初恋は今もまだ6

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 恋人になったんだからデートしようと誘われて、特に用事があるわけでもなかったので了承した。
 彼と二人で遊びに出かけるのはかなり久しぶりではあるが、元々親しい友人なのだからまったく経験がないわけではない。手を繋いで歩いたり、肩を抱き寄せられたり、少しばかり接触が増えたとはいえ、それだってどこか懐かしい学生時代のノリって感覚が近かった。
 もちろん、恋人でなければしないような事をする気は一切ないし、相手もそれをわかっている。わかっててくれているから、恋人だからと言われながらも、友情の延長で相手のことを受け入れられるんだろう。
 そう、これはどう考えたって友情の延長上にあるもので、それ以上にはならない。なのに。
「俺は結構本気で、お前を幸せにしてやりたいって思ってるよ」
 あの日の夜、囁かれたセリフが耳の奥に蘇って、少しだけ鼓動が早くなる。あれは酔っぱらいの戯言と言うには、あまりにも真剣な声音だった。
 取り敢えずでいいからと言われて恋人になったけれど、相手はどこまで本気でこの関係を捉えているんだろう?
 そういや下心だの、ちゃんと好きだの言っていたけれど、相手の口調が軽かったからあんまり深刻に考えては居なかった。それよりも、慰められてと繰り返されたことのほうが印象に残っている。
 おかげさまで、初恋の親友が男を好きになったかもという衝撃を、帰宅後も引きずって落ち込むなんてことはしていない。確かに彼の突拍子もない提案に救われていた。
 恋愛感情なんて欠片もないけれど、取り敢えずだろうと恋人を続けていたら、これから先、友情以上の感情が芽生えてくるのだろうか?
 デートしようと言う誘いを、デートという部分を否定することなく了承して、のこのこと待ち合わせ場所へ出てきたあたり、そうなればいいと思う気持ちが自分の中に多少はあったりするのだろうか?
 そんなことをぼんやりと考えながら相手のことを待っていた。
 時間にルーズなタイプではないのに、連絡もなく遅刻してくるなんて珍しい。そう思ったところで、相手から短なラインメッセージが届いた。
『お前が幸せになれるなら俺はどっちでもいい』
 意味がわからず、どういう意味かと問うメッセージを返したところで、名前を呼ばれて顔を上げる。
 そこには片頬を赤く腫らした初恋相手の親友が、申し訳無さそうな顔で立っていた。
「え、なに? どういうこと?」
 思わず手の中の携帯と親友の顔とを交互に見比べてしまう。
 今日ここで待ち合わせることを知っているのは、自分と恋人となった友人だけだ。だってデートなんだから。
「ゴメン。本当に、ごめんなさい」
 戸惑いまくる自分に、目の前の相手は深く頭を下げるから、ますます意味がわからなかった。
「お前に謝ること、いっぱいあるんだ。だけど、まずは俺の話、聞いてもらえる?」
 頭を上げた相手の目は真剣で、どこか切羽詰まった様子にも見える。
「いや、でも、俺、待ち合わせが……」
「知ってる。でもあいつは来ないよ」
「な、んで……」
「俺が、頼んだから。一発殴られる代わりに、お前とのデートを代わって貰った」
 腫れた頬を指差して、相手は自嘲気味に笑ってみせた。

