどと言われてしまったら、泣いてしまうことも許されない。
 神崎に許されていたのは、与えられる快楽に従って声をあげ、遠井の名前を呼び、その肩に、背に、縋ること。それと、遠井に導かれるまま、遠井へ少しでも多くの快楽を返すこと。それだけだった。
 自分以外の男の、興奮を示す性器に触れたのなんて当然初めてだったが、あんなにぎこちない仕草でも、遠井は気持ち良いよと嬉しそうに笑ってくれた。そして、嘘ではない証拠を示すように、神崎の手を吐き出したもので濡らした。
 こうして遠井のベッドの上で目が覚めて、あれが冗談でも夢でもないのだと思い知ると、神崎の胸に押し寄せてくるのは喜びに満ちた幸せなどではなく、罪悪感とも呼べるような思いだった。
 まさかこんなことになるなんて、カケラも思っていなかったのだ。寝ぼけた遠井にちょっと抱きしめられたくらいで、必要以上に意識して、逃げて逃げて、そのせいで、遠井にまで余計な気持ちを持たせてしまった。
 甘く名前を呼ばれて、誘われて。それでも、その優しさから告げてくれたのだろう、本気で嫌ならという言葉にすら、一度だって頷く事が出来なかった。頭ではダメだとわかっていたのに抗えず、その手を自ら望んで、受け入れてしまった。
 神崎はようやく上体を起こすと、深い溜息を吐き出した。遠井はどれだけ自分を甘やかす気でいるんだろうと思う。こんな気持ちに、つきあってくれる必要なんてないのに。何言ってんだ気持ち悪いと笑って、相手になんかしてくれなくていいのに。遠井の中にも生まれてしまったという気持ちを、それこそ、勘違いだと思ってくれれば良かったのに。こんな関係を、本当に今後も続ける気でいるのだろうか。
(だとしたら、チームの誰にもバレないように気を使って……?)
 考えてみても、そんなことが可能だなんてとても思えない。けれどきっと、神崎からは遠井を拒絶しきれないのだ。誘いを混ぜた囁きだけで、次はもっと簡単に、身体はその手を喜びと共に受け入れてしまうだろう。そしてそれを、確かに自分は望んでいるのだ。ということも、神崎はもう知ってしまった。
 ここに遠井がいないから、少しだけ、泣いてもいいだろうか。
 立てた膝を胸へと引き寄せ、そこへ顔を埋めるようにして、声を殺しながら神崎は泣いた。子供みたいにワーワーと、声をあげて泣いてしまいたい衝動は、その声を聞きつけて遠井がやってくるかも知れない不安から押さえつける。この涙を、遠井に見せたくはなかった。
 暫く泣いて、それから深呼吸を数度繰り返した後、神崎はようやくベッドを降りる。今回は本当に、下着一枚身にまとってはいなかったけれど、先ほど自ら脱ぎ捨てた服はまだ、全てこの部屋の中にあるはずだ。部屋の中を見回せば、それは丁寧に畳まれて、ベッド脇の、サッカーボールを模したスツールの上に乗っていた。そんな気遣いにも、胸の奥が小さく痛む。
 服を身に着け寝室を出た神崎は、最初に洗面所へ向かった。鏡を見て、今の自分の顔を確認して置きたかったし、できれば顔を洗いたい。
 鏡の前へ立てば、その中にはやはり酷い顔をした自分の姿があった。顔を洗ったくらいで、泣いた後の赤い目はごまかせないかもしれない。そう思いながらも蛇口を捻り、流れ出る水を両手ですくう。
「……ハル、さん?」
 水気を軽く手で払ってから顔を上げれば、鏡の中、心配そうな顔をした遠井が立っているのが見えた。神崎の気配に気付いて、様子を見に来たのだろう。
 慌てて振り返れば、スッとタオルが差し出される。
「あ、ありがとうございます」
 礼を言って受け取り、取り敢えずは濡れた顔に押し当てた。拭き終えタオルを顔から離せば、伸ばされた右手が左頬に添えられ、親指がそっと目元を拭っていく。
「泣いたのか?」
「……少し、だけ」
「どうして?」
「ハルさんが、いなかった、から……」
 どう返せばいいのかわからなくて、結局、そんな言葉で答えを濁した。その言葉が、目覚めたときに傍にいて欲しかったというような甘えた感情ではないことを、遠井も当然察しているようで、心配そうな表情が晴れることはない。
 神崎は半歩進んで遠井との短い距離を詰めると、遠井の肩にそっと額を押し当てた。ゆっくりと腕を持ち上げてその背を抱けば、同じように、ゆっくりとした動作で抱き返される。
 幸せだ、と思ったら、鼻の奥がツンと痛んで、神崎は幾分慌てながら言葉を紡ぐ。このままジッとしていたら、また、泣いてしまいそうだった。
「これだけ近づいても、もう、ドキドキしてどうしたらいいかわからなくなる、なんてこと、なくなりました」
 もっとずっとドキドキして、うんと恥ずかしくて、逃げ出したくてたまらない程の強烈な刺激の後では、今感じているこの胸のトキメキなんて、穏やかで心地良いものだった。
「だから、もう、大丈夫だと思います。慣れる事が出来たのは、ハルさんのおかげ、です」
「それはようするに、俺が、俺の方が大丈夫じゃないよって言ったら、お前を泣かすことになるんだってことだよな?」
