せんせい。10話 解かない

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「それは、ダメだ」
 冷たく言い放てば、最初から期待などしていなかったようで、あっさり諦めたようだった。
 頭をそのまま背後の壁に預け、けれど顔は美里を避けるように横を向く。さすがに美里もそれを咎めることはせず、行為の再開を告げるように腕の中の両足を抱えなおした。
 少し高めに抱え上げて、デンプン糊で濡れた秘所に昂る自分自身を押し当てれば、それを拒むように雅善の身体に緊張が走る。
「力、抜いて置けよ」
「出来たら、苦労せん」
 取りあえず掛けただけの常套句に、返事があるとは思わなかった。
 少しでも雅善が楽なように、何かしてやれないだろうか……
 ここまできて止める気などなかったが、美里が雅善へと向ける想いは、やはり愛しさなのだ。
 その心が手に入らないことはわかっていても、それを理由に逆恨みで憎み傷つけたいというわけではないし、出来ることなら雅善にだって感じて欲しい。たとえ身体だけだとしても。
 けれど雅善の口から吐き出されるのは諦めの溜息だった。
「ここまで来て躊躇うってのもおかしな話やな。ワイのことなんか構わず、さっさとヤったらええやろ?」
「言われなくても、やるさ」
「ほな、早よそうし。ほいで、さっさとイってさっさと終わってや」
 決して美里の方へ顔を向けることなく、強い口調で吐き出される言葉。
 煽られたと頭の片隅でわかっていて、けれどその誘いに簡単に乗れるくらいには、理性などとうの昔にどこかへ消し飛んでいる。
「そう簡単に開放してやるつもりなんてないけどな」
 その言葉と共に、半ばムリヤリ押し入った。
 ギュッと噛み締められた唇の端、血が滲んでいるのがわかる。この場所と状況では、さすがに声を殺すなと口にすることはできなかった。
 本当にただ、ムリヤリ繋がっているだけの自分達に、虚しさだけが残る気がする。
 身体だけでいいと思った気持ちを貫き通すには、邪魔な思考でしかないそれを振り切るように、美里は快楽だけを追って雅善の身体を揺すった。
 
 下半身に美里の吐き出した白濁液を浴びながら、グッタリとだらしなく机の上に身体を投げ出している雅善に、美里は携帯のカメラを向ける。
 撮影音の鳴るのに、雅善の身体がピクリと反応した。
「今、何、したん……?」
 恐々と尋ねるその口調は、既に気付いているのだろう。
「記念撮影」
 美里はニコリと笑って見せた。疲労で血色の良くない雅善の顔から、さらに血の気が引いたようだ。
 この写真を楯に、今後も関係を強要するつもりだった。
 身体だけでもいい。手放したくない。
「どうしようもない男に育ったもんやな」
 青ざめた表情で呟かれた言葉は、聞こえなかった振りをした。

>> 部活を優先してた

>> 職員室を優先してた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**********
部活優先 >>

 ラブホテル内の広いベッドの端に腰掛けた美里は、広げた両足の合間に蹲る雅善の揺れる髪の毛を、指先で摘んで弄ぶ。
 脅すための写真の枚数が増える一方、雅善の抵抗も薄れているようだ。今ではもう、縛って自由を奪わなくても、諦め切った表情で大人しく、口も足も言われるままに開く。
 どう考えても悪者は自分の方で、相当好き放題に雅善の身体を貫いても。それでもまだ、足りないと渇望してしまう気持ちを、結局雅善にぶつけてしまう。
 この先も決して心が満たされることなどないとわかっていながら、それでも、この身体を手放してはやれないくせに。せめて優しくしてやりたいのに、いつだって真逆の行為を強いている。
 ジレンマに陥りながら、弄んでいた髪をガシリと掴み直し、美里は雅善の頭を激しく揺さぶった。
 漏れる呻き声に構うことなく喉の奥まで押し込んで揺すり、最後にはその顔に向けて白濁液を放つ。雅善は既に、文句を言う気にもならないらしい。
 黙ったまま、まずは汚れたメガネを外そうとする雅善を、美里の声が止めた。
「外すなよ」
「前が、見えへん」
「見えなくたっていいだろ別に。それより、ベッド上って足開け」
 言われるまま、雅善はベッドの上に這い上る。
「イったばっかの俺が復活するまでに、顔に掛かった精液使って、自分自身で広げて置けよ」
 汚れた眼鏡越しでも、さすがに戸惑いが滲み出ている。
「嫌だなんて、言わないだろ?」
 それでもその一言で、雅善は諦めの溜息を吐き出した。
 ユルユルと足を開いて行く雅善をジッと見つめながら、今、自分の目の前に居るのは一体誰なんだろうと美里は思う。かつて憧れ、大好きだった幼馴染のお兄さんと、自分の命令に従い、貫き揺さぶられながら喘いで見せる男が、同一人物だなんて嘘みたいだった。
 行為の最中、メガネを外すことが許せないのは、記憶の中の雅善がメガネを掛けていないせいだろう。
 自分達は一体どこへ向かっているのだろう?
 命令に従って美里の前で足を開き、自らの指で解し広げようとしている雅善に、背筋を冷たいものが伝って行った。

