今日の講義は3限からなので、のんびりと起きだした朝。とりあえず何か飲みたいと思いつつキッチンへ向かうが、併設されたリビングの惨状に、冷蔵庫へ辿り着く前に足を止めてしまった。
リビングの床にスーツを脱ぎ散らかして、下2つだけボタンの止まったYシャツにトランクスというひどい格好でソファに沈んでいるのは、従兄弟でありこの家の世帯主でもある男だ。親の間でどういう話があったのか、入学したら大学の近くで一人暮らしが出来るのだと思っていたのに、気づけばこの従兄弟の家に放り込まれていた。
最初は本当に苦労した。なんせ従兄弟とはいっても年が離れすぎていて、一緒に遊んだような記憶どころか、話しをしたという記憶すらほとんどない相手だ。正直、いきなり見知らぬ他人との共同生活が始まったといってもいい。
しかし共同生活におけるルールがある程度決まってしまえば、多忙な従兄弟とはすれ違いも多く、ここでの生活は既に2年を越えたがけっこう気楽に過ごせてもいる。最初は憂鬱だったここでの暮らしは、思っていたよりもずっと快適だった。
ソファの脇に立って、改めて従兄弟を見下ろす。確か14ほど上と聞いた気がするから、そろそろ30代も半ばだろうか。眠っていてさえ疲れの滲みでている顔には無精髭が伸びていて、ボサボサの頭髪にはちらりと白いものが混ざり始めている。
「わー……いつにも増しておっさんくさい」
起きていたらさすがに咎められそうな事を、そこそこの声量で口に出しても、相手は依然無反応だ。
こんな場所で無造作に寝るから余計に老けていくんじゃないのか? と思いつつも、だからといって起こしたほうがいいのかはわからなかった。忙しいのは知っていたが、さすがにこんな状況は初めてだからだ。
パッと見、疲れてる以外のおかしな様子はないけれど、まさか具合が悪くてここで力尽きたという可能性もあるだろうか?
そっと額に手のひらを当ててみたが、とりあえず熱はなさそうだ。
ますますどうしようか迷いつつ、目の前に垂れていた結び目だけ解いて首にぶら下がったままのネクタイを、なんとなく握って引っ張った。スルリと抜けるかと思ったそれは何かに引っかかって、従兄弟の頭がぐらりと揺れる。
あ、まずい。と思った時には従兄弟の目がゆっくりと開いていく。
「ご、ごめん。起こすつもりはなくて」
体はネクタイを握ったままフリーズしていたけれど、口だけはなんとか動かした。従兄弟はぼんやりとした表情のままこちらの顔を見て、それからネクタイへと視線を移す。
「なに? 人の寝込み襲うとか、お前欲求不満なの?」
「は? ちょっ、んなわけなっ、うぁ……って、なんだよっ」
否定の途中、結構な力で腕を引かれてよろけて倒れこめば、わしゃわしゃと頭を撫でられる。
「んー? ちゅーくらいならしていいぞ」
「だからっ! 欲求不満じゃ」
ない、という言葉は続けられなかった。
14も年上の、だらしなく小汚いおっさんにキスされたという衝撃でそのまま硬直していたら、「うわっ」という慌てた様子の声とともに、唐突に突き飛ばされて尻もちを付いた。
「えっ、ちょっ、何してんの」
何してんのはこっちのセリフだと思ったけれど、それは言葉にならなかった。なんで朝からこんな目にと思いつつ相手を睨みつけたけれど、正直怒りよりもショックが強くて泣きそうだ。
「あー……悪い。スマン。多分寝ぼけた」
「酷い。色々酷い。小汚いおっさんにキスされたなんてトラウマになりそう」
「小汚いおっさん、ってお前もたいがい酷いぞ」
「ホントの事だろ。てか自分が今どんな格好してるかわかってんの?」
言ったらようやく自分の格好に気づいたようで、情けない顔になって本当に悪かったと繰り返した。その後はソファの周りに散らかした服類をまとめると、それを抱えてそそくさとリビングを出て行く。
尻餅をついたまま、そんな従兄弟を視線だけ追いかけてしまったが、彼から掛かる言葉はもうなかった。酷いとかズルイとかの単語が頭のなかをグルグルとまわる。のどが渇いていたことを思い出して立ち上がるまで、随分と時間がかかってしまった。
続きました→
レイへの3つの恋のお題:寝ぼけてキスをした/キスしたい、キスしたい、キスしたい/あと少しだけこのままで
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