「そう、ですね。嬉しくて、泣くかも知れないです。だから、言ってください。アレは、意識し過ぎる俺を慣らすためだったって。慣れたならもう必要ないだろって。そして、明日からは、またチームの仲間として、頑張って行こうって。そう、言っていいです。じゃないと、俺、ハルさんの気持ち、本気にしてしまいます」
 遠井は暫く考えるように黙った後で、神崎の耳元へぐっと唇を近づけてきた。
「俺が大丈夫じゃないから、泣いてくれるか? 太一が好きだよ。信じて欲しい」
 甘く甘く囁く声に、神崎は遠井の背を抱く腕に力を込めて、胸がピタリと合わさるほどに強く抱きしめる。同じトキメキを刻めたらいいと願った。
 遠井はそんな神崎の背を、優しく撫でさすってくれる。腕の力を抜いてそっと身体を預けても、その手は変わらず神崎をあやし続けた。
 この手の温もりを、放したくなんかない。この気持ちに巻き込む申し訳なさを飲み込んで、どこまでも自分に優しい目の前の男に、このまま甘え続ける覚悟を決める。
 易しい道ではないだろう。それでも、いつかこの手を放される日まで、好きだと言ってくれるその言葉を信じ続けようと思った。
「俺も、ハルさんが、好きです」
 うっとりと目を閉じ囁けば、その目元に柔らかなキスが落ちた。

< 終 >

 
 
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トキメキ10話 感じ合う

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 顔を離して様子を窺う。神崎は呼気を乱してはいたが、先ほどと違って、苦しそうな顔を見せてはいなかった。
「気持ちい?」
「……はい」
 恥ずかしそうに、けれど肯定の声ははっきりと発された。
「俺も、気持ち良かった」
 笑ってやれば、釣られたというよりもきっとこちらに応じようとして、同じように笑い返してくる。本当に、可愛い。それを素直に口に出したら、一転、困ったような顔になってしまった。
「可愛いって言われても、そりゃ、あんまり嬉しくはないよな」
 確かに男に対する褒め言葉ではないだろう。けれど口にせずにはいられない。
「でも、嘘じゃないんだ。お前が、可愛くってしかたないよ」
 本心からの言葉は、けれどなんの慰めにもならないどころか、却って傷つけたのかもしれない。考えてみれば当然だ。本気で可愛いだなんて、余計に性質が悪い。
 ゴメンと告げて、詫びるように目元にキスを贈った。滲んでいた涙が唇に触れて、微かな塩味が口内に広がって行く。
 そのまま唇を耳元へと滑らせれば、この後与えられる快楽を予期してか、神崎の身体に緊張が走った。
「もっといろんな所にキスしても、構わない、よな?」
 囁く声にも感じるようで、はい、と返す声は小さく震えていた。
 弱い場所は既にわかっている。そこをなぞりながら、先ほどと同じように声を噛んでしまう神崎の唇に、そっと指先を滑らせた。少しばかり力を込めて、閉ざされた唇を割り開く。
「あっ、やぁああ、あー、……うぅー」
 声を聞かせてくれと告げながら、いささか強引に指先を突きいれ、口腔内をかき回してやれば、非難めいた声があがった。
「嫌なら噛んでいい」
「うーっ、あぁー」
 嫌がって振ろうとする首を、顎を捉えて固定する。声が聞きたいだけなんだよと再度耳元で囁いた。
「どうしても嫌なら、本当に噛んでいい。噛んで、俺を止めてくれ」
 やはり嫌そうな声を発していたが、それでも噛まれることはなかった。それは神崎の優しさなのかも知れない。たとえそうだとしても、今はその優しさにつけ込む気でいっぱいだった。だから遠井は、神崎を感じさせることに意識を集中させる。聞きたいのは、快楽を混ぜてこぼれる艶やかな声だ。
 耳から首筋を辿り、肩から胸へ。触れて弄る前から、乳首の先がツンと尖っていた。軽く爪弾いただけで、ビクビクと肌が震える。高い声があふれ出す。
「あーっ、あっ、んふっ、ふぁっ」
 今度こそと、指で弄る反対側の突起へしゃぶりつき、舌で転がし、吸い上げ甘噛んでやれば、益々高くなった声が絶え間なく耳に届いた。そっと指を引き抜いても、閉じることを忘れたように、その声がおさまることはない。
「やぁ、やだぁ、……ああ、んっ」
 けれど、口腔内を弄って充分に濡れた指を、下腹部で熱を持つ陰茎へと絡めれば、喘ぐ声に嫌だという単語がはっきりと混じった。喘ぐ声も、どこか啜り泣きに近いものへと変わってしまう。
「ハルさん、ハルさんっ……おねが、い……待っ、て」
 切なく名を呼ばれ、待ってくれと懇願されて、それを無視など出来るはずもない。お手上げだと言うように両手をあげて見せた後、遠井は神崎の顔を覗き込んだ。
 ふーふーと荒い息を吐き出すその顔は上気し、赤くなった目元には今にもこぼれそうな涙が溜まっている。けれどどう控えめに見ても、嫌悪の感情は見当たらない。むしろ、中途半端な所で放り出され、開放されない熱を内に湛えた神崎の潤んだ瞳は、先ほどこぼした言葉とは裏腹に、遠井の手を待っているようにさえ見えた。
 正直、何がそんなに嫌なのか、本気でわからない。
「まだ、早いか? 俺の手が嫌なわけじゃ、ないんだよな?」
 こんなに感じて、早くイきたいだろう?