<END No.4>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  **********
職員室優先 >>

 化学準備室でほとんどムリヤリ雅善を抱いてから数日。美里は校長室へと呼び出された。
「失礼します」
 そう声を掛けて入室すれば、中には校長の他に一名。振り向きもしない後姿だけでも、すぐに雅善だとわかる。
 ここへ来るまで呼び出しの内容に思い至らなかった美里の背に、冷たい汗が流れていく。
「3年の河東美里君、だね。もっとこちらへ」
 呼ばれて、雅善の隣に並んだ。雅善はやはり、顔を向けようとはしない。
「君達が、化学準備室で如何わしい行為をしていた。という報告を貰ったんだけれども、本当かね?」
「それは……」
「虚偽です。確かに言い争いはしましたが、それだけです」
 躊躇う美里をよそに、きっぱりと雅善が否定を示した。
「では、この写真の相手は、河東君、君ではないのですね?」
 差し出された一枚の写真に、胸の奥がキュッと痛む。ピントの合っていない写真は粗悪なものだったが、机の上で足を広げた雅善に覆いかぶさる男子学生の姿がはっきりと写し出されている。
 どこから撮られたのだろう?
 角度的に、化学準備室に盗撮用のカメラでも仕掛けられてるのかもしれない。
「違います」
 あまりの写真に呆然と言葉を失くす美里を横に、やはり雅善がはっきりと否定の声をあげる。
「私は、河東君に、聞いているのですが?」
 これだけ雅善が否定しているのだから、認めてはいけないのだということはすぐにわかった。
「俺では、ありません」
 だから美里も、顔をあげて校長をまっすぐに見据えながら、きっぱりと告げる。
 その返事さえ聞ければ良かったのか、美里はその後すぐに校長室を追い出されてしまった。
 雅善をそこへ残すことへの不安はあったが、関係を否定した以上、話し合いの場に残れないのは仕方がない。それよりもまずは確かめたいことがあって、美里は職員室へと足を向けた。
 教師に頼まれたのだという体を装って、特別教室の鍵を並べた棚の前へ立った美里は、迷うことなく化学準備室の合い鍵を手に取る。そうして向かった先、おおよその予測を付けて探った先に、隠しカメラを設置していたのだろう後を見つけた。
「誰がこんなことを……」
 悔しさで唇を噛んだ。
 
 
 翌日から雅善は学校へ姿をあらわさず、暫くしてから別の臨採教師が学校を訪れた。雅善は間違いなく、一人全ての罪を被って学校を去ったのだろう。
 写真を撮りそれを匿名で校長へと送りつけた犯人が、新聞部の誰かだという所まではわかったが、それ以上を突き止めることはできなかった。スクープとして校内新聞に晒されるよりは良かったのかもしれないが、そんなものはなんの慰めにもなりはしない。
 雅善と過ごした一月程の時間が、何度も頭を過ぎっていく。これだけの迷惑を掛けた上、更に雅善の所在を追うことは出来なかった。
 昔以上に辛い別れを、美里は一生忘れられそうにないと思った。

<END No.5>

 
 