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初恋は今もまだ5

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 こいつ家まで送るからという言葉に促されて、一足先に飲み仲間たちに背を向ければ、すぐに冷やかし混じりの声がいくつも追いかけてくる。
「なぁ、せっかくだし、もうちょっとあいつらに見せつけてやろうぜ」
 耳元に顔を寄せてこそっと囁く声は酷く楽しげだ。
 なるほど。どうやら随分とのんびりしたこの歩調も、隣の男にとっては見せつけている行為の一つらしいと気付く。
「見せつけるって何をどうやって?」
 振り向いてやることはせず、そのまま前を向いて問いかけた。
「手、お前から、繋いでよ」
「えー……」
「手くらい良くない? 恋人っぽくない?」
「まぁ手くらいいいいけどさ。なんで、俺から?」
「お前からってのが重要なんだろ。さっきお前が本当だって言った時のあいつの顔、凄かったもん」
 ちょっと溜飲下がったわと笑う声は軽やかだ。確かに自分も彼の反応で、気が晴れた部分が多少はある。けれどだからこそ、なんとなく後ろめたい気持ちも湧いていた。
 彼が思った以上に反応してくれたからこそ感じるのだとわかっていつつも、随分と子供っぽい仕返しをしてしまった気がしている。彼が後輩の男を好きになったって、そこにはなんの罪もないのに。
「そりゃあ今日も顔合わせた直後に、あいつに好きだって言ったしね、俺。それが数時間後には別の男と恋人宣言とかわけわかんないよね。俺自身、わけわかんないし」
「そう言いつつも、お前が皆の前で、俺と恋人になったって認める発言してくれたの、凄く嬉しかった。だからさ、お願い。手も、お前から繋いで?」
「なに甘ったれてんの。お前が、俺を、慰めるんじゃなかったの?」
「そうだよ。こうやってお前に甘えるのも、俺からしたら慰めてるのと同義なの」
 まぁどうしても無理ってなら俺から手ぇ繋ぐけど、と続く声を聞きながら、黙って相手の手をとった。ふふっと笑った相手は、嬉しさとおかしさを混ぜあわせたような気配を滲ませている。
「あいつら、今のこれ、ちゃんと見てたかなぁ~」
「さあね。あいつらだっていつまでも俺ら見送ってたりしないんじゃないの?」
 ゆっくりとした歩調とはいえ、話しながら歩き続けていたわけで、既にそれなりの距離は開いている。手を繋いだところで、背後から掛かる冷やかしはなかった。だからきっともう、自分たちのことは見ていないんじゃないだろうか。
「お前がさっさと手ぇ繋いでくれないからー」
「俺のせいにすんなバカ。手、離すぞ」
「ヤダ。離さない」
 軽く繋いでいた手がぎゅうと握られた。
「あいつらに見せつけるとか関係なく、俺が嬉しいから、もうちょっと繋いでて」
「あの角曲がるまでな」
「えー。お前の家までこのままじゃダメなの?」
「ダメだろ。というか繋いでから言うのも何だけど、男同士で手ぇ繋いで歩くとか、普通にないよね」
「恋人だよ?」
「恋人でも、おおっぴらに手を繋いで歩くってのはない気がする。あとここ地元だし、知り合いいっぱいいすぎて、誰かに見られたらと思うとなんか嫌だ」
「見られて困る知り合いなんて居る? お前が男も有りだって、知り合いならだいたい知ってんじゃないの?」
 親ですら知ってるって言ってたろという言葉は間違っては居ないが、問題はそこじゃない。
「相手がお前なのが問題なんだろ」
「うわー傷つくわー」
「うっせ。後、男もありっての、誤解だから。あいつだけが特別だったって思ってる奴のが多いと思う。というか親はそういう認識で諦めてる。だから、取り敢えずで恋人にはなったけど、あいつら以外に認める気はないし、エロいことも本当無理だからな」
「そんな釘刺さなくたってわかってますー。まったく、可愛げないんだから」
「可愛げなんかなくて結構。てかその可愛げのない男相手に、慰めたいとか言ってるお前が普通に異常なだけだからな」
 角を曲がって、握られていた手を振り払った。
「普通に異常って矛盾してるだろ。まぁ、可愛げないお前が可愛いから、それも矛盾なんだけどさ」
 振りほどいた手はあっさり肩に回されて、かえって距離が縮んでしまう。
「俺は結構本気で、お前を幸せにしてやりたいって思ってるよ」
 覚えててと告げる声は思いのほか真剣で、さすがにドキリと心臓がはねた。