 そんな問いかけに、困ったように眉を寄せた神崎は、遠井の視線から逃げるように、目元を両手で覆ってしまった。
「太一?」
「あの、……だって、その、……お、俺ばっか、感じて、は、恥ずかしくて……」
 酷く躊躇った後で小さく吐き出されてきた理由に、口の端が持ち上がる。
「バカだな」
「ご、ごめんなさい」
 極力優しく告げたつもりだったが、怒られたとでも感じたのか、神崎は身を竦めて謝罪の言葉を口にする。そんな神崎に、遠井は困惑と諦めと愛しさとを混ぜ込んで、溜息を一つ吐き出した。
「ホント、どうしてそんな可愛いんだよ、お前」
「え、? ……っと、ごめ、」
「謝らなくていい」
 再度告げようとする謝罪の言葉を途中で遮り、そっと目元を覆う両手首を握って、ゆっくりと外させる。抵抗はなかった。そして現れた瞳に向かって、わかってなかったのかと柔らかに笑ってやる。
「恥ずかしがらせたいと思ってやってんだから、恥ずかしいのは当然だろ。嫌なのを我慢してるってならともかく、恥ずかしいからって逃げても、そんな理由じゃさすがに逃がしてやれないよ。それに、俺だって充分感じてる」
 掴んでいた片手を引き寄せ、遠井は自身の股間へと導いた。神崎は驚いたように目を見張った後、恐る恐るといった様子で、熱を持って存在を主張する遠井の性器へ指を絡める。確かめるように、握り締める。
「な? 俺なんか、どこも触られてないのに、既にこんなに感じてる」
 どうしてだかわかるかと問えば、やはりどこか困った顔で、それでも頷いて見せた。さすがに神崎も、男として経験があるのだろう。
「ほ、ホントに? 俺で?」
「そう」
 ホントにお前でだよと笑い、もし嫌じゃないならと続ける。
「自分ばかり喘がされて恥ずかしいと思うなら、そのまま握って扱いて、俺のことも喘がせればいい」
 その代わり、頼むからもう待ったはなしにしてくれと、苦笑と共に頼み込む。恥ずかしそうに頷いて、それからゆっくりと手の中の遠井を扱き始める。掴んでいた手を放せば、すぐにもう片手も股間へ伸びてきた。
 ぎこちない仕草ではあっても、さすがに自身で慣れているからだろう。快楽を誘う動きに、熱い吐息がこぼれ落ちた。
「気持ちいいよ」
 窺うように見つめる視線に笑いかけ、それから遠井も、再度神崎の性器へ指を絡める。そして、神崎の動くリズムを追うように手を動かした。
 だんだんと加速する動きを忠実に追いながら、先ほど感じる様子を見せた箇所へ唇を落とし、時に吸い上げ、軽く歯を立ててやる。
「あ、あっ、やぁっ」
「もっと感じて、恥ずかしい声を俺に聞かせて。その声で俺を煽って、そしてもっと感じさせてくれ」
 告げれば、遠井が与える快楽の刺激に、一旦止まってしまっていた神崎の手が再度動き出す。その動きに合わせるように腰を揺すった。
「いいよ。気持ち、イイ。お前は?」
「イイ、です。俺も、……気持ち、い」
「一緒に、イこうか」
 イきたいんだと、遠井から先に誘いをかける。はい、と返された応えに満足気に笑って、遠井は一度、張り詰めた自身を握りこむ神崎の手を開かせた。そしてその手の中に、神埼自身の怒張した陰茎をも握らせる。そうしてから、神崎の手を上から覆うように握り、激しく擦りあげた。
「ああっ、いいっ、イくっ、イっちゃう」
「いいよ。俺も、イく」
「っ、……はぁっんっ」
「クッ……」
 神崎の身体に緊張が走り、一度大きく身体を震わせた後、いっきに弛緩する。それとほぼ同時に、遠井も息を飲んで身を震わせた。
 どこか呆然と、それでも満たされた表情で荒い息を吐き出す神崎に、同じく満たされた気持ちいっぱいに笑いかけ、遠井は優しいキスを一つ落とした。
「少し、休憩な」
 汚れもそのままに、神崎の隣にゴロリと横になり、神崎の身体を引き寄せ抱きしめる。目を閉じれば、心地よい疲労感と共に、抗いがたい眠気が押し寄せた。
 次に意識が浮上した時には、腕の中で神崎が寝息を立てていた。眉を寄せた寝顔はどこか辛そうで、申し訳ない気持ちに襲われる。本気で拒まれはしなかったけれど、それでもやはり、そもそもは神埼から望んだ行為ではない。
 苦笑を飲み込み、遠井はゆっくりと身体を起こした。あれからどれくらいの時間が経ったのかはわからないが、神崎の腹の上に残った汚れはまだ乾いていないので、そう長いこと寝ていたわけではなさそうだ。
 ベッドを降りた遠井は、神崎の肌に残る汚れを簡単に拭った後、そっと掛布を掛けてやる。先ほど脱いだ服を着込み、神崎の服を畳んでベッド脇のスツールの上に置いた遠井は、その髪や頬に手を伸ばしたい気持ちを抑えて、静かに部屋を後にした。

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トキメキ9話 寝室へ

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 暫く待たされた後、ようやく神崎の手が伸ばされる。緊張からか、随分と指先が冷えていた。熱を分け与えるようにキュッと握り締めれば、それを誘いと取ったのか、ゆっくりとソファから立ち上がる。
「もう、待ったは聞かないからな?」
 まっすぐに見上げてくる黒い瞳を見つめ返し、覚悟の程を確かめるようにそう告げても、瞳は逸らされなかった。
「わかって、ます」
 幾分掠れた声で吐き出されたセリフに、遠井はどこかホッとしつつ柔らかな笑みをこぼす。逃がしてやる気はなくても、傷つけたいわけじゃない。神崎の気持ちを無視して、強引にことを運びたくはなかった。