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せんせい。9話 解く

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 一瞬ためらい、けれど結局、美里は無言のまま手を伸ばし、雅善の両手を縛めるネクタイを解いてやる。雅善は痛みを取るかのように数回手首を振った後、躊躇うことなくその手を美里の肩へと置いた。
「……ガイ?」
「なるたけ、ゆっくりしてな」
 雅善はフワリと微かな笑みを零す。余裕を見せつけられるようで、胸の奥がまた軋んだ。
 慣れているのか?
 もしかして、初めてではないのだろうか?
 浮かぶ疑惑は、肩を掴む手が微かに震えているのに気付いて、口にすることはしなかった。
 再度両足を抱え上げ、引き寄せられるままに胸を合わせ、耳元で響く雅善の呼吸を計りながら、ゆっくりと自らを突き挿した。
「ぁ……っ」
 声を押さえるためにと咄嗟に顔を埋めたらしい肩口が熱い。下半身のうずきとあいまって、堪えられそうになかった。
 服越しに感じる熱い息。そこから漏れるくぐもった苦痛の叫び。背中にキツク食い込む指先。
 それらに申し訳なく思う苦しさと、確かに繋がっていることに対する喜びと。
「好きだ。ガイのことが、好きなんだ……」
 溢れる気持ちが言葉に変わる。
 よりいっそうキツク抱きつかれながら、美里は雅善の中へと想いの丈を吐き出した。

 ぐったりと力を抜いてしまった雅善の中から抜き出てから、疲れを滲ませる頬をサラリと撫でる。ゆっくりとした動作で持ち上げられた雅善の手が、頬に触れる美里の手首を掴んだ。
 戸惑いを滲ませる美里の瞳を、雅善の視線が真っ直ぐに捕らえる。
「ワイも、美里のこと、好きやで」
 ゆっくりと吐き出される言葉。
「えっ!?」
「好きやった。もう、ずっと前からや。子供の自分に、アホみたいに惚れとったなんて、全然気付かんかったやろ?」
 苦笑を零す雅善に、美里は返す言葉がない。
「好きな相手やなかったら、こんなん絶対許したらん。けどな」
 言葉を切った雅善の顔が、泣きそうに歪んだ。
「ワイはやっと採用して貰うた臨採で、美里は生徒の一人で、どんなに好きかて、特別にはできんのや」
 今日のことは全て許すから、明日からはただの生徒になって欲しい。個人的にこの化学準備室へと遊びに来ることは禁止する。
 そう告げた雅善の身体を、美里は思わず引き寄せ、やさしく抱きしめた。雅善の切なさと、自分の切なさが混じりあって、胸の中を悲しみに似た気持ちが満たす。
「校外でも、だめなのか?」
 せっかく互いに同じ想いを抱いている事に気付けたのだ。このまま諦めたくなどなかった。
「あかんよ。ワイの住んどること、ここからそんなに遠ないし」
 どこに人目があるかわからないから。
 言いながら、雅善は宥めるように美里の背中をそっと何度も撫でた。
「だからって諦められるかよ」
 苦々しげに吐き出しながら、美里は身体を離し、雅善の顔を正面に捕らえる。そっとメガネを取り上げても、雅善は文句をその口に上らせることはない。
 顔を近づけ、その唇に、触れた。雅善と交わす、最初のキス。
 喜びと悲しさの混ざる表情でされるがままになっている雅善に、角度を変えながら何度も振れて確かめる。
 この口が自分を好きだと言ったのだ。今日だけ、今だけ。なんて、ものわかりのいい大人にはなれない。
「俺が卒業するまでは、人の目が気にならないくらい遠い場所でデートしよう。電話やメールで、繋がろう。それなら、校内でだけは、俺は物わかりのいい生徒を演じてやってもいい」
 言葉は尊大でも、美里は雅善の許容を求める立場でしかない。
「なぁ、頼むよ……」
 迷った後で、結局頭を下げた。
「ホンマ、かなわんなぁ」
 雅善の零した小さな呟きに、許されたことを知った。

 

 

 