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初恋は今もまだ4

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 席へ戻れば既に親友の恋話は終わっているようでホッとする。一緒に戻った相手も、特に何を言うでもなく隣の椅子に腰掛けた。
 体調を気遣う言葉には大丈夫と返しながらも、さすがにこれ以上アルコールを摂取する気にはならずに烏龍茶を頼んだ。
 そこから更に二時間ほどダラダラと居座って、ようやく重い腰を上げて店を出る。
「あのさ、最後にちょっと、お前らに聞いて欲しいことがあるんだけど」
 店の外でじゃあなと別れの挨拶を告げる直前、そう言い出したのは先程取り敢えずで恋人となった友人だった。周りは酔いのテンションで、なになに~と好奇心いっぱいに耳を傾けている。
「実は俺、こいつと付き合うことになったから」
 ふいに伸びてきた手に引き寄せられて、肩にがっしり腕が回った。酔いなんかとっくに覚めているのに、あまりに驚きすぎて言葉が出ない。ただただ、肩を抱かれているせいでかなり近くに寄っている相手の横顔を、呆然と見つめているだけだった。
「はぁあああ?」
「何? なんで? いつから? あ、まさかさっき吐きに行った時?」
「意味わかんねぇんだけど。突然過ぎ」
 やはり周りの反応も驚きと戸惑いばかりだ。タチの悪い冗談か二人でドッキリを仕掛けているのかなどと言う声も聞こえてくる。周りの声はちゃんと耳に届いているのに、けれどそれらの言葉に反応は出来なかった。
 そんな中、はっきりと名前を呼ばれて、ようやく隣の男からその声の主へと視線を移動する。呼んだのは初恋相手の親友だ。
 少し青ざめて見えるくらいに動揺している様子に、様々な思いと過去のアレコレがふつふつと湧いては消える。
 その動揺の意味はいったいなんだろう。聞いてみたいような気もするし、けれどもうどうでもいいという投げやりな気持ちもある。
 結局、どうしたのとすら声を掛けられないまま、相手の言葉を待つしかなかった。
「本当、なの?」
「嘘なんかじゃねぇって」
 答えたのは隣の恋人で、親友はお前には聞いてないと冷たく言い放つ。肩にまわった腕に力がこもるのがわかった。チラリと見た横顔は親友を睨んでいるようで、そういやムカついてるって言ってたもんなと思う。
 だからきっと、これは宣戦布告なのだろう。
 取り敢えずでいいから恋人になれといった相手の言葉に頷いてしまった自分は、既にこの隣にいる男の側の人間だ。
 今この場面で、恋人は恋人でも取り敢えずのごっこ遊びみたいな恋人だという真相をぶちまけてしまったら、お前が傷つくのが嫌だから慰められてくれと言った隣の男を裏切ることになってしまう。
「本当だよ」
「うおおおおマジかー」
「え、これ、おめでとうでいいの?」
「いいんじゃん? めでたいんじゃん?」
 肯定したら、即座に周りが祝福ムードになって驚いた。仲間内で、男同士で、なのに躊躇いもなくおめでとうだの幸せになれよだのの言葉が掛けられるというのは、なんともこそばゆい。慰められろなどと正面切って言ってくる隣の男を含めて、本当に、いい仲間に恵まれていると思う。
 親友だけは呆然と立ち尽くしたまま祝福の輪に入っては来なかった。女の恋人が出来たと言った時には普通におめでとうと言われていたから、さっき彼が男を好きになったかもしれないと言い出して酷く動揺してしまったように、彼もまた女であれば気にならなくても相手が男となれば別なのかも知れない。
 もちろん、真相はわからないけれど、そうだったらいいなと思う。もしそうだったら、ざまーみろだ。だってずっと好き好き言っていた相手が急に手のひらを返して他の男の物になったのに、それすらすんなりと祝福されてしまったら、あまりに彼を想い続けた自分が惨めじゃないか。