 握った手を放さぬまま、寝室までの短い距離を移動する。換気のために少しばかり窓を開いていたので、部屋の中は若干冷えていた。
 さすがに窓は閉じて事に及びたい。神崎をベッド脇へ置き、窓とカーテンとを閉めた遠井は、振り返って苦笑をこぼす。随分と薄暗くなった部屋の中で、神崎はさっさと服を脱ぎ捨てている。覚悟が決まったのはなによりだが、脱がす楽しみが減ってしまった。
「俺が脱がしてやりたかったのに」
 ベッドへと近づきつつ、そのまま気持ちを伝えれば、神埼も同じように苦笑をこぼす。
「すみません」
 言葉は謝罪を告げていたが、本心ではなさそうだった。こちらの気持ちをわかっていて、敢えて自ら脱いだのだろう。今までは脱がす立場にしか立ったことがないだろう彼にしてみれば、脱がされる、なんて行為はそれだけで耐え難いのかもしれない。
 相手も同じ男なのだ。することはあっても、されることなんて、よほど積極的な女性とでも付き合ってなければ、そうそう経験していないだろう。神崎がいままでどんな女性と付き合ってきたのかなんて話は、そういえば聞いたことがなかった。
 基本男ばかりの世界な上、半分近くのメンバーが寮で生活し、遠征だの合宿だのと寝食を共にする機会もやたらと多い。だから下関係の話題に巻き込まれることは多々あるし、避けていたってある程度は吐かされているものだ。
 遠井も、特別そういった話題に興味を持ってはいないが、だからと言って嫌いなわけでもない。自ら聞いて回ったりはしないが、それでもだいたいは耳に入ってくる。
 神崎が童貞だという話は聞いたことがないから、経験はあるのだろう。童貞だなんて話した日には、まず間違いなく、翌日には話題の人となってしまうからだ。けれどそれ以上のことはほとんど知らなかった。
 神崎の性格からして、そういった話題に巻き込まれて逃げ切れるとは思えない。だから知っている人間もいるだろう。広まらないのは、神埼がそういう話題を苦手にするタイプだからだ。そういう話題に興味津々なメンバーたちも、さすがにそれくらいの気は遣う。
 こんなことなら、神崎の恋愛事情にもっと探りを入れておけば良かったと、今更ながらに思う。意識されていると気付いた後も、まさかこんな風に惹かれることになるなんて、カケラも思っていなかったのだから仕方がないけれど。
「ま、積極的なのも、それはそれで歓迎だからいいけどな」
 ニヤリと笑ってやって、遠井も自らの服に手をかける。同じように服を全て脱ぎ捨ててから、隣に立ったままそれを黙って待っていた神崎の腕を取り、揃ってベッドの上へと転がった。
 仕切りなおしのキスでもなく、先ほど中断した胸の先に触れるでもなく、まずは股間に手を伸ばす。
「は、ハルさんっ!?」
 上擦った声が名前を呼んだ。うん、とだけ答えて、握ったモノの形を確かめるようにヤワヤワと揉みこんでやる。先ほどの刺激によってか既に形を変えていたそれは、あっと言う間に硬度を増した。
「ハルさんっっ」
 必死な声が再度名前を呼んだ。さすがに男の握力は違う。縋るように掴まれた肩の痛みに、こぼれるのは苦笑。それを、感じる自分を笑われたと思ったらしい。目にわかるほど、神崎の頬の赤味が増した。
「ま、って」
「もう待たないって言ったろ?」
「で、でもっ」
「どんどん硬くなってる」
「だ、だって、……」
「だって、気持ちイイんだよな?」
 今度は本当に、神崎に対して笑った。覚悟をチラつかせながら、自分から進んで服を脱ぎ捨てたくせに。男なのだから、感じていることは隠しようがない。そんな状態を自ら晒して、なのに握られた程度であっさり狼狽えてみせる。年齢の差によるものは当然あるだろうけれど、そんな慣れないところが益々愛しい。
「可愛いよ」
「嘘っ」
「嘘なもんか」
 元々、神崎は可愛い後輩だった。確かに、姿かたちがという意味ではない。少し吊り気味の瞳は一見きつく感じるし、口数少なく寡黙な態度は時に冷たい男にも見える。間違っても、愛想がいいなんてことは言えない。けれどその実、とても素直で真面目な本質を持っている。
 妹という繋がりがなければ、遠井もその本質に気付くまでにもっと時間を要しただろう。打ち解けてしまえば、軽いジョークにだって笑顔を見せるし、積極的に話題を提供するほうではないけれど、会話が続かないなんて状態にはならない。むしろその真面目さから、一見くだらない話さえ、真剣に耳を傾けてくれる。
 遠井自身がよく構うことと、打ち解けるのが早かったせいもあってか、比較的良く懐かれているとも思う。だから余計に可愛いのだろう。もちろん、それはちゃんと自覚していた。しかしそれを今までは、弟のようだと感じていたのだ。
 いくら可愛い後輩でも相手は男で、本来、遠井の性愛の対象は女性だ。だから当然、性の対象になんて考えたことがなかった。けれどこうして向かい合えば、その姿かたちも愛しく、ぎこちない仕草はいちいち可愛いと思う。
 柔らかで豊かな胸などなくても一向に構わないと思わせるほど、張りのある筋肉や手の中で硬度を増していくわかりやすい快楽の象徴、そして戸惑い気味にこぼれる歓喜の混ざる声に、充分に煽られ興奮が増していく。
「本当に、可愛いよ」
 念を押すように告げて、それからようやく唇を塞いだ。手の中の性器に刺激を送り続ければ、今度はあっさり、堪えきれないとばかりに口を開く。喘ぐ呼吸を遮ってしまうのは可哀想かと思いながらも、ここぞとばかりに舌を伸ばし口腔内を探った。
「ふぅ、んっ、……やぁっ」