**********

 自宅の最寄駅からは大分離れた場所にある小さな駅を降りた美里は、駅前のロータリーに停車する一台の車に、迷うことなく向かって歩く。
 雅善が車持ちだったので、二人で過ごす時間は車の中がダントツに多い。
 本当は助手席に雅善を乗せて自分が運転したいのだけれど、免許の取得は受験が終わってからと決めている。親にも友人達にもそう宣言していたことを最初は少しばかり悔やんだけれど、ハンドルを握る雅善をのんびり観察するのも楽しいので、もう暫くはこの状態に甘んじて居ようと美里は思う。
 互いの家に行き来することも、街中を並んで歩くことも、今はまだ出来ないけれど。来年の春、桜が咲く頃にはそれらの夢も叶うだろう。
 美里が近づくのに気付いて口の端を持ち上げる雅善に、自分も同じように笑いかけてから、残りの距離を急いだ。

<END No.3>

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せんせい。8話 職員室を優先してた

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 暫く待ってみたが返事がない。不思議に思いながらもドアに手を掛ければあっさりひらき、美里は軽く声を掛けながら室内に踏み込んだ。
「いらっしゃらないんですか、先生……?」
 室内に人の気配はなく、返事はやはり返ってこない。鍵が掛かっていないということは、きっとすぐに戻ってくるのだろう。
 仕方なく、美里は再度火傷部分を冷やすために、取りあえず流しへ向かった。
 流水に手を浸しながら、窓の外へ視線を向ける。
 いい天気だった。誰もいない校庭に、秋の日差しが降り注いでいる。思考することすら放棄して、ただただ目に映る景色を見ていた。
 そんな中。
「失礼します。河東の容態は……」
 よほど慌てていたのか、ノックもなくドアが開き、雅善の声が飛び込んできた。
 驚いて入り口を振り返った美里の目に、ズンズンと歩み寄ってくる雅善の切羽詰ったような表情が映る。
「授業、は……?」
「少し早めに切り上げた。それより怪我は? 手当て、してへんの?」
 雅善は流水に浸された美里の手に視線を投げかける。
「ああ。校医の先生、不在みたいで。手もたいしたことなさそうだし、鐘鳴っても戻ってこなかったら、教室戻る気でいた」
「ちょお見せて」
 乞われるままに濡れた手を差し出せば、躊躇うことなくその手をとり、怪我の様子を探るようにジッと観察された。
 昨日、あんなことをした相手の手を、こうも心配できるのはなんでだろう。この躊躇いのなさの意味を、どう受け取ればいいのだろう。
「ヨシ、ノリ……?」
 ふと顔をあげた雅善が、不思議そうに名前を呼んだ。
 ホント、何から何まで、ズルイ。
「教師と生徒になれって、そう言ったのはアナタですよ、西方先生」
「あっ……」
「アンタ、ズルイよ。こんな風に心配して、それは教師としての責任からなのかも知れないけど、それでも俺は、誤解しそうになる。ガイに、少しは特別に思われてるんじゃないかって、さ」
 雅善の手の中から、そっと自分の手を取り戻そうとした美里は、その手をキュッと握られ動きを止めた。
「西方、先生?」
 呼びかけに、雅善の瞳が悲しそうに揺れる。
「あ、あのな……」
「手、放してください。じゃないと俺、先生をまた困らせるようなこと、言いますよ」
 更に強く握り締めてくる暖かな手。けれど、雅善自身の口から、思いを肯定するようなことは言って貰えない。
 言って貰えないけれど、繋がった手から、雅善の想いが伝わってくるような気がした。だから、そんな雅善の立場ごと、丸ごと全部絡め取ってやればいいのだと思い至る。
 美里はゆっくりと口元に笑みを浮かべて見せた。
「ガイが、好きだ。校内では今後一切そんなことは言わない。だから代わりに、俺が卒業するまでは知り合いさえ居ない様な、どこか遠い場所へ遊びに行こう?」
「そんな……ん、」
「頼むよ。ダメだなんて、言わないでくれ」
 ガイが困らない範囲でいいから、付き合って欲しい。そう頼み込む美里に、雅善はやはり少し困ったような顔で考え込んだ後。ようやく頷いて、その頬を赤く染めていく。
「ワイも、美里を好きやで」
 ホッと息を吐き出す美里の耳に、校内では二度と言わないという注釈付で、そんな言葉が囁かれた。