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初恋は今もまだ3

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 驚きはしたが、派手に反応する気力も体力もなく、男二人トイレで何やってんだろうだとか、ここに他の客が入ってきたらどう思われるんだろうとか、余計なことばかり考える。
 小さくため息を吐いて、相手の背を軽く叩いた。
「こういうの、いらない」
「ほんっとつまんないなお前。素直に泣いて、俺に慰められりゃいいのに」
「居酒屋のトイレで?」
「場所変えたら俺の前で泣くってなら、どこにだって連れてきますけど?」
 お前の家でも俺の家でもラブホでもと続いたセリフに、もう一度相手の背中を叩く。もちろん、先程よりも力を込めて。
「痛っ! 暴力はんたーい」
 なぜ背を叩かれるかわかっているだろうに、そう言いつつも相手にはまだ、抱き込む腕を解く気はないようだった。しつこい。
「ってかさ、お前の目的って何? 俺なんか慰めてどーすんの?」
「え、それわざわざ聞いちゃう? 下心以外になんかあるとでも思ってんの?」
「お前が俺好きとか初耳なんだけど」
「そうねー俺もさっき初めて知ったわ」
「なんっだよ、それ」
「なんだろねぇ」
 とぼけた調子ではぐらかされるのかと思ったが、次には予想外の言葉が続いた。
「まぁちょっとムカついたってのもあるかな」
「え、俺に?」
「じゃなくて、あいつに」
「なんで?」
「教えなーい。けど、あいつが後輩の男好きになったなんて言い出さなきゃ、お前にちょっかい出そうなんて思わなかったのは確実だな」
 なんだそれ。教えないと言いつつもけっこう意味深な事を言っている気がする。
「意味わからん。てか別に俺を好きで慰めようってわけじゃないってこと?」
「ちゃんと、好きだから慰めたいなーって思ってるけど?」
 ますます意味がわからない。
「ほんとわかんない。てかいつになったらこの腕外してくれんの?」
「お前が俺に慰められる気になったら?」
「俺の泣き顔、そんなに見たいの?」
「はぐらかすねえ~」
「だってお前とエロいことする気になんかなれねーもん」
「じゃあ聞くけど、お前、あいつとならエロいことしたいと思うわけ?」
「そんな、の……」
 考えたことがない。好きだと自覚した初期は確かにそういった欲求もあった気がするが、親友を脳内でどうこうするという事に耐えられなくて、自慰行為のおかずからは極力相手を排除した。
「ああ、じゃあ聞き方変えるわ。あいつがしようって言ったら、お前、あいつとエロいこと出来そう?」
 口ごもったまま答えられずに居たら、そんな質問が飛んできたが、それに対してもすぐに答えは出そうにない。だって、そんなことをしたら、あいつとの関係が変わってしまう。それにそもそも、そんな事を言い出すはずがない。
「あいつはそんなこと、言わない」
「そうやって思考停止すんなよ。結局お前の好きってなんなの? 好きっていうだけで満足だってなら、あいつがどんな奴を好きになろうと傷ついたりすんな。相手を欲しがらないで、親友って立場からはみ出さないようにってのがお前の望みだってなら、あいつが選ぶ相手にいちいち心揺さぶられたりすんな。お前はずっと、そう出来てたはずだろ?」
 グッと言葉に詰まって、また胸が苦しい。
「女相手なら諦めがついても男相手じゃどうしたって傷ついたり心揺れる。ってなら、取り敢えずでいいから、俺を選んどけよ。エロいことする気にならねーってなら、別にしなくたっていいから」
「なん、で?」
「お前じゃない男好きになったあいつにムカついてるから。そんなあいつにお前が傷つけられるのが嫌だから。だから、俺に慰められて?」
 諦めに似た気持ちでため息を吐いた。
「それ、具体的には、どうすりゃいいの?」
 聞いたら、取り敢えずでいいから俺の恋人になれと返された。

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初恋は今もまだ2

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※ 嘔吐有ります

 立ち上がった自分にいくつもの驚きの目が向けられる。もちろんその中には、想う相手の目もあった。その目から逃げるように視線を逸らして、吐いてくると宣言してトイレへ向かう。
 それを追ってきたのは、隣の席で飲んでいた友人だった。
「なんで付いてくんの?」
「酔っぱらいが吐くって宣言してトイレ向かってんだから、誰かしら付いてた方がいいだろってだけだけど」
 粗相の後始末が必要になるかもしれないしという、相手の気遣いがわからないわけではない。
「やっさしー。でもハッキリ言えば邪魔。そこまで酔ってないから戻れば?」
 一人で対処できるから大丈夫とだけ言えばいいものを、どうにも吐き出す言葉が刺々しくなってしまう。八つ当たりだとわかるから申し訳ない気持ちがないわけではないが、こんな時に構ってくる相手が悪いとも思う。
「だってお前、今一人にしたら泣いちゃうじゃん?」
「は?」
「泣きそうな顔してんぞって言ってんの」
「うるっさいな。ほっとけよ」
「ほっとけないから付いて来てんでしょー」
 呆れた口調が、てかさぁと言葉を続けていく。
「あいつが男好きになったかもって聞いただけで泣くほど辛くなれるなら、もっと本気で欲しがったら良かったんじゃないの?」
「何、言ってんの……」
「言葉通りの意味だって。てかトイレ着いたけどどうすんの? そこまで酔ってないってなら中まで一緒には行かないけど、本当に吐くなら鍵はかけんなよ」
 無言で個室に入って鍵をかけた。扉越しに相手が笑う気配がしたが知ったこっちゃない。
 余計な茶々が入ったせいか嘔吐感は先程よりマシになっていたが、それでも個室に一人で立ち竦んで居ればやはり色々な感情が溢れてくるから、結局持て余す感情を乗せて胃の中の物を吐き出した。
 でも吐いたからといって気持ちまでスッキリするわけじゃない。泣きそうな顔をしていると指摘されたくらいだから、いっそ泣いてしまえばいいんだろうか。でも胸が苦しいばかりで、涙があふれてくることはなかった。
「おーい。まさか寝てんじゃないだろなー。そろそろ出て来ないと店員呼ぶぞー」
 吐くものもなくなってぼんやりと便器を眺めていたら、扉が軽い音を立てた後で随分とのんきな声が聞こえてくる。吐き終わったことは気配でわかっているんだろう。
 返事の代わりとばかりに水を流して、綺麗に流れ終わるのを待ってから鍵を開けた。
「はいお疲れさん」
 なんだそれと思いながらも、無言で洗面台へ向かう。背後では友人が、個室の中を覗いて汚していないかをチェックしているようだった。
「泣かなかったんだ」
 口をゆすいで顔を上げれば、チェックを終えて背後に立っていた友人と、鏡越しに目があった。
「そのためにお前がついて来たんだろ?」
「鍵かけたから泣く気なんだと思ってたわ」
「泣けなかった」
「えっ、俺のせいで?」
「あー……そうかも?」
「なら泣かせてあげよっか?」
「嫌な予感しかしないからいい」
 ざんねーんと笑う顔は軽い口調と裏腹に優しげで、鏡越しに見つめるその顔に、なぜか泣きそうになる。なんでこいつはここに居るんだろうと思いながら鏡を凝視していたら、小さく首を傾げた相手が、鏡の中でおもむろに両腕を開いて見せた。
「泣く? 泣くなら肩貸すけど?」
 相手にも、鏡越しにこちらの泣きそうな顔が見えているんだろう。緩く首を振って、絶対やだと言ったら、おかしそうに笑う顔が鏡に映った。次の瞬間、グイと腕と肩を掴まれて、強引に向きを変えられたと思ったら、相手の腕の中に抱き込まれていた。