 くぐもった声に混じる否定の意思は、取り敢えず無視を決め込んだ。けれどそう長くは続かない。本気で抵抗されれば、力でどうこうできるわけもなかった。
 肩をきつく掴まれ、引き剥がす勢いで押される。さすがの痛みに、遠井は諦めて身を離した。困ったなと思いつつ覗き込んだ瞳は、潤んで揺らめいていたが、それでも嫌悪の色はない。真っ赤になって荒い息を吐き出すその様子に、まさか息継ぎが出来ないとかいうオチじゃあるまいなと思いながら問いかける。
「何が、嫌?」
「何が……って」
「深いキスが? 扱かれるのが? それとも感じることがか? まさか息ができないとか言うなよ?」
 ほぼ一息に浴びせかければ、神崎は考え込むように口を閉ざしてしまった。何が嫌だったのかを、真剣に探しているのかもしれない。
 目の前に居るのは二十歳を超えた大人だけれど、そこらの処女よりよっぽど初心で、自分が押し倒される状況を、カケラだって考えたことがないだろう相手なのだと言うことを、うっかり失念していた。慣れない態度に、可愛いなどと思っているだけではダメなのだ。
 多分きっと、強引に快楽で流し、先に進もうとするこちらの気配に気づいて、驚いたか怖くなったかしたのだろう。
「ゴメンな。ちょっと急ぎすぎたよな」
 返事を待たずに謝罪を告げれば、考え込んでいた神崎は驚いたように目を瞬かせる。
「深いキス、嫌じゃないよな?」
「はい」
 未だ突然の謝罪に戸惑っているようだったけれど、それでもそれには即答された。そんな些細なことでもこみ上げる嬉しさに、笑って再度顔を寄せる。唇は薄く開かれていた。舌で突けば、応じるように舌を伸ばしてくる。口の先で触れ合わせ、絡め合った後、口内に導くように吸い上げた。
「ん、……う、ふぁ」
 甘えを含んだ呼気が漏れ聞こえてくる。柔らかに舌を食んで舐め啜り、開放と同時に引っ込む舌を追いかけ、今度は相手の口腔内へ舌を差し込んだ。
「あ、はぁ……っ、あぁ」
 性急にならないようにと気をつけながら、確かめるようにゆっくりと、その内側を舐めあげて行く。甘い吐息が途切れることはなかった。

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トキメキ8話 弄る

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 弄っていた髪から指を解けば、ようやく、ゆっくりと神崎が頭を上げる。泣いていたのか、赤くなった目元が少しばかり濡れていた。
 まっすぐに見詰めてくる瞳を、同じように見詰め返す。答えを急がせる気はなく、神崎が口を開くのをジッと待った。
「嫌じゃ、ないです。でも、そんな風に思う自分を、嫌だって、思います」
 やがて、ゆっくりと吐き出されて来る言葉は、神崎の中の矛盾した感情をはっきりと語っていた。
「それを聞いてなお、俺は、お前に触れたいと思うし、キスしたいと言うのを止められない。ホント、酷い先輩だな」
 自嘲気味に笑えば、神崎は首を振って否定を示す。
「ハルさんは、俺に凄く甘くて、優しい、ですよ」
「本気でそう思ってる?」
「はい」
「キスしたい、と言ったら許す?」
「……はい」
「なら、目を閉じて」
 神崎は黙って目を閉じ、心持ち唇を突き出してみせる。遠井は神崎の頬をそっと両手で包みこむと、ゆっくりと顔を近づけていった。
 軽く触れるだけのキスを何度か繰り返す。やはり嫌悪感なんてカケラもわかなかった。小さく震える唇には愛しさが募るばかりだ。
 頬から首、そして肩を撫でるように下ろした右手を、今度は背中に回して引き寄せる。残された左手で髪を梳きながら、上唇と下唇を交互に啄ばみ、固く結ばれた唇が解かれるのを待った。もっと強引にその唇を割ってしまいたい衝動は、未だ戸惑いを残して震える唇の手前、どうにか押しとどめている状態だ。けれどそんな遠井の思いなど、神埼はどうやら気づいていないらしい。
 そう強い力ではなかったけれど、神崎の手が遠井を押しのけるように胸を押した。一度顔を離して様子を窺う。うっすらと頬を染めた神崎は、困惑の色濃い瞳をしていた。
「嫌?」
「嫌、っていうか……」
 苦しい、と神崎は告げた。ずっと息を詰めていたのかと思って、思わず小さな笑いをこぼす。
「あんだけ固く結んでたら、そりゃ息だってしにくいよな」
 言いながら唇をなぞる。
「ち、違っ」
 胸が苦しいのだと言って、神崎は益々頬を赤く染めた。
「どれ」
 胸に手を当てその鼓動を確かめる。
「ああ。確かに。けど、俺とどっちが早いかな」
「え……?」
「ちゃんと触って」
 促すように告げれば、胸に当てられていた手が動き、遠井の鼓動を探し始めた。
「ほら、わかるだろ?」
 やがて手の動きが止まるのを待ち、問いかける。どこか信じられないといった表情で遠井を見つめた後、神崎はわかると言いたげに頷いて見せた。
「言ったろ。俺だって、苦しいくらいドキドキしてる。それに、」
 もっと神崎をドキドキさせてやりたいのだとも、ちゃんと告げたはずだった。再度告げて、胸に当てていた手を少しばかり移動させ、胸筋を確かめるように包み込む。
 女性のような膨らみはないが、手の平を押し返す張りのある筋肉に興奮が増していく。どちらかと言えばグラマーな女性が好きだったはずなのにと思ったら、思わず笑ってしまった。
「やっ、……」
 辛そうに顔を歪めて見せた神崎に、慌てて手を放す。興奮に任せて、知らず力を込めすぎたのかもしれない。
「悪い。痛かったか?」
 フルフルと弱々しく頭を振った神埼は、悔しそうに唇を噛み締める。解かせるように指でなぞって、軽いキスを一つ。