 

 

**********

 自宅の最寄駅からは大分離れた場所にある小さな駅を降りた美里は、駅前のロータリーに停車する一台の車に、迷うことなく向かって歩く。
 雅善が車持ちだったので、二人で過ごす時間は車の中がダントツに多い。
 本当は助手席に雅善を乗せて自分が運転したいのだけれど、免許の取得は受験が終わってからと決めている。親にも友人達にもそう宣言していたことを最初は少しばかり悔やんだけれど、ハンドルを握る雅善をのんびり観察するのも楽しいので、もう暫くはこの状態に甘んじて居ようと美里は思う。
 互いの家に行き来することも、街中を並んで歩くことも、今はまだ出来ないけれど。来年の春、桜が咲く頃にはそれらの夢も叶うだろう。
 美里が近づくのに気付いて口の端を持ち上げる雅善に、自分も同じように笑いかけてから、残りの距離を急いだ。

<END No.3>

 
 
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せんせい。7話 部活を優先してた

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 返事を待たずにドアを開ければ、中は一見無人のようだった。
「いらっしゃらないんですか、先生……?」
 軽く声を掛けてみるが、やはり返事はない。
 仕方なく、美里は再度火傷部分を冷やすために取りあえず流しに向かった。
「河東……?」
 流水に手を充てた美里の背後から、名前を呼ぶ声がする。振り向いた先、ベッドを仕切るカーテンから顔を覗かせていたのは今泉だった。
「どうしたんだよ。サボりか?」
「ちょっと寝不足で」
「テストはこの前終わったばかりだろう?」
「おいおい。俺達一応受験生だぜ?」
 苦笑を零しながらも、今泉は心配そうに美里を見ている。
「どうかしたか?」
「それはこっちが聞きたいな。手、どうかしたのか? 先生、電話が来たとかでお前とほとんど入れ違いに出て行ったよ」
 タイミングが悪いなと言う言葉に、美里は曖昧に苦笑して見せた。
 体よく追い払われただけのような気もするし、実際、多少痛んではいるがそんなにたいした火傷でもないのだ。
「ちょっと、な。バカやって火傷した」
「化学の授業だったのか?」
「ああ。お前んトコはもう実験授業終わったのか?」
 軽く頷いて見せた後、今泉はカーテンの影から姿を現し、美里へと近づいてくる。
「大丈夫なのか?」
「たいしたことはないと思う。ただ、右手なのがこれから先ちょっと不便ではあるかもな」
 今泉の視線の先を追うように、美里も蛇口から流れる水の中に浸された自分の手を見つめた。その視界の中、ふいに今泉の顔が迫る。
 下から顔を覗き込まれて、美里は驚きに目を見張った。
「なぁ、俺に、しないか?」
 そのセリフからすると、不安そうな表情は美里の火傷の具合を心配しているからではなさそうだ。
「何の話だ?」
「西方先生相手にするより、俺にしとけよ。って話」
「は? 何言って……」
「見たんだ。昨日の放課後、化学準備室で言い争ってたろ」
「見たって、お前……」
「お前らの噂、俺もちょっと気になってさ。先生に確かめてやろうと思ってたんだ。でも、それどころじゃなかったけどな」