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初恋は今もまだ1

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 紛れも無く初恋だった。その想いに気づいたのは中学卒業間近の事だが、いつから好きだったかなんてわからない。恋なのだと自覚したのがその時期というだけで、あまりに近い相手を想っていたせいで、ずっと恋に気付けていなかっただけだった。
 同じ高校への進学が決まっていたし、親友という関係を壊したくはない。けれど気づいてしまった気持ちを、隠して抱えて押し殺すなんて事が出来るキャラじゃなかった。
 結果、気持ちは相手にぶちまけたし、親友という関係も継続した。要するに、勝手に自分が片想いをしているだけというのを、相手も周りも巻き込んでオープンにした。
 人目をはばからず好き好き言いまくったのと、相手がそれを許容したことで、高校時代は公認カップル的な扱いを受けたりもしたが実情はもちろん違う。本当に付き合ってるのかと聞かれたら、正直に自分の片想いと返していたし、相手も親しい友人たちも同様だった。単に仲の良すぎる友人というわけではなく、片想いを認める発言はしていたから、それなりに外野からの茶々も入ってはいたが、それで自分や相手や友人たちの何かが大きく変わるようなこともなく、高校の三年間は過ぎていった。
 さすがに高校卒業後の進路は別れたが、大学時代はやっぱりそれなりの頻度で集まって遊んだし、社会人となっても地元に残ったメンバー中心に年に数回は顔を合わせる仲を続けている。
 顔を合わせれば懲りずに好きだと繰り返して、もう何年になるだろうか。どちらかに、もしくは互いに、恋人が居るような時もあってもはや好きという言葉には何の重みもない。まだ言ってる程度のお約束的挨拶と成り果てた今も、その恋が朽ちては居ないと知るのは自分自身だけだ。でももう、それで良いのだと割り切れている。
 なのに。
「俺、男好きなったかもしれない」
 居酒屋で飲み始めて数時間、大分酔いも回った頃に、そんな爆弾発言をポロリとこぼしたのは、未だ想い続けているその人だった。
「は?」
 呆気にとられてただただ相手を見つめる自分と違って、周りはさっそく次々と好奇心あふれる質問を飛ばしている。こんな自分を受け入れてくれている仲間なのだから、同性相手の恋愛事に嫌悪を示す奴など居るはずもない。
 でも誰ひとりとして自分を気遣う様子を見せないから、やはり自分の想いは完全に過去のものとして扱われているようだった。
 相手は会社の後輩で、というか今年の新人で、ちょっと抜けてるところもあるけど一生懸命で、犬っころみたいに懐いてくれて可愛いらしい。
 なんだそれ。女の好みとほぼ真逆じゃないか。というかなんで今さら。完全な異性愛者だと思っていたのに、実は男も有りだったかもなんて知りたくなかった。聞きたくなかった。もちろん男なら誰でもいいわけがなくて、自分とその後輩とではきっと決定的な何かが違うのだろうけれど、それが何かなんて聞けるわけもないし、聞いたところで自分が変われるわけでもない。
 わかっていても胃の中がムカムカとして気持ちが悪く、思わず口元を押さえて立ち上がった。

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