「どうした? 何が嫌なのか、教えてくれないか」
「お、女の子じゃ、ないから……」
 呟くような声が、胸なんかないのにと続いた。今にも泣かれそうで、申し訳なさが押し寄せる。
「うん、ちゃんとわかってる。でもゴメンな。それでも、触りたいんだよ」
「ど、して……」
 楽しくなんかないだろうと問う言葉に、首を横に振って見せた。
「楽しいよ。すごく」
「嘘」
「嘘じゃないって」
 笑って、もう一度その胸に触れる。やはり神崎は眉間に皺を寄せたけれど、振り払うような仕草を見せないのをいいことに、ゆっくりと撫でさすり、時にそっと揉みしだく。
「ふっ、ぅ……」
 やがて小さな吐息がこぼれ落ちる。
「気持ちい?」
 聞かずとも答えはわかっていた。快楽でこぼすような吐息ではなかったからだ。頭を振って否定を示す神崎の動きを追って、耳元に顔を寄せた。
「あぁっ、んん……っ」
 胸を弄りながら耳朶を食めば、今度は幾分高い声音が響く。
「こっちは気持ちイイんだろう?」
 そんな囁きと共に、耳周りに舌を這わせ、軽く吸い上げてやる。
「やぁ、あっ、……クッ、うぅ」
 声を噛まずに聞かせて欲しいと頼んでも、きつく瞳を閉ざした神崎は、苦しそうに唇を噛み締めるばかりだった。目尻には涙が滲んでいる。可哀想にと思う反面、堪えられないほどに感じさせてやりたい衝動が襲った。
 胸を弄り続ける指先には、ツンと尖りはじめた乳首が触れる。弾くように掻いてやれば、驚いたように神崎の体が跳ねた。閉ざされていた瞳も、その衝撃にパチリと開く。
 不安気な顔に優しく笑いかけながらも、まさぐる手を休めることはない。そんな遠井にどう返せばいいのかわからないようで、神崎は困り顔のまま何も言えずに口ごもる。その口から漏れる吐息だけが、だんだん熱を帯びていく。
「こっちも感じ始めた?」
 さすがに意地が悪いかと思いながらもそう問いかけ、先ほどよりも更に硬くなった突起を、指で摘まんで転がした。
「ひっ」
 小さな悲鳴があがる。もう、痛いかとは問いかけなかった。代わりに唇をよせ、服の上からだが構わず、宥めるようにそっと吸い上げる。
「ま、待って!」
 ようやく部屋の中に神崎の、幾分慌てた声が響いた。
「ん? どうした?」
「服……」
 困ったようにそれだけを告げる神崎に、脱がしていいのかと問えば、ここで? と問い返される。
「なら、移動するか?」
 返事を待たずに立ち上がり、促すように手を差し出した。さすがにどこへと問われることはなかったが、その手を取ることもない。
 誘う言葉を掛けたい気持ちを抑えて、神埼がその手を取るのを待った。本気で嫌ならとっくに逃げ出しているだろう。彼に必要なのは、覚悟を決めるための時間だと思った。

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トキメキ7話 触れる

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 相手が男で、という部分にはなんとか目を瞑れそうだった。今、目の前にいる神崎を抱きしめキスしたとしても、そこに嫌悪の感情など湧きそうにない。むしろ、胸の内を満たすのは愛しさかも知れない。ただ、チームの後輩で、という立場にいる相手に、そんなことを許容していいのかわからない。
「いいよ」
 わからないのに、口からはそうこぼれ落ちた。神崎はその言葉の意味をはかりかねて、戸惑いの表情を浮かべている。
「勘違い、したままでも、いい」
 更に言葉を重ねれば、まさかこんな言葉を聞くとは思っていなかったのだろう。神崎は驚きに目を見張った後、遠井の言葉を否定するように首を横に振った。
「良く、ないです。今のままじゃ、俺、ハルさんと一緒にサッカーなんて出来っこない。リーグ終了まで後一ヶ月半、残り試合も少ないのに。俺だって、やっぱり試合、出たいんです」
「勘違いだったで気持ちを振り切れないなら、どっちみち今の状態は変わらないんだろ? だったら……」
 一度立ち上がり、遠井は神崎の隣へと腰を下ろす。さすがに逃げ腰になる神崎の腕を捕らえ、そっと引き寄せ抱きしめた。
 ああ、もう、戻れない所へ踏み込んでしまった。
 腕の中、ビクリと跳ねて一層の強張りを示す身体は、やはり愛しいものに思えてならない。
「いっそ、うんと近づいて、気にならなくなるくらい、慣れてしまえばいい」
「そんな、無理、です……」
「ダメダと思うから、それに捕らわれ続けるのかもしれない。とは思わないか?」
「でも、」
「少し黙って。暫くこうしてよう。大丈夫だから」
 何が大丈夫なのか、言っている本人さえ良くはわからなかったけれど、それでも神崎は諦めたように口を閉ざした。
 静まり返った室内では、空気清浄機の稼動するわずかな音さえ聞き取れる。神経を集中すれば、触れ合う肌から、神崎の中を流れる脈動すら感じ取れる気がした。
 確かに、幾分早いかも知れない。顔は背けているからその表情はわからないけれど、首筋は赤く色づいたままで、当然、腕の中の身体は未だ気を張って遠井の事を警戒している。
「神崎」
 名前を呼び掛けても、返事を返すことも、振り向くこともない。ただ、その肌だけは正直に、ピクリとわなないて見せる。
「体の力を抜いて、俺に、寄りかかって。太一」
 最後にもう一度、今度は名を呼び促した。それでもフルフルと頭を振って否定を示す神崎の肩を、宥めるように数度撫でる。
「タイチ」