 本当の寝不足の原因はソレだと告げる今泉に、美里は一瞬言葉を失った。
「好きなんだろ? 西方先生のこと。でも、相手は教師で、お前を相手にする気は、多分、ない」
「うるさいな。わかってるよ、そんなことは」
「そう怒るなよ。ただ、そんな脈のない奴を相手にしてるなら、俺が立候補したって構わないかなと思っただけだって」
「お前、自分が何言ってるかわかってるのか?」
「わかってるよ。昨日のアレを目撃したのは、ある意味ラッキーだったと思ってる。お前が男もイけるってわかったからな」
 今泉はようやくニコリと笑って見せる。
「本当は言わずにいようと思ってたけど、ずっと好きだったよ、河東のこと」
「俺は、お前をそういう対象で見た事なんて、ない」
 困ってそう吐き出した声は、わずかに掠れていた。
「これから、そういう対象として見てくれれば構わないけど?」
「いや、でも、それは……」
「試しにでも、付き合ってみないか? お前だって、誰にも言えないような気持ち抱えてたら辛くないか? 暴走して本当に西方先生を犯してからじゃ遅いだろう?」
 立て続けに浴びせられる言葉が痛い。
「お前が、ガイの代わりに抱かれるとでも?」
「そうだな。お前がどうしてもって言うなら」
「どうかしてるぞ」
「そうか? 俺は、お前とデキルなら、西方先生の変わりでもかまわないけど」
 だって、絶対にそんな機会はないと思ってたから。
 そう告げた時の今泉のはにかんだ表情に、美里の心が揺れた。雅善相手に、自分は同じことが言えるだろうか?
 『物わかりのいい年下の友人』という立場を守るために、昨日、その身体を開放してしまった自分には、きっと無理だ。
「知らなかった。お前、意外とバカだったんだな」
「俺がバカになれるのは、お前に対してだけだと思うけどな」
 小さな苦笑を漏らせば、同じように苦笑を返された。
 その苦笑顔に、唇を寄せる。就業を告げるチャイムが鳴るのに構わず、その唇に触れた。
 そういえば、雅善とはキスをしていない。なんてことを考えてしまうのは、やはり、今泉が雅善の代わりでもいいなどと言ったからだろう。
「了承の、意味で取るぞ?」
 身体を離すより前に、首にまわされた腕によって引き戻され、息の掛かる距離で囁かれた。
 頷きかけたその時。
「失礼します。河東の容態は……」
 ノックもなくドアが開き、雅善の声が飛び込んできた。
 ここが保健室という場所で、鍵を掛けていない室内に、いつ誰が入ってきても可笑しくないのだと言うことを失念していたようだ。
 慌てて振り返った先、驚きに目を見張る雅善と視線が合った。今泉の腕は既に解かれていたが、美里は黙ったまま動けない。
「スマン……」
 先に動いたのは雅善のほうだった。クルリと背を向け、後ろ手にピシャリとドアを閉める。
「まっ……」
 伸ばしかけた腕はなんとか堪えたものの、その口からは待って欲しいという気持ちの片鱗が零れ落ちていた。
「追いかけないのか?」
 掛かる声に隣を見れば、今泉はなんとも複雑な表情をしている。きっと自分も同じくらい、複雑に絡んだ感情を面に出してしまっているだろう。
 それでも、自分の気持ちと選ぶ未来を決めるのは自分自身でしかないのだ。
 答えは決まっていた。