 耳元へ唇を寄せ、再度、甘くその名を囁き誘った。目の前の耳朶を口に食み、ねぶってやったらどんなだろう? などという不埒な想像が脳裏を過ぎる。
「も、……やめて、下さいっ!」
 一層強く頭を振ると、神崎はキツイ口調でそう吐き出した。そして俯き、今度は気弱な声で続ける。
「ダメ、です。慣れるなんて、無理、です。できませんっ」
「だってまだ、こんなの全然近くない。それに、」
 不埒な誘惑に乗って、とうとう遠井は神崎の耳朶に舌を伸ばした。フワリと香るどこか甘い香りは、使っているシャンプーのものだろうか。
「もっとドキドキしてしまえばいい、って思ってるからな」
「やっ」
 咄嗟に逃げようとする身体を、腕に力を込めることで封じ込めてしまう。嫌がり首を振ろうとするのも、顎を捉えて固定した。柔らかな耳朶を唇で挟み、軽く歯を当て、舌先で絡め取り吸い上げる。
「あっ、……くっ、ん……」
 こぼれ出た嬌声に驚いたのか、一度大きく身体を跳ねた後、神崎の固く閉ざした口からは、くぐもった音だけが漏れた。
 柔らかな耳朶を充分堪能した後は、耳の形を辿るように舌先で耳殻をなぞり、最後には外耳道へと続く穴へ舌先を差し込んでやる。
 神崎の耳には濡れた音が届いているだろう。そして遠井の耳には神崎が堪え切れずに漏らす声が届く。その声は快楽に喘ぐと言うよりも、苦痛に呻いているようだった。
 拘束していた腕の力を緩めてその身体を開放してやれば、神崎は大きく息を吐き、前のめりに俯いて両手で顔を覆ってしまう。衝動に任せて可哀想な事をした、と思った。その反面、気持ちは嫌になるほど昂っていて、もっと神崎に触れてみたいとも思う。 
 神崎に意識されなければ、きっと遠井自身、気付かずにいただろう気持ちだった。神崎がギリギリの所で耐えて踏み込まずにいたと言うのに、そんな彼の態度に却って煽られてしまったようだ。しかも、とどまろうと必死な彼へとその手を伸ばし、引きずり込もうとしている。彼より八つも年上の自分こそが、耐えて踏みとどまるべきなのに。
「もっと、感じあえる事を確かめたい。……って言ったら、お前、どうする?」
 たとえ嫌だと言われても、逃がしてやれる気がしない。それでも、遠井は確認を取るように神崎に問い掛けた。
「なんで……」
 未だ顔を覆ったままの神崎から、そんな呟きが漏れた。手を伸ばして髪を梳いても、嫌がる素振りを見せないのは、そんな気力すら既にないのかもしれない。
「それは、神崎に意識されて、俺も、神崎を意識するようになってた、ってことかな」
「そんなの、ダメ、です」
「ダメだってわかってても、どうしようもないことだってあるだろ? お前だって、出来なかったように。俺だって、そう簡単に、一度気付いた気持ちをなかったことになんて出来ないよ」
 髪を撫で続けながら、極力優しく響くように、遠井は神崎に語り掛ける。
「俺も、ドキドキしてる。お前と違って、どうしていいかわからなくなって、逃げ出したいとは思わないけど。代わりに、もっと触れて、ドキドキさせて、そんな神崎を見たいと思うよ」
「本気で、言ってるんですか?」
「本気で言ってるし、本気で、誘ってるよ。神崎が顔をあげたら、まずはキスしたいとも思ってる」
 一房摘まんだ短い黒髪に、遠井はそっと唇を寄せた。近づく気配に気づいて、やはり少し神崎の身体が強張ったけれど、それ以上の抵抗はない。
「俺は、こんなのを望んだわけじゃ……」
「それは知ってる。ゴメンな」
 でももう逃がしてやれないよ、とはさすがに言わなかった。どうしても嫌だと言われたら、きっとこの手を放すだろう、とも思う。
「気持ちに巻き戻しが利かないなら、そのまま先へ進んでみよう、なんてのは、どうしても許せないか? 俺に触れられるのは苦痛でしかないか? 嫌で嫌でたまらないなら、そう、言って欲しい」
 目の前で打ちひしがれる神崎を見ているうちに、昂っていた気持ちも随分と落ち着いていた。おかげで、肯定されたら諦めようかという気も、多少頭をもたげてきていた。

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トキメキ6話 来訪

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 部屋を汚されたといっても場所がフローリングの床だったおかげでそんなに苦労はしなかったし、その後の神崎の動揺ぶりの原因の一端は、やはり自分にもあるような気がしていた。だから遠井は神崎に対して怒ってはいなかったが、それをいちいち説明するのが面倒だったのは確かだ。
 酔って吐かれたくらいのことさっさと許してやれよ、なんておよそ見当違いの言葉を投げかけられたのに対して、ビールを箱で持って謝りに来たら許してやってもいい、と答えたのは、その場の乗りに合わせた軽い気持ちからでしかない。だから、本当にビールの箱を担いで神崎がやってくるなんてことは、チラリとも考えたりしなかった。そもそも、今の神崎が自分を訪ねてくるなんてこと自体、ありえないと思っていた節がある。
 なのに玄関のドアを開けた先、どこか思い詰めた表情で立つ神崎の足元には見覚えのある箱がドカンと置かれていた。そして、スミマセンでしたの言葉と共に、神崎の頭が深々と下げられる。
 きっと、遠井が軽い気持ちでこぼした言葉を誰かから聞いて、慌てて飛んで来たのだろう。あんな態度をとってはいても、やはり、遠井を怒らせたいわけではないのだ。そう思うと、どこか安心した気持ちが湧いた。