>> 追わない

>> 追う

 
 
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せんせい。6話 従わず暴走

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 ズルイ ズルイ ズルイ。
 こんな状態に陥っても、慌てて醜態を晒すような男じゃないから。相手を宥めるための言葉を選べる大人だから。
 悔しさに美里は唇を噛み締める。
 声を震わせはしたけれど、怯えているわけではない。
 結局、雅善に敵いはしないのだ。
 美里は一度瞳を閉じて、心の中で3つ数えた。それは、多くを望まず諦めるための時間。
「俺は、今も結構冷静だと思うけどな。てわけで、諦めろよ」
 そう口に出しながらも、諦めるのは自分のほうだと美里は思う。
 心が手に入らないなら、せめて身体だけ。
 その考えが酷く醜いものだという自覚もある。それでも、もう、止まらない。
 握りこんでいたモノを放した美里は、雅善が一瞬ホッとしたように力を抜いた隙を逃さず、更に奥へと手を伸ばした。
「イッ!!」
 知識だけで知っている男同士で繋がるための場所へ、半ば強引に指先を埋め込めば、雅善の口から苦痛の声が漏れる。
「慣らせるようなもの、ないのか?」
 背後の棚に並ぶ薬品類に目を走らせながら問うが、遠目にラベルを見た所で美里にはそれらの薬品が何であるかはわからない。
「はっ、何言うとんの。アホなんも大概にし」
「力じゃ敵わないってのに、余裕だな」
 更に強引に突き立てた指に、上がる悲鳴はキスで塞いだ。
 背けようとする顔を顎を掴んで押さえ込めば、口内へと吐き出される苦痛の声。構うものかと指も舌も乱暴に動かせば、胸に鈍い衝撃と痛みが走った。
 雅善が括られた両拳で美里の胸を突いたのだ。
「ムチャクチャ痛い。最悪や。このヘタクソ!」
 吐き出す声はさすがに怒りに満ちている。しかし、ヘタクソなどと罵られた美里の方も、充分に怒りを煽られていた。
 一旦身体を離し、男にしてはやや小柄な身体を抱き上げる。そうしてから、部屋の奥に置かれた机の上に雅善を腰掛けさせた。
 足元に絡まるズボンと下着を引き抜き、問答無用で両足を大きく開かせれば、雅善の顔が羞恥で赤く染まる。それに構わず、美里は開かせた足の間へと顔を寄せた。
「なっ……!」
 慌てた雅善が力を込めた両足は、それを押し返す美里の力の前では無力だった。
「あ、あかんて、美里。カンニンや!」
「大声出すなよ。慣らすもんないんだ、仕方ないだろ?」
「わ、わかった。わかったから、ちょおストップ。ストップや!」
 美里の掴む膝から下をバタつかせる雅善に、さすがの美里も動きを止めて、雅善を窺うようにわずかに視線を上げる。
 必死の表情で雅善は机の隣にある小型冷蔵庫を開けるようにと訴えた。
「そこに、ラップ掛かった500mlビーカーあるやろ」
 言われるままに冷蔵庫を開けた美里は、丁度目の前の位置に置かれたそれに手を伸ばす。中には半透明の液体らしきものが、ビーカーの半分量ほど入っている。
「なんだよ、コレ」
「単なるデンプン糊や。一応、食べたとしても毒やない」
「で、これをどうしろって?」
「ちょお触ってみぃ。そしたらわかる」
 美里はフッと小さなため息を吐き出すと、仕方なく手の中のビーカーからラップを外し、ほんの少し傾けて、手の平の上へとその液体を垂らした。
 思っていたよりもずっとトロミのあるソレは、ゆっくりとビーカーの内壁を伝って落ちてくる。
「ここまでされたら、本気で合意してるんだと勘違いするぞ?」
 コレを潤滑剤代わりにしろと言っているのだと理解はしたが、雅善の思惑が図りきれず、美里は眉を寄せて見せた。
「止めてもムダやって言うなら、仕方ないやんか。ワイかて、自分の身体は大事にしたいねん」
「悪かったな、ヘタクソで。なら、お望み通り使ってやるよ」
 言い捨て、美里はトロミの付いた液体を乗せた左手を、舌の代わりに深部へと押し当てる。
「んんっっ」
 咄嗟に口を閉じた雅善の鼻から漏れる、甘い響き。
 あらわになっている太腿は、一瞬にして粟立った。潤滑剤の力を借りて、今度は比較的すんなりと、雅善の深部はビリーの指を飲み込んでいく。
「……っ」
 声を洩らすまいとしてか、雅善は括られた両拳を口元に押し当てている。視線が合うと、困ったように瞳が揺れた。
 その瞳を見据えながら、ゆっくりと内部に埋めた指の抜き差しを繰り返せば、逃げるように瞳を閉じて、いっそう固く口を結ぶ。
 ゆがめた眉の上、額に薄く汗が滲んでいる。上気した頬も、耐える表情も、時折零れ落ちる吐息も。
 無理を強いている自覚があってなお、美里の熱を煽ってやまない。
 逸る気持ちを押さえ、極力丁寧にその場所を解したビリーは、ほとんど抵抗を示すことのない雅善の両足を抱え上げた。
 バランスが取れずに、雅善の身体が傾ぎ、背後の壁に打ちつけた頭が鈍い音をたてる。
「悪い……」
 呻く雅善に声を掛ければ、涙の滲む瞳で睨まれた。
 またヘタクソと罵られるかと覚悟したが、雅善が口にしたのは別の言葉だった。
「逃げへんし、この手、解いて貰えん?」

>> 解く

>> 解かない

 
 
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せんせい。5話 制止の声に従う

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 ズルイ ズルイ ズルイ。
 昔と違って、今では随分と体格差がついているのだから、このまま力尽くで身体を繋ぐことも不可能ではないだろう。けれどそれでは絶対に、雅善の心は手に入らないのだ。
 こんな状態に陥っても、慌てて醜態を晒すような男じゃないから。相手を宥めるための言葉を選べる大人だから。
 声を震わせはしたけれど、怯えているわけではないだろう。結局、雅善に敵いはしないのだ。
 悔しさに美里は唇を噛み締める。雅善の手首を縛めるネクタイの結び目を解いた美里は、何も言わずに背中を向けた。
「ビリー……」
 小さな呼びかけの声は無視して、そのまま化学準備室を出て後ろ手にドアを閉める。
 張り詰めていた糸が切れたようにその場に座りこんでしまいたい衝動を押さえて、大きく息を吐き出した。
「ホント、ズルイ……」
 小さな呟きを一つ残して、美里はその場を後にした。

 

 楽しみだったはずの化学の授業が、今日は憂鬱でしかたがない。
 美里は黒板の前に立つ雅善を見ることが出来ず、その言葉も耳を素通りしていく。
「……ウクン、河東君!」
 隣に座っていた女生徒に名前を呼ばれ、ハッとしたように美里はそちらを振り向いた。
「ビーカー、沸騰してるよ?」
 目の前の三脚の上では、確かにビーカーの中の湯がボコボコと煮立っている。明らかに加熱しすぎだった。
「あっ!」
 慌てて手を伸ばすのと、隣の女子が小さく叫んだのはほぼ同時だっただろう。
「熱っ!!」
 次の瞬間には、実験台の上にビーカーが落ちる音と美里の上げた声が重なった。
 割れはしなかったが、倒れたビーカーから溢れた湯が机の上に広がって行く。
 辛うじて隣の女子は自分のノート類を脇へ除けたが、美里のノートと教科書は、大分湯を吸ってしまったようだった。
「なにやっとんのや、このアホが!」
 たまたま見ていたのか、それともやはり、今日の美里の様子の可笑しさに気付いて気にしていたのか、すぐさま黒板前から怒声が飛んでくる。
「ボーっとしとらんで早よ手ぇ水に晒せ。入っとったのはまだただのお湯やな?」
 美里は辛うじて頷いた。雅善は隣の女子に机の上を雑巾で拭くように指示を出しながら近づいてくる。
「ボーっとつっ立っとるヤツが居るか。ほら、早よ冷やして」
 既に教室中の視線を集める中、雅善は美里の腕を掴んで、実験台の隣に設置された水道の蛇口を捻った。
 流れる水の中に美里の右手を突っ込み、雅善はようやく一つ大きな息を吐き出す。そうしてから、二人へ視線を注いでいる他の生徒へ向けて注意を呼びかける。
「余所見しとらんで、自分の分の実験しっかりせぇよ。河東みたいに火に掛けたビーカー、素手で掴むアホは他におらんと思うけども、触れたりせんよう気ぃつけや」
 美里はそれら全てをどこか他人事のように感じながら、呆然とした表情で流れる水に視線を向けていた。
「河東君、大丈夫?」
 机の上を拭き終えたらしい隣の女子が、ついでとばかりに、濡れてしまった美里のノートや教科書の水分を拭き取ってくれながら、心配そうに声を掛けてきた。
「ん、ああ……」
 鈍い返事を返す美里に、取りあえず保健室に行って来いと告げたのは雅善だった。
「別に、たいしたことない」
「ガッツリ掴んどいて、たいしたことないわけないやろ。というより、もう暫く冷やさなあかん。けど、ここでやられたら迷惑やんか」
 保健室でもう一度じっくり冷やした後、保険医に一応診てもらった方がいいと言いながら、雅善はポケットから取り出したハンカチを濡らして美里に握らせる。そして、実験室を出て行けと言うように、ポンと背中を押し出した。
 仕方なく、美里はその指示に従い実験室を出て行く。
 このまま屋上にでも行ってしまおうか。なんてことを一瞬考えた。
 けれどやはり右手がヒリヒリと痛んでいたので、美里は小さな溜息を吐き出し、隣接する保健室のドアを叩く。

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