「多分、お前がソレ持って来た理由がわかるから、一応言っとく。お前が吐いた件に対して、俺は別に怒ってないよ」
「それは、わかって、ます。でも、酔って迷惑掛けたのも、色々お世話になったのも、それに対して謝罪も御礼も言ってなかったのも、事実だから。遅くなりましたけど、本当に、お世話になりました。どうもありがとうございましたっ」
 そこまで一気に言い切ると、神崎はずっと下げ続けたままだった頭をようやくあげる。当然目が合ったけれど、どこか耐えるような仕草を滲ませながらも、逸らそうとはしなかった。
「うん。どういたしまして」
 遠井はそう告げながら、そんな神崎を少しばかり観察した。何かしらの覚悟を決めて来たのなら、ここ暫く続いた不調に関して話し合う気があるのか、今後どうするつもりなのか、それを問うてもいいのだろうか。
「で、話はそれだけ? それとも、ようやく俺と話し合う気になったって言うなら、ついでにソレ、部屋まで運んで欲しいんだけど」
「あ、はい、もちろん運びます」
 いささかためらいの残る遠井の言葉に、けれど神崎はためらいのない声で答えて、足元の箱を持ち上げた。
 何を言われるのか、どう、応えればいいのか。
 そんな迷いが遠井の中にも小さく芽生えていたが、現状のままでいいわけがないこともわかりきっている。神崎だって、そう思うからこそ、こうして訪ねてきたのだろう。
 神崎をリビングへと招きいれた遠井は、ソファへと腰掛けるよう促してからコーヒーメーカーに豆をセットする。背中に感じる視線を気にしないようにしながらカップを用意し、暇を持て余すついでにお茶受を探した。コーヒーの香りが部屋に漂いだす中、冷蔵庫に食べかけのアーモンドチョコを見つけて、それをザラリと小皿の上にあける。そうして遠井がコーヒーを用意する間、二人の間に会話はなかった。
「どうぞ」
 コーヒーとお茶請けを運び、ようやく口を開いても、出てくる言葉はその程度で、神崎も短く、頂きますとだけ告げてカップを口元へ運ぶ。逃げ出したくて怯えている、というような状態には思えなかったが、なんと切り出そうか迷うように、視線がチラチラと遠井の顔を行き来していた。
 やはりキッカケは自分から与えるべきかもしれない。コーヒーを一口飲み込んだ後、遠井はゆっくりとカップをテーブルの上へ戻す。
「単刀直入に聞くけど、やっぱり俺を好きなのか?」
 言った途端、目の前の神崎がブホッという音を立ててコーヒーを吹き出した。慌ててティッシュの箱を神崎へ放り、遠井はキッチンへ布巾を取りに行く。
「すみません……」
 テーブルの上を拭いていると、いまだゲホゲホと咽る音と共に、謝罪の言葉が落ちた。
「突然あんなこと聞いた俺も悪かったよ。けど、一番の核心はそれだと思ってるんだが、違うか?」
 手を止めて、神崎と向き合い、再度問う。ソファに腰掛ける神崎の顔は、床に膝をつく遠井よりも高い位置にあり、自然見上げる形になった。
「違うか、って、……だって、好きって、そんな……」
「意識してたろう?」
「それは、……はい。でも、」
「あの日の朝、あんな風に目が覚めて、ビックリしたんだよな? そのドキドキを、恋と勘違いしたんじゃないのか?」
 幾分問い詰めるような口調になってしまったかもしれない。神崎は瞳を揺らしながらも、その目を遠井から逸らしてしまわぬよう、懸命に唇を噛み締め耐えている。つい指を伸ばしてしまったのは、今にも血が滲みそうな唇を心配してのものだったが、指が触れた瞬間、神崎はビクリと大きく肩を跳ねて遠井の手を払いのけた。
「あっ……」
「いや、今のは俺が悪い。悪かった。お前を責めてるわけじゃないんだ、ただ、」
「俺、は……」
 震える唇から、震える声が搾り出されて来て、遠井は更に続けようとしていた言い訳を飲み込んだ。どうしたって見詰めてしまう神崎の瞳は、ユラユラと頼りなげに揺れてはいたが、さすがに泣き出す気配はない。
「俺も、勘違いだって、思うんです。ハルさんは俺を誰かと間違えて抱きしめただけで、それにドキドキする必要なんてないし、意識するのは可笑しいって。でも、」
「ちょっと待った」
 今度は遠井が、神崎の言葉を途中で止めてしまった。どうしても聞き流せない言葉が、神崎の口からこぼれてきたからだ。
「今、抱きしめたって言ったか?」
 神崎は黙ったまま、肯定を示すように頷いてみせる。
「いつ!?」
「あの日の、朝、です。多分、ハルさん、寝ぼけてました。起きあがってた俺を、まだ起きるには早いって言って、ひっぱり戻したんです。その、腕の中に」
 その時の事を思い返しているのか、神崎の頬が少しばかり赤く染まった。
「スマン、覚えて、ない」
「いいです。わかってます。だから、俺も、これは勘違いで、間違いだって。何度も、言い聞かせたのに、でも、ダメで。ハルさんの顔見ると、どうしても思い出しちゃって、ドキドキして、どうしていいかわからなくなる。あの日みたいに、また、ハルさんを突き飛ばして逃げたくなるんです」
 ごめんなさい、と神崎は言った。こんな気持ちは絶対に可笑しい。意識しすぎてて、こんな自分は気味が悪いだろうと、申し訳なさそうに続ける。
「ハルさんのことは、チームの先輩として、凄く頼りにしてるし好きですけど、でも、それだけです。それだけじゃなきゃ、いけないのに……」
 ほとほと困り果てたという顔は、それでも遠井を意識せずにはいられないと訴えていた。そんな神崎を前に、いいよ、と言ってやりたい衝動が遠井を襲う。

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